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悩める美女
「しゃりー、いらっしゃい!」
バルトル=クロハイツ家の子供達に盛大に出迎えられ、サリースはアーシェをチラリと見やりながら挨拶を返した。
「こんにちは、アリス、エルナン、ロシュ。ジャスミンの花束を、どうもありがとう。とても綺麗で嬉しかったわ。今日はアーシェとお話ししたいんだけどいいかな?」
子供達は顔を見合わせて、にっこりと笑みを作った。
「うん! 僕たち積み木で遊んでるね! ロシュ、アリス、一緒に遊ぼう!」
「「はーい!!」」
わいわいと遊び始めた子供達の横で、サリースとアーシェは向かい合わせにテーブルについた。
「サリー、どうかしたの?」
「うん……実は相談があって……」
「……相談? 何かあったの?」
心配そうなアーシェにサリースは、何度か躊躇ってから勇気を出して口を開いた。
「あのね、アーシェ。私って実は巨乳じゃない、のかな……?」
「……は? え? なんで急にそんなこと……」
アーシェが目を見開き、俯くサリースに身を乗り出した。
「豆乳……飲んだほうがいいかもしれない……」
「え、豆乳いいの? ……じゃなくって……サリーには必要ないわ。ちゃんとすごいもの!」
くっきりと谷間ができた立派な双子の小玉スイカが、納得の迫力でテーブルに行儀よく並んでいる景色に、アーシェが力強く太鼓判を押す。
「サリーが巨乳じゃないなら、私は巨乳の概念を理解できないわ」
それでも落ち込んだようにため息をつくサリースに、アーシェは困ったように眉根を寄せた。サリースは静かにカップを置いて、アーシェに向き直った。
「大きさが足りないのか……好みが変わられたのか……」
「サリー?」
「アーシェ、あのね……」
サリースは顔を上げて、現状をポツリポツリと語って聞かせた。
あのホテルの日から、カイザーと頻繁に出かけるようにはなった。カイザーは常に優しく紳士的だったが、あまりにも紳士的すぎた。一切触れてこないどころか、口付けの気配さえも微塵もない。最近は考えたくないがなんならちょっと、接触を避けられている気さえする。
「……恥ずかしかったけど、海に誘って水着にもなってみたの……でもカイザー様は全然気にしてないみたいで……」
「え、水着? いつも泳いだりしないのに……頑張ったのね……」
自分をよく知るアーシェの言葉に、サリースはしょんぼりと頷いた。
水着どころかドレスさえも選ぶ基準は、似合うかより肌や身体のラインが出ないこと。相当勇気を出して水着になってみたが、その日もカイザーは変わらず紳士だった。ホテルの日から一緒に過ごす時間は増えても、一ミリも現状から進展していない。
「……私があんまりにも拙かったから、そんな気にもならないとかなのかな……」
「そんなわけ……!」
「でも……」
あれこれ考えを巡らせていると、アーシェが急にくすくすと笑い始める。
「……アーシェ! なんで笑うの? 私は真剣に……」
「ふふっ……ごめん……かわいいなって……」
ムッと眉根を寄せたサリースの手が、アーシェはそっと握られる。
「すごく殿下の気持ちがすごく気になるんだなって……ごめんね。ねぇ、サリー。水着にまでなったってことは、つまり殿下とならって思ってるの?」
子供達を気にして声を顰めたアーシェに、サリースは赤くなって小さく頷いた。
「……優しかったの」
ホテルで触れ合った時間を思い出して、睫毛を伏せながら静かにサリースは言葉にした。
ずっと優しかったカイザー。思えば出会った時から嘘のない声で、自分を大切だと言ってくれる。そんな人に出会ったのは初めてだった。
「今まで強引に迫ってくる人ばっかりだったの。どうせ初めてじゃないんだから、純情ぶるなって言われたこともあるわ。必死に逃げてきたけど、自分から途中で手を止めてくれた人はカイザー様だけなの……すごく、優しくて紳士で……」
嘘のない声で語りかけてくれるカイザーになら、見られることも触れられることも嫌ではなかった。恥ずかしかったけど、心地よくて。ずっと人目ばかり気にしてきたのに、一度も嫌だとは思わなくて。
「デルバイス国の王太子ですもの。ずっとは一緒にはいられないかもしれない。でも……」
初めてはこの人がいいと思った。妃なんて大それたことは考えていない。いつか相応しい人と結婚するのだろう。でも初めてを捧げて後悔させないでくれると思えた。素敵な思い出を残してくれると思えた。とても優しくて、素敵な人。
「……殿下が好きなの?」
アーシェの静かな問いに、サリースは困ったように眉尻を下げた。まだ迷いなく答えられなかった。
