#嵐の逃走

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 緊急時の出口のある書庫へと、三人は向かった。周囲の警戒はヘンゲルに任せ、ユリアは目的地まで二人を先導する。  刺客たちの捜索の目を掻い潜りながら城内を進んでいくと、至るところに見知った遺体が転がっていた。襲撃者たちは、護衛や見張りの兵はもちろんのこと、身のまわりの世話をする者たちまで無差別に斬っていったのだ。  彼らの所業は(けだもの)以下の悪逆に他ならず、ユリアは、奴らを片端からせん滅してやりたい衝動を抑え込むのに苦労した。  第一に優先すべきこと──それは、リリィに危害が及ばないことだ。感情に任せて危険を犯すべきではないと、己に言って聞かせた。  今ユリアのそばには、彼女の剣の師匠ヘンゲルがいる。ヘンゲルの卓越した剣技は、教団内でも最上位の実力を誇る。剣を振るえば嵐を巻き起こし、彼一人で一個大隊を席巻するとも称されるほどだ。  そんな一騎当千の彼が行動をともにしているのであれば、どんな障害が立ちはだかろうともユリアは負ける気がしなかった。  三人は書庫に到着し、本棚の仕掛けを作動すると、現れた隠し通路の内側へと入っていった。  自分の手すら見えない暗闇のなか、壁づたいに狭い螺旋階段を下り、最下層にたどり着くと、城の真下に張り巡らされた古びた水路に出た。  そのタイミングで、ヘンゲルは懐から取り出した装置を起動し、無から火を灯した。  光源となった火の玉を見て、リリィはほっとしたようにつぶやく。 「魔法ですか、やはり便利ですね」  魔法とは、旧文明の技術をもとに再現された業だ。特殊な装置を触媒にして発動する。  ユリアも、明かりとなるものは何も持ち合わせていなかったため、足もとを照らすヘンゲルの魔法はありがたかった。 「では行きましょう。こちらです」  カビとどぶの悪臭が充満する水路を、三人は黙々と出口へ向かって進んでいく。内部は迷路のように入り組んだ構造をしており、ただ闇雲に歩いては行き倒れるのは必至だ。  だがそこは、近衛騎士のユリアの出番である。いざというときのために、地下水路の構造はしっかりと頭に叩き込んである。劣悪な環境から早く脱するために、出口までの経路を最短距離で案内した。  襲撃者もこの水路のことまでは把握していなかったらしい。周囲に敵の気配は全く感じられなかった。 「私たち、これからどうなってしまうのでしょうか?」  出し抜けにリリィが聞いてきた。 「城を脱出できたとして、その後は? 教団の助けが来るまでの間、どこに身を潜めますか? また彼らが襲ってきたときは? さっきは、たまたま運が良かっただけで、今度はおしまいかも知れない。そしたら──」 「リリィ様っ!」  ユリアは主人の言葉を遮った。歩みを止め、後ろを向き直ったとき、リリィは小刻みに震えていた。  その様子は、純白の羽をむしりとられた天使みたいに不憫に見えた。表情も暗く沈んでいる。彼女はいま、とてつもない不安を感じていることだろう。  その辛苦を肩代わりできるのなら、ユリアは喜んで引き受けたかった。 「リリィ様、せっかく先のことを考えるのなら、楽しいことを考えませんか?」 「楽しいこと?」 「何がしたいとか、何が食べたいとか、単純なことで構いません」 「いまは無理よ。そんな余裕なんて……」  ユリアは主人の肩に手を置いた。気をしっかり持つように、握る手に力を込めて。 「無理でもするんです! 何か食べたいものはありますか?」  間近に見えるユリアの凛とした表情。彼女の力強い眼差しは、まるであたたかな陽光のように感じられた。リリィは彼女に言われたとおり、食べたいものを考える。 「そうね……じゃあ、オムレツが食べたいわ」  ユリアは少し表情を緩める。 「リリィ様は、本当にオムレツが好物なのですね」 「ええ。きのこのクリームソースをたっぷりとかけて」 「胡椒は多めに?」 「もちろん! 熱したフライパンの上でバターが溶ける香り……私、あの香りがとても好きなの……だけど」  そこで言葉を切り、リリィは水路を見回した。 「まあ、なんというか、ここは食欲を削ぐようなすごい臭いが充満しているわね……」  リリィの顔にも、自然と明るさが戻ってきたようで、ユリアは安心した。 「では、まずはここを無事に脱出しないとですね」  三人は移動を再開した。
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