恋敵、ランドルフ・タンハイム

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恋敵、ランドルフ・タンハイム

 恋敵の正面に陣取り、カイザーはちょっと緊張していた。ロイドの起こした拉致事件と結婚式。顔を合わせた時は、時間がなくて話す暇はほとんどなかった。  第一印象は陽気な好青年。そしてその印象は大きく間違ってはいなかった。カイザーはごくりと喉を鳴らして、楽しげに笑うランドルフを見据えた。 「急ですまない。何度か顔は合わせているが、改めてカイザー・デルバイスだ」 「ランドルフ・タンハイムです。乾杯しましょう!」  渡されたグラスを軽く合わせて口をつける。瞬間、カイザーはぶふぅ!!と勢いよく吹き出した。 「まっず!! なにこれ、まっず!!」 「あ、だめでした? おかしいな絶対にいけると思ったのに」 「ランドルフ、これはどうだ?」  衝撃的な不味さに呆然とするカイザーを、ロイドがニヤニヤと眺める。その横でエイデンが慣れた様子で、高級酒をランドルフに手渡した。 「すいません、殿下。これを混ぜれば美味しくなるはずです」 「え、聞いていい? なんで混ぜるの?」 「探究心ですよ! 美味い酒をより美味く楽しむためです!」 「台無しなんだが?」  一時間後、敵情視察に来たはずのカイザーは正面に座るランドルフより、グラスの酒をじっと熱心に見ていた。 「すごいな。ラモートとラシェルだぞ? どうしてこんなにまずくなるんだ? 雑草を茹でた汁に雑巾の絞り汁を混ぜたみたいだ」 「義兄さんが混ぜると、なんでもまずくなるよね。これはもう才能だと思う」 「ランドルフ、なぜ足す。引くことも時には重要だ」 「そんなにか? うぇっ! なんだこれ。腐らせたりんごにラー油を垂らしたみたいな味がする」 「やめるんだ、ランドルフ。それを飲まねばならん王太子がここにいる」  男たちはランドルフの酒を押し付け合いながら、語彙力の限りそのまずさを正確に表現しようとしていた。つまりは完全にできあがっていた。カイザーはここに来た理由を、だいぶ忘れかけていた。 (……タンハイム家って、やっぱ特殊なギフトを持ってる?)    ロイドがケラケラと笑い出し、エイデンまで顔を赤くしてゆらゆらしている。ロイドばかりかエイデンまでくつろいでいる様子に、カイザーはグラグラする頭を支えながらぼんやりと考えた。人を大らかにする、なんかそういう特別なギフト。  そんなことを考えているカイザーさえ、ついつい酒が進んでしまっていた。恋敵を知るためにきたはずなのにまるで旧知の仲のように、気安く交わされる会話がひどく心地いい。なんかすごい楽しい。カイザーはにへらと笑みを浮かべた。 (……サリース嬢はこの男に恋したんだなぁ)  好きな人の好きな人は、確かに説明が難しい男だった。豪快に笑う笑顔が好ましく、陽気で器が大きい。そのでっかい器にあれもこれもぶっ込んで、全部混ぜ合わせて飲み込んで楽しげに笑う。物理的にも人間的にも。彼はそんな男だった。  ランドルフの前では、身分も能力も容姿も瑣末なことに思えてしまう。カイザーにはない魅力は到底かないそうにないのに、妙に気分がよかった。ランドルフの懐の深さが、まるで自分にまで伝播したかのように。  彼女が恋した男が、ランドルフだったことがなぜか嬉しく感じる。彼女のそういう基準で男を選ぶ人なのだ、と。   「俺の妹は幸せそうだな。仲良く暮らしてくれてて、兄ちゃんは安心だ。これからもアーシェを頼むぞ!」  呂律の怪しいランドルフが、豪快に笑いながらエイデンとロイドの肩に腕を回した。 「よく言うよ。義兄さん、さっぱり顔をみせないじゃないか」 「ロイドとエイデンがいるから安心してるんだ」 「はいはい。任せておいて。エイデンはお荷物だけど、僕がアーシェを幸せにするよ」 「うむ。安心していていい。ロイドは私が見張っておく」 「うんうん。仲良しだな」 「ランドルフ、眼科に行ってこい」  肩をすくめてみせたカイザーに、ランドルフが振り返り、ふと思いついたように首を傾げた。   「そういえば殿下は結婚しないんです?」 「え、あ、ああ、真剣に考えてはいる」 「へー、お相手は? もうプロポーズしたんですか?」 「あ、それはまだで……」  ニヤニヤとロイドが見てくるのを睨みつけながら、カイザーはぐいっとグラスを飲み干した。干葡萄のような甘さが、いつまでも残る泥水。液体しか混ぜていないのに、ちょっと粉っぽい。 「殿下のお相手なら相当な美人なんだろうなー。あ、よかったら殿下も俺の結婚式に来てくださいよ。お相手の方も一緒に。