いつかの中庭

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いつかの中庭

 カイザーの穏やかな声が『黒い猫と白い猫』を優しく語りだす。  この物語の作者は児童書の世界において、大きな発言力を持つ図書館員には評価されなかった。でも各国の親子にこそ愛された。特に『黒い猫と白い猫』は、他国では異人種間結婚を連想させると論争まで巻き起こした。けれど多様性に寛容なデルバイス国では、王族の寝物語として採用されていたらしい。  デルバイス国の自由への寛大さは、いつかサリースを傷つけるかもしれない。でもその一方で激しい論争の火種となった、この名作を容易に許容してみせたりもする。  誇らしく愛すべき祖国。その祖国の頂点が今、自分のためだけにこの物語を優しく語る。    とても仲良しな真っ黒な猫と真っ白な猫。いつも二人で転げ回り、じゃれあって共に眠る二匹の猫。でも黒い猫が時々考え込むようになった。とても悲しそうに、深刻そうに。  そのたびに白い猫は黒い猫に尋ねた。「どうしたの?」と。黒い猫は「うん、僕、ちょっと考えていたんだ」と答えるだけだった。  かくれんぼをして松ぼっくりで遊んでいても、また黒い猫は急に座り込んで悲しそうに俯く。「どうしたの?」と白い猫が尋ねても、返ってくるのは「うん、僕、ちょっと考えていたんだ」と落ち込んだような呟きだけ。  捕まえた魚を仲良く分け合っていても、突然しょんぼりと肩を落とす黒い猫に、白い猫はとうとう問いただすことにした。近頃なにをそんなに考え込んでいるのかと。黒い猫は静かに答えた。「僕、願いごとをしているんだ」と。  それはどんな願い事なのか。白い猫が尋ねると、黒い猫は祈るように答えを返す。 「いつも、いつも、いつまでも、君と一緒にいられますようにって」  黒い猫の願い事に白い猫は、目をまんまるにした。そしてその願い事をもっと一生懸命に真剣に考えてみることを提案する。黒い猫も目をまんまるにしてもっと一生懸命に真剣に考えてみた。そして出した答えを心を込めて言葉にした。「これから先も、ずっと一緒に君といられますように」と。  白い猫は「本当にそう思う?」と念を押す。「本当にそう思う」と迷いなく返事をする黒い猫。そんな黒い猫に、白い猫は願いをとびきりの笑顔で答えるのだ。「じゃあ、私これから先もいつも一緒に、あなたとずっと一緒にいるわ」と。 「いつも、いつも、いつまでも?」黒い猫が白い猫に確かめると、「いつも、いつも、いつまでも!」と白い猫は返事をする。  ずっと一緒にいることを決めた二匹は、嬉しくなって互いの三角の耳に綺麗な花を飾りつける。幸せな二匹の様子に友達の狼やウサギが駆けつけて、月明かりの下で一晩中踊り明かす。  それから二匹は共にじゃれあい、寄り添いあって一緒に眠って時を過ごしていく。たんぽぽを探したり、かくれんぼをしたり、ご飯を食べたり。ずっと一緒にいようと約束した二匹。もう黒い猫が悲しそうな顔で考え込むことはなくなる。  そんな優しい優しい物語。読み終えたカイザーがパタリと本を閉じる。そのまま絵本をサリースの手にそっと手渡してくる。言葉もなくただ静かに、サリースは涙をこぼして絵本をゆっくりと抱きしめた。 「……古い物語を手放した君に、俺から新しい物語を」  カイザーの声に溢れ出した思いが喉に詰まった。憧れた古い物語は自分には訪れなかった。でもその先にこんなに優しい物語が待っているのなら。  サリースを抱き寄せる温かい腕、包み込むような広い胸の中。涙が喉に凝って上手く出ない声をサリースに、カイザーは優しく囁いた。 「……これから先も、ずっと一緒に君といられますように」  黒い猫のセリフにサリースは、詰まる声を懸命に押し出して、白い猫の言葉を返す。   「……ほ、本当にそう思う?」 「本当にそう思う」 「……じゃ、じゃあ、ふぅっ……わ、私これから先もいつも一緒に……あなたとずっと一緒にいるわ」 「いつも、いつも、いつまでも?」 「……い、いつも、いつも、いつまでも……!!」  サリースは振り返って両腕を伸ばして、目の前のカイザーを力一杯抱きしめる。