45人が本棚に入れています
本棚に追加
/31ページ
胴が長めのラプンチェル
静かに扉を閉めたカイザーは、深く長い吐息を吐き出した。ぐるぐる渦巻く感情と思考。カイザーの心の中に真っ先に浮かんだのは、
(大体くそ双璧のせい……)
性格極悪の双璧への悪口だった。冷え切っているのにサリースがこのホテルに嫌悪を示したのは、学生時代の所業をバラされたから。確かにそういう用途にも使っていたので、半分以上は自業自得の逆恨みでもある。そして最初に言葉として出たのは、
「処女、なのか……」
傷ついてボロボロのサリースに心を痛めながらも、ばっちりと拾い上げた言葉。最低だった。
思わず抱きしめてしまいそうなのをすんでで堪えられたカイザーは、どうしても緩んでしまう口元を押さえながら、ずぶ濡れの身体を温めるために別室へと向かっていった。
※※※※※
「サリース嬢、紅茶を……」
ホテルの使用人からサリースの準備が整ったと連絡を受け、着替えを済ませ手ずから入れた紅茶を携え、カイザーがサリースの客室に足を踏み入れ固まった。
「殿下……」
ホテル側が用意したサリースの着替えは、外出着ではなく脱がせやすそうなシンプルなドレス。サリースの完璧なボディラインがバッチリ分かる。
さすが超一流ホテル。数年前の所業が透き見える完璧な気遣いが、カイザーの双璧への文句は逆恨みであることを証明していた。
「用意いただいたものがこのように軽装で……お見苦しくてすいません……」
「いえ……」
ご褒美です。だいぶ落ち着き改めて暴言に身の縮まる思いをしているらしいサリースから、そっと目を逸らしながらカイザーは持参した紅茶を差し出した。
温まるようにちょっとだけブランデーを入れた、ミルクたっぷりの甘い紅茶。双璧には頭からかけてやりたいと思うのに、サリースにだと自分がむしろ淹れたいと思う不思議。
「……美味しいです」
ホッとしたように笑みを見せたサリースに、カイザーの心臓がキュッと音を立てる。かわいい。心臓がうるさくなったカイザーをよそに、サリースは神妙に頭を下げた。
「殿下……先ほどは本当に申し訳ありませんでした」
悄然と俯くサリースにカイザーは慌てふためく。
「いや! 本当に大丈夫だ。気にしていない。それよりも……もう大丈夫か?」
仲睦まじく楽しそうに婚約者と並んで歩いていたランドルフ。なぜかずぶ濡れで、それなのにやたら楽しそうに笑っていた。その姿に怯えるように、囲い込んだカイザーの腕で震えていたサリース。カイザーが言わんとすることを察したサリースが、寂しそうに小さく笑う。
「……殿下は「胴が長めの、ラプンチェル」という異国の絵本をご存知ですか?」
「いや、すまない……寡聞にて覚えがない」
サリースは大切なものを差し出すような瞳を伏せた。
「私はギフトの関係で、幼少期から本を読むのが好きでした。あまり他の子と馴染めなくていつも本を読んでいたんです。胴が長めのラプンチェルは一番好きな絵本でした……」
サリースが懐かしそうに大切そうに話す絵本の話に、カイザーは耳を傾けた。
大好きなメスのダックスのルルの気を引きたくて、宝物をプレゼントするラプンチェル。でもルルは全然喜ばない。諦めずに自分の胴がいかに長いかを伝えたり、プレゼント贈り続けてもルルは笑わない。
ある日ルルが穴に落ちてしまう。とても抜け出せない深い穴から空を見上げ、泣き出したルルに駆けつけたラプンチェルが、自慢の長めの胴を伸ばして必死に助ける。
お礼をいうルルに、ラプンチェルは「大好きな君を助けるのは当たり前のこと」ともう一度告白する。ルルはにっこりと笑顔を見せて、ようやくラプンチェルの求婚を受け入れる。「いいわ、あなたと結婚する。でも結婚するのは贈り物をくれるからでも、胴が長めだからでもないんだからね」。そう言って。
いつかそんな恋をする。そんな風に自分を思ってくれる人と。小さなサリースはそんな憧れを抱いていたそうだ。
「……ランドルフ様は男の子たちに揶揄われていた私を助けてくれて、取り上げられた絵本を取り返してくれたんです。まるで王子様みたいで……太陽みたいに笑った目元がアーシェにそっくりで。私は……」
