深夜の告白

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深夜の告白

 その場に取り残されたサリースは、熱くて仕方ない顔を上げられなかった。 「あ……その……サリース嬢、廊下は冷える。よ、よければ中に……」 「…………」  喉は詰まってしまって声が出ない。サリースは小さく頷いて、恐る恐る部屋に足を踏み入れる。シンと静まり返った部屋で、向かい合って座ると、ただもうひたすら気まずかった。  そわそわするカイザーの気配に息が詰まる。しばらく沈黙が続いたが、やがてキリをつけるように、カイザーが小さく息を吸い込んだ。 「サリース嬢、わざわざ足を運んでもらってすまない。本来なら俺が出向くべきだったのに……」 「い、いえ……そんな……」  顔を上げられないまま、サリースはカイザーの声を追った。顔が見れないせいで、余計にはっきり届く声。低く穏やかな響きと誠実な声音に、ギフトは喜ぶように緩やかに魔力を巡らせる。  なんの含みももたない、カイザーが発した()()。望まずとも聞き取れる、本音の在処。サリースのギフトはそういうギフトだった。カイザーの声は、少しの心配と不安、申し訳なさそうな響きだけをサリースに届ける。 「改めて申し訳なかった……少し飲み過ぎてしまって……」  だいぶ、です。正直ドン引きだったサリースは、寸でのところで言葉を飲み込んだ。   「本当に、お気になさらずに……」  全ての印象をひっくり返す強烈な一撃(ゲロ)。これ以上のことは起きたりしないと思っていた。それなのに。心臓が肋骨に激しくぶつかり続けているのを感じながら、サリースはチラリとカイザーを盗み見た。 (き、聞き間違いよね……)  意図せず盗み聞きしてしまった会話は、まるでサリースに片思いしているかのように聞こえた。嘘も偽りもなく、下心も滲まない言語()で。  強国デルバイスの王太子。若干白目でゲロっていなければ、赤金の瞳と髪の精悍な美男子だ。おまけにとても優秀。引く手は数多で他国の王女(お姫様)でも得られる人。それなのに。 (勘違いしちゃダメよ! サリース・テンべラード)  自分がどんな目で見られる女なのか。忘れてはいない。派手でキツめの目立つ顔立ちに、平均より高い身長と張り出した胸。舐め回すような視線に、褒め称える言葉にはいつだって下心が紛れていた。  両親と読み聞かせの子供達。親友のアーシェと、アーシェにしか興味のないロイドとエイデン。そして目元がアーシェにそっくりな、彼女の兄ランドルフ。サリースに含みのない言葉をくれるのは、ごく限られた人しかいなかった。どこに行っても、何をしようと。  思い出した現実に心臓が急速に冷えて、ストンと冷静さが落ちてきた。サリースは熱の引いた顔を上げ、微笑みを浮かべる。 「本当に大丈夫です。どうかお気になさらないでください」  王子様が自分に恋をする。下心のない切実な気持ちで。そんなのまるで童話のようだ。そんな童話を信じるほど、もう幼くも夢見がちではなくなった。あの絵本のような恋は、自分に訪れたりしない。お茶会でも向けられた、同級生達からの視線を忘れてはいけない。  サリースは顔を上げると、にっこりと笑みを浮かべた。愛想のいいよそいき用の笑みに、カイザーが傷ついたように顔を歪める。 「殿下……?」 「……サリース嬢……聞かなかった振りはやめてくれないか……」 「あ、の……」  ひどく傷ついたような響きに、サリースは戸惑った。気遣う不安げに揺れていた声音は、苦しげに怒りの響きさえ帯びている。サリースを見つめるカイザーの瞳が強く輝き、その輝きにサリースは射抜かれたように魅入られた。 「返事は分かっている。貴女は長年ランドルフを想っているから。俺の気持ちは迷惑だろう。でも聞こえなかったふりはやめてほしい」 「でも……」 「……一目惚れだった。でも今はランドルフに想いを寄せる姿さえも、いじらしく思う……つまりもう手遅れだと思う……」  ドM? 思わず出かけた言葉を飲み込んだ。自分以外に想いを寄せる相手など、苦しいばかりだ。少なくともサリースは理解できない。そういう想いを知っているから。それでも言葉の響きに嘘が聞き取れないことが、サリースをひどく混乱させた。知っているのにどうしてそんな誠実な響きの声で語りかけるのか。  戸惑うサリースに半ばやけくそのような勢いで、カイザーが前のめりに身を乗り出してくる。   「俺は貴女が好きだ! 結婚を前提としてお付き合いしたい!」 「えっ! け、けけ結婚っ⁉︎」  段階を二足跳びした叫ぶような告白に、サリースは呆気に取られた。なんでこうなったのかも、どうしてそうなるのかもさっぱりわからない。それでも今のサリースは真剣そのもののカイザーに、返せる言葉は一つだけだった。 「私、は……」 「あぁ! だめだ! 今すぐ答えるのはやめてほしい!!」  カイザーは手のひらを突き出して、答えようとしたサリースを全力で遮った。   「えぇ……」  聞かなかった振りに怒り出し、告白に答えを返そうとすると全力拒否。自分勝手。