ずっとランドルフが好きだった。サリースにとっての王子様。太陽みたいな笑顔に、カラッとした気性。大好きな親友によく似た目元。今も思い起こすと胸が痛む。
婚約したと知って思わず逃げ出したけど、結婚を目前に帰国したのはこの思いにけじめをつける決心をしたからだった。
自分はどうしたいのか。ランドルフに何を伝えるべきなのか。カイザーと出会い、朧げながら伝えるべき言葉が形をとり始めている気がする。それは否定のしようもなくカイザーのおかげだ。辛抱強く、サリースを見守ってくれている人。
「……だから、かな?」
「サリー?」
「今ちゃんと答えられないから……だから、カイザー様は……」
ふわりと浮かんだ考えにサリースは顔を上げて、きょとんとするアーシェを見つめた。
「カイザー様は優しくて誠実でとても紳士でしょ? 巨乳好きでも節度のある方だわ」
「……え、あ、どうかしら……殿下は確かに優しくて紳士だとは思うわ……でも、そこまでではないんじゃないかしら……」
人の初夜を聞きたがるし、中庭で息子さんを連呼したりする。実は結構下世話。アーシェがやんわり伝えようとするも、サリースは真剣に言葉を続けている。
「……私の片思いをご存知だから……気持ちの整理をつけるのを待ってくださっているのかも……」
「え、うーん……でも数ヶ月で相手が変わって、恋人の美点として真っ先に巨乳が出てくるのよ? むしろそこしか誉めなかったんでしょ? なんていうか、別に理由があるんじゃないかしら……その……作戦とか。殿下って割と正しく王太子っていうか……」
微妙な表情のアーシェをよそに、サリースは自分の言葉に確信を深めていった。
「けじめをつけるまでは、適切な距離を保つおつもりなんだわ……だってあんなに紳士な方だもの……」
「そうかな……? もっとこう……単純で馬鹿げた理由の可能性だってあるんじゃないかしら……」
絶対カイザーはそんなに紳士じゃない。言葉では濁しながらも割とがっつり、アーシェは声音に本音を滲ませていたが、サリースは聞き取っている余裕がなかった。
もうすぐランドルフの結婚式。その目前に混乱するようなことも言えず、真剣に考え込むサリースに、アーシェは口を噤むしかなかった。
「……多分、違うと思うわ……」
でもちょっと本音は漏れ出していた。
「……ねぇ、アーシェ。ごめん、私今日はもう帰るね。相談しておかげで色々整理できたみたい」
「しゃりー、かえっちゃうの?」
立ち上がったサリースに、アリスが積み木を放り投げて慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんね、アリス。また遊びに来るからね」
「アリス。サリーにちゃんとバイバイしようね」
悲しそうに俯くアリスに、アーシェは優しく言い聞かせる。名残惜しそうな瞳を向ける子供達を優しく撫でて、サリースは馬車に乗り込むと行き先を告げた。
「……ちゃんと幕を引かないと」
古い物語に。そして新しい物語を始めるためには、しなくてはいけないことがある。そもそもそのために帰国したのだから。
サリースはようやくその答えが見つかった気がして、目前に迫った結婚式の準備のために馬車を走らせた。
※※※※※
馬車を見送ったアリスに、エルナンとロシュが顔を見合わせた。不満げに頬を膨らませたアリスが、
「しゃりー、うれしそうじゃなかった……!」
むすっと呟く。エルナンとロシュも困ったように眉を下げる。
「きょうもママに、けっこんするっていわなかった……!!」
「でもちゃんとかいじゃーは、にいさまのはなたばをプレゼントしたよ?」
「うん、サリーも僕にありがとうって言ってくれた」
「でも、けっこんするっていってなかったもん! げんきもなかったもん!」
むすくれるアリスに、エルナンとロシュもしょんぼりと頷いた。ちゃんとプレゼントもしたのに、全然サリースとカイザーが結婚しない。アリスが言うように、今日のサリースは楽しそうな顔をしていなかった。
「きっとかいじゃーが、しゃりーにやさしくしてないんだよ!」
「うん……カイジャー、約束したのに!」
プリプリするロシュに、エルナンも頷く。優しくしていたらもっと嬉しそうなはずだから。
「かいじゃー、きらい!」
怒るアリスにエルナンとロシュも拳を握る。
「かいじゃーにちゃんといわないと!」
「そうだね。ランドルフおじさんの結婚式にカイジャーも来るから、その時に言おう!」
バルトル=クロハイツ家の子供達は決意に燃えて頷きあった。カイザーが悪い。息をするように決めつけた三人の中に、カイザーはそんなことしないと言ってくれる味方は誰一人いなかった。
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