きっとその時彼女は恋に落ちたのだ。薄着のサリースにドキドキしていた心臓が、きゅうと切なく小さく縮んだ。
きっとランドルフなら豪快なあの笑顔のまま、どんな深い穴に落ちても恋人を掬い上げるだろう。颯爽と駆けつけたラプンチェルのように。なんでもない当然のことのように笑って。
「でも……ランドルフ様が身を挺してまで助けたいのは私じゃない……」
馬車の車輪が跳ね上げた水から婚約者を庇ったランドルフ。心配する婚約者に陽気に笑って見せる姿を思い出し、痛そうに俯くサリースにカイザーの胸が痛んだ。
「……私をそんな風に助けてくれる人も、想ってくれる人もいない……」
その対象はいつも自分以外。求められるのはいつだってちょっと見栄えのいいアクセサリー。そんな風に自嘲して寂しく笑う笑顔に苦しくなる。
「俺は……俺は……できる……」
引き絞られるように痛む胸。堪えきれなくなって言葉にすると、もう止まらなかった。確かめるために追いかけてきた。
『恋人でもないのに? 殿下が告白したから? なら断るだけで済むと思いますけど? 学生時代の過去の話にあれだけ怒る理由ってなんですかね?』
『カイザー、怒りとは二次感情だ。根底を成す感情が揺れ動き怒りとして表上化する。サリース嬢は怒りを表した。その怒りには理由がある。カイザーこそあの本を読んだのか? 理由を確認すべきではないのか? もう一度聞く。カイザー、追いかけなくていいのか?』
サリースの怒りの根底。それを今確かめる。渦巻く感情を吐き出すように、カイザーは赤金の瞳でサリースを射抜いた。揺れる瞳に戸惑いを見つけても、カイザーはもうその瞳を逃がしてはやれない。
「サリース嬢、恋人でもない俺の過去にどうして怒ったんだ? ランドルフに想いを寄せている貴女が、なぜ俺の過去に腹を立てて席を立った?」
「そ、それは普通に最低だと思ったから……」
確かに。雨水から婚約者を庇ったランドルフと、薄着にドキドキするカイザーでは勝負にならない。ゲロもかけている。勝てるわけがない。でも。
「それだけか? 過去に君を取り巻く男たちと同じだと思ったからだけか? 本当に俺の過去に嫉妬する気持ちが少しもなかったか?」
逃げ道を塞ぎ思考を誘導する。強く断定した誘導じみた問いかけ。アーシェもランドルフもしないだろう、相手を追い詰めるずるいやり口。でもそれがなんだ。カイザーはランドルフではない。代わりになりたいわけじゃない。
「それは……そんなわけ……」
驚いたように目を見開いて惑うように言葉を揺らしたサリースが、逸らそうとする視線を捕まえてカイザーはなおも追い詰めた。失恋で弱った心の隙間に染み込むように、一言一言祈りを込めて。
「サリー、君は俺の過去に嫉妬した。届かない想いに疲れた君に告白した俺が、君のように誠実な過去じゃなかったから」
そうだろう? いや、そうなんだ。
「ちが……」
「諦めようと思っていた時に俺に告白され心が揺らされたのに、俺を信じていいかわからなくなった」
「わ、私はランドルフ様を……」
「俺を好きになりかけていたのに失望したから君は怒った」
「殿下……」
「カイザーと呼んでくれ」
反論を許さない強さに圧倒されたサリースの頬に、カイザーはそっと手を伸ばした。怯えるように揺らぐ瞳に、カイザーはトドメを刺す。
「俺が君のラプンチェルになる」
射抜いた視線の先でサリースの瞳から涙が伝った。
「俺を利用すればいい。君の想いに気づかないまま、もうすぐ結婚するランドルフを忘れるために。俺はサリーがランドルフを想っていた過去ごと愛するから。俺を選んでくれたら、俺が君のラプンチェルになる」
宝物を差し出すことも、幾度振られようが想いを差し出すことも、身を挺してサリースを助けることも、ランドルフではなく自分がやる。他の誰でもなく自分が。
「殿下……」
「だから俺を選んで欲しい」
揺らがないカイザーの瞳に、声の響きにサリースが息を呑む。
案外気さくて親しみやすい。部下に顎でこき使われるちょっとかわいそうなゲロ王子は、もう片鱗すら見当たらなかった。
最初のコメントを投稿しよう!