カイザーはずるい。そんな声でこんなに優しい物語の始まりを、誰が断れるというのか。こんな人をどう手放せというのだろうか。  ボロボロと溢れる涙に構わずに、サリースはキッとカイザーを睨み上げた。   「……わた、私には……凄腕の侍女の……サ、サラがいるんです……だから着飾ったらもっと……もっと綺麗になります……!! 他に目移りなんて無理なくらいに!!」 「それは楽しみだな」 「……それに、それに……私は……本当はすごく気が強いんです……でも、い、嫌になったって言っても……離れませんから……!!」 「いいな、俺は気の強い美人が大好きだ」 「もし第二、第三夫人を迎えたとしても……わ、私は負けたりしませんから……!! 大暴れしてすごく困らせてやります……! だって……ずっと一緒にいようって言ったのは……カ、カイザー様なんですから……!!」 「そうだ。俺が君を好きになったんだ。俺が無能な王太子になったら、いくらでも困らせてくれ」  涙をこぼすサリースの両頬を、するりと大きなカイザーの手が包み込む。潤んで歪む視界の先には、燃えるような赤金の髪と、同じ色の瞳を細めて笑うカイザー。その笑みは間違えようもなく、デルバイス王国の王太子の笑み。サリースはグッと下唇を噛み締めた。かっこよくてむかつく。  気さくで優しいカイザー・デルバイスも、余裕たっぷりにちょっとシニカルな笑みを浮かべるデルバイスの王太子も、どっちもかっこよくて腹が立つ。  サリースの涙を拭ったカイザーが、優しく目を細め低い美声がサリースの鼓膜を震わせる。 「……サリー、キスしてくれ。限定セール中のデルバイス王太子に、売約済みのハンコを押して欲しい」 「……セールだなんて、うちの王太子は誰でも買える安物なんですか?」  拗ねたようにむくれるサリースに、カイザーがくすくすと笑みをこぼす。   「限定セールだと言っただろ? 情熱的で赤みの強い焦げ茶の髪、スラリと背の高い華やかな美人。華奢なのに魅惑的な巨乳で、《言語》のギフトをもつ女神限定なんだ。おまけに気が強くてやきもち焼きじゃないとだめでね。やっと買い手が見つかった」  とろりと瞳を蕩けさせるカイザーに、サリースは最後通牒を囁いた。   「私は手間がかかる面倒臭い女ですよ。買ったら最後、絶対に手離しませんから……」 「恋人甲斐があって理想的だな。サリー、頼むよ……早く俺にキスしてくれ」 「……知りませんからね……」  瞼を伏せてゆっくりと唇を近づける。カイザーは微動だにせずに、サリースからの口付けを待っている。唇が重なった瞬間、腰に回されたカイザーの腕が強くサリースを抱きしめた。   「……あぁ、サリー。愛してる」  ゆっくりと離れる唇を惜しむように、熱に浮かされたように囁くカイザーの声に、サリースは微笑んだ。少しも嘘の滲まない愛しい声。今自分は間違いなく愛されている。抱きしめられた腕の中でうっとりしていたサリースに、 「……ときにサリー、値段なんだけどな。キスだけじゃなく……」  声のトーンを変えたカイザーが囁いた。言いながらするりと太ももを滑る手を、サリースは慌てて抑えつける。 「きょ、今日は無理です! 今更お値段を変えるなんて詐欺ですよ!」 「……はい」  そのいかにも渋々の返事に、サリースは思わず笑い出しもう一度唇を重ねる。  憧れ続けた古い物語が幕を閉じ、優しく甘い新しい物語が幕を開けた。これから紡がれる新しい物語が、いつも、いつも、いつまでも誠実で温かい言葉で綴られていくことを心から願った。  互いの三角の耳を綺麗な花で飾り付け、狼とウサギが月明かりの下一晩中踊り明かす祝事は、この日からちょうど一年後に訪れることになる。   ※※※※※  カイザーの執務室前で立ち止まったサリースに、扉を守る衛兵は丁重に礼を取りほんの少しだけ扉を静かに開けた。   「……ねぇ、俺言ったよね? ちゃんと公用語で! 二度と持ってくるなって言ったよね? エイデン。自白剤にこれ以上味のバリエーションは必要ない。ロイド。嫁のストーカーのために王家の影の人員は増やさない。分かったら今すぐそのアホな申請書をゴミ箱に捨てて、もっと有益な仕事しろ」 「だが、まずいと自白される。