アーシェに招待状を渡しておきますから!」 「あ、ああ……ありがとう……」  その相当な美人に長年想いを寄せられている恋敵は、他意なくニッカリと笑みを浮かべた。 「それで殿下はどこに惚れたんです?」 「それは……」 「情熱的な髪色、魅惑的な唇、グラマラスなボディだって」 「あっはっはっ。殿下は面食いなんですねー」 「ランドルフはどうなんだ?」 「俺? あー……結婚を考えた時に真っ先に浮かんだから、かな……」    小首を傾げたエイデンに、ランドルフと照れ臭そうに笑った。その笑みの柔らかさにカイザーはグッと息を詰め、急に痛んだ胸を押さえる。 「え、でも義兄さん達、別に付き合ってたりしてなかったよね? 学生時代は義兄さんもリサーラ義姉さんも別々に恋人いたし」 「そうなんだよな。でもなんでか結婚する相手として、思い浮かんだのはリサーラでさ。リサーラもそうだったらしい。妙に腑に落ちて、最初からそう決まってたのかもなって思ったんだ」 「ふーん」 「おっと、柄にもなく恥ずかしくなってきた。ちょっとトイレに行ってくる」  幸せそうに照れて笑いながら、ランドルフが立ち上がった。まずい酒がますます苦く感じて、カイザーはグラスを握り締め俯いた。カイザーはそうしてしばらく俯いてたが、ゆっくりと立ち上がった。 「……俺も行ってくる」  なんでかジクジク痛む胸を押さえながら、カイザーはフラフラと廊下に出た。ふと人の気配を感じて、カイザーは足を止め顔を上げる。 「え……サリース嬢……?」  酔っての幻覚にしては、はっきり見える美貌に、カイザーは目を見開いた。  差し込む月明かりに浮かぶ、赤みの強い焦茶の髪。スラリと背が高いグラマラスなボディライン。心臓を鷲掴みにされるような華やかな美貌。  サリースはピッタリと壁に張り付いて、チラチラと廊下の向こうを気にしている。勝気な瞳を潤ませて、不安そうな表情で。見つめる先でランドルフが、ヨタヨタと歩いて廊下に消えたのが見えた。 『ま、義兄さんはサリーの気持ちなんて全く知りませんけどね。遠くからもじもじ見つめてるだけですし。流石に存在は認識してると思いますけど』  ロイドの呆れたような声音が蘇る。堂々とロイドを罵倒していた勝気さは鳴りを顰め、怯えるように身を小さくして、それなのに目を離せないかのように揺れる瞳。サリースはカイザーにも気づかずに、ランドルフが消えた廊下を一心に見つめている。 (ずっとこんなふうに……)  思い続けていたのだろうか。こんなに綺麗なのに。そんなに不安そうに。とても寂しそうに。カイザーの胸が、ますます痛みを増した。曖昧だった胸の痛みの理由が、ゆっくりと沁みてくる。  納得がいかない。こんなに美しい人に想われているのに。その想いにすら、ランドルフは気づきもしていないことが。息が止まるかと思うほどサリースは美しい。それなのに釣り上がった勝気な瞳は、とても不安げで寂しそうで。  誰を想うかなど自由。分かっているのに、サリースの想いが叶わないことが、やけに納得がいかない。サリースは幸せな笑みを、浮かべていなければいけない。そんな想いが鮮烈に焼きついて離れない。 (サリース嬢……)  それなりに恋愛経験はある。でもこんな感情を抱くのは初めてだった。見た目が理想の一目惚れ。言ってみれば見た目だけに惹かれたはずなのに、どうしてこんなふうに胸が痛むのか。  泣き出しそうに揺れる瞳に、カイザーは唇を噛み締めた。女神のような美しさは、笑顔を浮かべたらもっと綺麗なはずなのに。酔いも手伝ってカイザーは、ふらつく足取りでサリースに近づいた。 「……サリース嬢」 「ヒッ!……ででで殿下……!」  そっと声をかけたカイザーに、サリースが肩を震わせ振り向いた。驚愕に目を見開いている姿でさえも美しくて、カイザーはもどかしくなった。 (笑った顔が見たい……)    驚いて固まっているサリースの頬に、カイザーはほとんど無意識に手を伸ばした。腹の底から込み上げてくるものを感じながら、カイザーは口を開いた。 (サリース嬢……俺は貴女に……)  ぴたりと動きを止めたカイザーに、サリースが眉根を寄せてそっと声をかける。   「……殿下?」 「……ウボァッ!!」 「殿下ぁ!!」  色々と込み上げて来ていたカイザー。でも真っ先に溢れ出したのはゲロだった。  続け様に盛大にぶちまける。完全に飲みすぎたことを後悔したがもう遅かった。女神のように美しい(ひと)にゲロをぶちまけて、カイザーはパッタリとその場に倒れたのだった。
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