犬猿の仲

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犬猿の仲

 婚活茶会から三日。ハンコを持ったまま虚空を眺め、悩ましげなため息をつくカイザーは、ロイドの虫を見るような視線にも気づいていなかった。   「……はぁ……」 「カイザー、カイザー。ここにハンコを押せ」 「……ああ……」  執務室を訪れていたエイデンが、ぼんやりとしているカイザーにグイグイと書類を押し付ける。生返事をしながら書類を受け取ったカイザーから、ロイドが書類をひったくる。 「ダメです。こんなアホみたいな申請は通しません」 「ロイド、邪魔をするな」  ギャーギャー揉み合う声に、ハッとカイザーが覚醒する。掴み合う双璧の手からひらりと落ちてきた書類を拾って、中身を確認したカイザーは目を剥いた。 「はぁ? なんだこのアホみたいな申請書は! もう自白剤に味の種類を増やすのはやめろと言っただろ! どうせ不味い! ロイド、捨てておけ!」 「そのアホみたいな申請書に、まさにハンコを押すとこだったんですけどね……」  美味しい自白剤のために大金をかけようとしている、アホな申請書をロイドがふふんと破り捨てた。エイデンがぐぬぬとロイドを睨みつける。  二人が睨み合っている横で、カイザーは再びため息を吐き出した。婚活お茶会からため息が止まらないカイザーに、ロイドが顔を顰める。 「殿下、その鬱陶しいため息をやめてもらえませんか」 「鬱陶しいとはなんだ! 切ない男心に対して失礼だぞ!」  言い返したカイザーに、ロイドがやれやれと首を振った。 「サリーはやめておいた方がいいです」 「サリース嬢は見どころがある。エルナンの口元も、ロシュの耳の形も瞬時に見抜いた」 「サリーが? まあ、サリーならわかってもおかしくないか……アーシェマニアだし……」  いやそうに顔を顰めたロイドに、カイザーはますますうっとりする。 「すごいな、あのマニアックなポイント理解できるなんて……素晴らしい……」  カイザーにはさっぱりわからない。   「彼女の情熱的な髪色、魅惑的な唇、グラマラスなボディ。最高……我が国にあんな女神がいたなんて……ああ、サリース嬢……」 「グラマラスなボティって、どこ見てるんですか。最低ですね。魅惑的な唇とか、罵詈雑言しか吐いてませんでしたよ?」  だいぶ最低で重症そうなカイザーに、ロイドが呆れたように肩をすくめる。 「いいですか? 確かに僕はサリーとは犬猿の仲です。ですがやめた方がいい理由はそれだけじゃありません」  顔を見合わせたエイデンとカイザーに、ロイドは腕組みして眉を跳ね上げた。 「サリーのギフトは《言語》です。家業も貿易を営んでいて、しょっちゅう国外に行っています」 「おお! それなら国外情勢にも詳しいだろうな。理想的じゃないか!」  顔を輝かせたカイザーに、ロイドは首を振った。 「問題は国外に逃亡する理由の方ですよ」 「……理由?」 「サリーはアーシェの兄、ランドルフ義兄さんに長いこと粘着してます。しつこくね」 「粘着って……お前が言うのか……?」  お前だけは言っちゃいけないやつ。顔を顰めたカイザーにエイデンも頷いた。   「そうだな、ロイドは言ってはいけない」 「なんでさ! とにかくサリーは義兄さんに恋人ができたり、言い寄る女が現れるたびに国外逃亡するんです。別に行く必要があって行ってるわけじゃない」 「ロイドとは真逆か」  エイデンが納得したように頷いた。カイザーが胡散臭そうにロイドを見やる。徹底的に相手を潰しにかかるロイドと、傷心に逃亡をはかるサリース嬢では、確かに性格が正反対だ。でもそれがなんだというのだ。 「険悪な理由は相性がよくないからか?」  首を傾げるエイデンの疑問に、ロイドが苦々しく表情を歪めた。 「……サリーはことあるごとにアーシェと僕の邪魔をするんだよ」 「そうか。善良で勇敢だな」 「はあ? 邪魔をしてきたって言っただろ? 