希少果実の宝石桃を試したい」 「国の要人の妻子の安全は最優先される必要があるのでは?」 「……黙れ。何を言おうと許可しない」  深いため息と共に吐き出したカイザーに、サリースはちょっと眉尻を下げた。  双璧の上司って罰ゲーム。今日も()はデルバイスの双璧に胃の耐久度を試されているらしい。かわいそう。サリースは心配そうな衛兵に頷いて見せると、衛兵が丁寧に扉を開ける。 「お仕事、お疲れ様です。それそろ休憩でもどうかとお誘いに参りました」 「……サリー!」  執務室に入ったサリースにカイザーが嬉しそうに立ち上がる。ロイドが不機嫌そうに眉根を寄せ、エイデンは無表情で腕を組んだ。 「……サリー、今重要な話の最中だから邪魔しないでくれる?」 「私はカイザーが宝石桃を買うと約束するまでここを動かない」  頑固に居座る姿勢を見せる双璧に、サリースはにっこりと優雅に笑みを浮かべた。 「……そうですか。ではアーシェと子供達には、お茶会は不参加だと伝えておきますね? せっかく中庭に来てくれてるのに残念です」 「え! アーシェ来てるの?」 「訂正する。私は今すぐアーシェとお茶を飲むことにする」  挨拶もなくバタバタと執務室を飛び出した双璧を見送っていると、ふわりと背後からジャスミンが香ってそのままそっと抱きしめられる。 「……サリー、ありがとう、助かった」  疲れ切ったカイザーの声に苦笑しながらサリースが振り返る。しおしおとくたびれている夫の腰に腕を回し、啄むように口づけをして笑みを浮かべる。   「ふふっ、ちょうどタイミングが良かったんです」 「サリー……君は俺の女神だな……」 「カイザー様、こちらへ……」  ちょっとだけ元気になったカイザーの腕を取ると、サリースはバルコニーへと誘導した。今すぐ新鮮な空気と日差しを、ダメージを受けているだろう毛根に上げたかった。禿げちゃう。  バルコニーに出ると爽やかな風が吹き抜け、明るい陽光がふわりと全身を包み込む。目を向けた眼下にはとりどりの花が咲き乱れる、王宮の中庭が広がっている。  双璧は早速アーシェの捕獲に成功していた。両側からがっちり腰をホールドして、動きにくそうなアーシェとニコニコとお茶を楽しんでいる。 「母様、見て。カエルがいたよ! あ! 父様! パパ! 」 「え、パパと父様!? やった! ママー! もうおやつ食べていい?」  中庭で遊んでいたエルナンとロシュが、お茶をする両親に気づき嬉しそうに駆け出した。   「あ、エルナン、ロシュ、まってよ! ぼくも……」  その後ろを燃えるような赤金の髪をした、小さな次期王太子が慌てたように立ち上がって駆け出した。その光景に日干し中のカイザーが、眩しそうに目を細めた。 「……ああ、いつかの中庭の光景だ。サリー、君のおかげだ……」  小さく囁いてサリースの腰を引き寄せたカイザーが、屈んで頬に口付けを落とす。くすぐったさにサリースはくすくすと笑みをこぼした。 「あっ! ちちうえー! ははうえー!」  エルナンとロシュをを追いかけていた、カイエンが足を止めるとバルコニーを降り仰ぐ。パッと嬉しそうに顔を輝かせ、カイザーとサリースに小さな手を一生懸命に振る。サリースが微笑んで手を振りかえし、カイザーを見上げた。 「カイエンが呼んでるわ。私たちも中庭でお茶にしましょう」 「そうだな」  放り投げられたアホらしい申請書を、しっかりとゴミ箱に放り込んでから、友人家族と息子の待つ中庭へと向かう。  かつてエイデンとカイザーが、幼少時を過ごした中庭。  ちっさなエイデンのエルナンと、ミニチュアカイザーのカイエンが並んでお菓子を頬張る姿は、いつかの中庭が蘇ったようだった。今は二人きりだったいつかとは違って、ロイドそっくりのロシュとアーシェ似のアリスも楽しげに笑っている。  二つの家族が共に響かせる笑い声は、高く澄み渡る青空に吸い込まれていく。穏やかな陽光の下、デルバイス王国は今日も平和で賑やかだ。  サリースが手にした新しい物語は、今も変わらず優しく甘い毎日を紡ぎ続けている。  完    
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