呆然とするサリースに、カイザーが真顔で詰め寄った。 「出会ってからまだ二度しか顔を合わせていない。その間俺ができたことといえば、ゲロをかけたことだけだ。そんな状態で返事をしないでほしい!!」 「…………」  そうはそう。誰かに相談された内容なら、結末は確定だ。確実にフラれる、圧倒的なマイナス。   「ちゃんと俺を知ってから答えてほしい!」  カイザーの必死さに、サリースは困惑した。ゲロをかけたのも、唐突に告白しだしたのもカイザー。それなのに要求されるペースは、サリースではなくカイザーのペース。王太子だからだろうか、結構図太い。  理由がわからないことも、混乱に拍車をかける。出会ったばかりで、互いのことを何一つ知らない。言ってみればゲロをかけちゃった、恥を晒した相手。そして他に心に思う相手がいる。カイザーが自分にこだわる理由が分からない。必死の形相で迫ってくるカイザーのその切実さだけが、間違えようもなく伝わってくる。ゲロをかける以外にも、できることがある、と。 『……そうじゃなくて、ただ俺はサリース嬢に笑って欲しくて……俺が……笑わせられたらって、そう思っただけで……』  鼓膜の奥に聞こえてきてしまった会話が蘇る。嘘のない響き。まるでサリースの痛みに、共感しているかのような声。耳朶から入り込んで、全身に巡るように鼓動を早めた言葉。この目立つ容姿以上の価値を認めてくれているかのようなカイザー。そんなはずないのに。 「俺はランドルフのようにはなれない。でも俺だからできることもある! 国外へ行ってしまう前に、俺なら貴女の話を聞いてあげられる!」 「……私は……」  惑うようにサリースの新緑の瞳が揺れる。鉄壁に閉じていた心にできた僅かな隙間に、カイザーは助走をつけて勢いよく駆け込んだ。 「まずはお友達から! どうか! よろしく! お願いします!!」  バッと差し出された手と気迫に圧倒され、条件反射的にサリースは思わず握り返した。その意味に気づいて、ハッと我に返って顔を上げると、赤金色の瞳を細めたカイザーと目が合う。 (どうして……そんなに嬉しそうな顔をするの……)  違うのに。そんなわけないのに。訂正しようとした言葉が詰まる。わけもなく滲みそうになった瞳を伏せて、握り返してしまった手を見つめた。振り解けない手は大きくて、とても暖かく感じた。  対面することなどないと思っていた王子様。そんな彼が出会ったばかりの自分を好きだと言っている。嘘も偽りも聞こえてこない声で。他の男を想ったままでいい。まずは自分を知ってほしい。そんなふうに懇願までして。 (夢、でも見てるの……?)  呆然としたままサリースは、上手く現実を飲み込めなかった。まるで童話のような出来事が、自分に降りかかっていることが信じられなかった。 ※※※※※  サリースに用意された客間に入ると、静かに扉を閉めた。 (私は魔女なのに……)  配役はいつだってお姫様ではなく、せいぜいが悪い魔女。色目を使って騙して惑わす悪い魔女。トラブルに巻き込まれ続けた学園時代。そうじゃないと言ってくれるのはアーシェだけだった。  ふわふわとした思考のまま、ふらふらとベッドへと歩み寄る。ポスンと腰掛け、パタリと身体を倒す。枕元に置いた童話が目に入った。 『胴が長めの、ラプンチェル』  大好きだった絵本。ランドルフと出会ったきっかけになった本に、サリースはそっと手を伸ばした。いつかこんな恋が訪れると夢を見て、こんな恋は訪れないと諦めた。サリースに寄せられるのは、いつだって下心。目立つ飾りとしての恋人だった。宝物をくれる人はいなかったし、身体を張って助けたりもしてもらえない。替えの効く女。 『俺は貴女が好きだ! 結婚を前提としてお付き合いしたい!』  カイザーの告白が蘇り、思わず絵本を抱きしめる。 「でも殿下の、声には嘘はなかったわ……」    真剣に言い募る表情に、言語に少なくとも嘘は聞こえなかった。どうしてかあの声に、胸がきゅっと引き絞られる。 「デルバイスの王子様なのに……」  王子様。絵本のお姫様に憧れた、幼い頃の夢みがちな自分が目を覚ましたかのように、とくりと心臓を揺らした。そのまま落ち着かない鼓動に、サリースは絵本を強く抱きしめた。自分はランドルフが好きなのに、どうして顔まで熱くなるのか。  サリースは突如訪れた童話のような出来事に、どうしたらいいのか分からずただ絵本を抱き締めて蹲る。目が覚めてトイレに起きたら想い人がいた。幻かと見つめていたら、背後には王子様がいた。そしてゲロをかけられた。その上、自分を好きだと言う。  サリースは目を閉じて絵本を抱きしめたまま呟いた。 「ここは童話の世界じゃないのに……」  確かに信じられないようなことが、立て続けに起きてはいた。  ただ、ちょっとアレな告白とか、ゲロをぶちまける王子様とか。童話のようにロマンチックと言い張るのは無理がある。とうに処理能力の限界を迎えていたサリースは、残念ながらその事実に気づくことはできそうになかった。  
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