僕の話し聞いてる? サリーはアーシェの親友を気取って、散々迷惑をかけられたんだ! いつかアーシェが僕を捨てる決心がつくかもとか言って、婚前旅行についてきたりとか。おかげでアーシェとの初めてを迎える計画が何度も狂わされたんだ!」 「逆恨みじゃん……」 「ふむ、サリース嬢には後で礼状を送付するとしよう」  カイザーはロイドにドン引きし、エイデンはサリースの健闘に感心した。ロイド相手にそこまでやれるのは確かにすごい。 「……でも、そうか……想い人がいるのか……」  さっきまでの幸福感が弾けて、しょんぼりと肩を落としたカイザーにエイデンが首を傾げる。 「ランドルフには婚約者がいる。近いうちに結婚するぞ」 「えっ! そうなの!?」 「相手は幼馴染だそうだ」  エイデンからロイドに振り返ったカイザーに、ロイドも頷いて見せる。 「だね。サリーとは違ってハムスターみたいな人ですよ。僕も子供の頃、何度か遊んだことがあります」 「あ……でも第二夫人とか……」  あれだけの美人だ、心が揺らがないわけがない。巨乳だし。自由恋愛の国、デルバイス王国では重婚も珍しくはない。俯いたカイザーにロイドが、呆れたようにため息を吐いた。 「タンハイム家ですよ? 殿下みたいに何人も伴侶を持とうなど、考えるわけないじゃないですか」 「は? 俺は一夫一妻主義だ!」 「僕のアーシェに王命でとんでもない変人を押し付けといて?」 「うっ……!!」  冷たくアイスブルーの瞳を眇めたロイドの嫌味に、カイザーは気まずそうに言葉を詰まらせた。もうロイド(変態)がいるのに王命でエイデン(変人)を押し付けたカイザーは、小さくなって俯いた。ロイドはどうでもいいけど、アーシェには申し訳ない。すごい大変だろうから。小さくなったカイザーに、ロイドが冷ややかに肩をすくめる。 「ま、義兄さんはサリーの気持ちなんて全く知りませんけどね。遠くからもじもじ見つめてるだけですし。流石に存在は認識してると思いますけど」  カイザーはゆっくりと顔をあげた。タンハイムは確かにのんびりとしか言いようがない一家だった。そこで育ったアーシェにも、元々は重婚の倫理観はなかった。 「……それなら俺にもチャンスが、ある……?」  希望に目を輝かせたカイザーに、ロイドが眉尻を下げた。 「……諦めるどころかやる気を出すんですね……殿下、サリーですよ? 確かに美人だって人気はありましたけど、口は悪いし性格もああなんですよ?」 「ロイド、お前は言ってはダメだ」 「はぁ?」  エイデンはロイドの特大ブーメランを、嗜めるように頷いた。 「エイデン、よく言った」  カイザーも心の底から同意した。大まかな情報と、恋敵の存在。カイザーは咳払いをして、表情を改めるとロイドに向き直る。 「……それで、ランドルフ殿はどんな人なんだ?」 「え……本気ですか?」  呆れ声を出したロイドに、赤金の瞳を据えたまま逸さなかった。  想いは募るばかり。見た目はドストライクの女神。ロイドにも一歩も引かない強さ。おまけに隙あらば暴走しまくる双璧の、唯一の手綱を握るアーシェの親友。まさに理想の人。  前のめりで真剣に見つめてくるカイザーに、ロイドは戸惑うように口を開いた。 「どうって……義兄さんは……」 「すごい」  エイデンの言葉にロイドも頷いた。急に語彙力が死滅したエイデンに、カイザーは眉根を寄せた。 「……すごい?」 「確かに義兄さんは、すごいね」 「……どうすごいんだ?」 「なんていうか……義兄さんは説明が難しい人なんです」  珍しく困ったような曖昧な表情を見せるロイドに、エイデンが頷きながらカイザーを見やった。 「会ってみるか?」 「え、会えるの?」 「会えますよ。ちょうど結婚の準備で王都に来てますからね。ただし会うなら飲み会のつもりで来てください」 「飲み会……? まあ、分かった。できるだけ早く会わせてくれ」  女神が国外逃亡してしまう前に。まずは恋敵を知り、対策を練ろうとカイザーは熱く拳を握った。  
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