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アリスの待ち人
※リクエストありがとうございました。公開遅くなって大変申し訳ありません。楽しんでいただけたら嬉しいです。
※時系列、キャラ設定、ギフト、世界観などは、ウェブ版ではなく、本筋はそのままに大幅な加筆修正(激太り……)を加えた発売中の書籍版に準拠しています。(2023年12月1日 ピッコマにて先行配信開始。12月22日に格Web書店にて通常配信開始しました)
書き上げた手紙に封蝋を押して、ふっとため息をつく。窓の外には中空に浮かぶ、美しい月。
「デルバイス王国でも綺麗に見えているかしら……」
下弦の月の美しさが、遠い異国から祖国への郷愁を呼び覚ます。封をしたばかりの手紙をそっと撫でて、サリース・テンべラード伯爵令嬢は小さく笑みを浮かべた。
「アーシェは全然変わらない……」
いつだって優しい。親友なのにアーシェの結婚式にも参列できなかった。それなのに送られてくる手紙には、一言だって恨み言は書かれていない。
あまりにも突然だった「デルバイスの至宝」と王命での結婚。しかもあのロイド付き。絶対に大変だったはずだ。アレは顔だけ天使の悪魔だし。それでもアーシェはきっとアーシェのままだ。それに比べて自分は。
サリースはふっとため息をついて、ぽつりと呟いた。
「私もいい加減に覚悟……決めないと……」
きっと最後のチャンス。長く患った恋心を伝えるにしても、始めるにしても、そして終わらせるにしても。彼はもうすぐ結婚する。もう逃げ続けることはできなくなってしまう。
グッと苦しくなった胸を抑えて、サリースは机の映像の魔道具に手を伸ばした。起動すると親友と一緒に、ちびっこ達の笑顔がふわりと浮かぶ。アーシェとその夫達によく似ている可愛い子供達が、サリースの気持ちをほぐしてくれた。
「もうすぐ会えるのね」
独り言を落としたサリースは、ふと思いついて立ち上がった。私室を埋め尽くす本棚に、ぎっしりと詰まった宝物。
入りきらずに積み上げられた小山を、迂回しながらしゃがみ込むとお目当ての本を探し始める。引っ張り出した本は魔石が埋め込まれた、装丁も見事な東国の絵本。この異国の絵本を、子供達は喜んでくれるだろうか。
「ふふっ。ちょうど届く頃には、時期もぴったりなはず」
見つけた本に微笑みかけながら、立ちあがろうとして動きを止めた。捨てることもできずに仕舞い込んでいた、大好きだった絵本が目に止まる。目に入るたびに胸を締め付けられる、いつか自分もと夢見ていた物語。
「……バカね、覚悟を決めるんでしょ。サリース・テンべラード……」
仕舞い込んでいたその絵本を拾い上げて、ぎゅっと抱き締めながら震える声でつぶやいた。デルバイス王国に戻ると決めた。今度こそけじめをつけると。残された時間も多くはない。帰国する日は刻々と近づいている。それなのにまた逃げたくなっている自分が、たまらなく情けなかった。
まだ伝えるべき言葉も、自分の気持ちも見つけられない。絵本を抱きしめたままサリースはただじっと痛みに耐えて、その場に蹲ることしかできなかった。
※※※※※
クロハイツ邸の朝食の席には、家族勢揃いしていた。よって非常に騒がしかった。
「ロシュ、父様に人参を押し付けてはだめよ。エイデンもロシュの代わりに人参を食べないで」
「だが、ロシュはもう十分健闘した」
「エイデン、ダメよ」
一口でも食べてから、健闘を讃えてほしい。ロシュは絶望的な眼差しで、人参を睨みつけていただけだ。甘すぎる判定にアーシェはキッパリと言い渡す。エイデンが辛そうにロシュを振り返る。
「とうさま……」
「すまない、ロシュ……」
縋るようなロシュから目を逸らし、エイデンは人参をロシュの皿にそっと戻した。一方ピーマンの姿がない食卓に、エルナンは一人ご機嫌だった。
「エルナン、ジャムをつけすぎよ」
「大丈夫だよ、エルナン。ジャムならたくさんあるからね」
「ロイ、ジャムの残量の心配じゃないの」
つけすぎが問題。山と盛ったジャムにパンの白が見えない。どう見ても身体にも行儀にもよろしくない。エルナンはチラリとアーシェを伺うと、無念そうにロイドのパンに盛りすぎたジャムを分けた。アーシェは小さく嘆息する。
クロハイツ邸の食卓には、躾ができる親の数が圧倒的に足りていなかった。アーシェはロイドもエイデンもとっくに見放している。判定が甘すぎるのだ。はちみつばりに。ポンコツすぎて、あてにできない。
「ママ、しゃりー、くる?」
なんでもモリモリと食べるアリスが、ふとスプーンを止めた。咀嚼に忙しくておとなしかったアリスは、食卓にいる間に限っては、クロハイツ家の一番の優等生。でも待ち人を残念ながら、思い出してしまったらしい。
アーシェは眉尻を下げて、アリスに首を振った。
「アリス、いい子にしていたら会えるわ。戻ってきたら、すぐに遊びに来てくれるって。だからそれまでいい子にして、待っていましょうね」
お客様大好きなアリスは、お気に入りの絵本の送り主がいつ訪問するかと、毎日毎日心待ちにしている。アーシェの言葉に、肩を落としたアリスを、ロイドが優しく撫でた。
「アリス、サリーなんか来なくても平気でしょ? パパがいるんだから」
「……しゃりーがいい……」
今日も来ないとわかったアリスは、しょんぼりと俯いた。ちょっとむすっとしながら答えたアリスに、ロイドの眉がぴくりと動く。因縁の相手に負けまいと、ロイドは大人げない手段に出た。
「アリス、ほらパパのプリンをあげるよ? パパの方がいいでしょ?」
「……やっ! しゃりーがいい!」
好物で釣った挙句に振られたロイドが、衝撃を受けて顔を青くした。その様子をすかさずエイデンが、ふふんと見やる。
「ではアリス、父様がみかんを剥いてやろう」
「……いらない! しゃりーがいい!」
指を突き刺して飛び出たみかんの汁を、顔に浴びたエイデンがショックを受けたように固まった。ギフトを使わないエイデンは、この程度には不器用だ。アーシェはそっと布巾を差し出す。
文字通り目に入れても痛くない、末っ子一人娘に振られた父親達は絶望している。すかさずロシュがエイデンの皿に人参を移し、エルナンも心配そうに二人の父親を見つめながらジャム瓶に手を伸ばした。
「ロシュ、エルナン。だめよ」
アーシェが呆れたように息子達を止めた。手を引っ込めるのを確認し、アーシェはアリスにかがみ込んだ。
「アリス。兄様達と喧嘩をしないで、たくさん遊んでぐっすり寝たら、すぐにサリーに会えるわ。ね?」
「……だって、アリス、ずっとまってるのに……」
瞳を潤ませるアリスにアーシェは、サリースが帰国することを早くに伝えたことを後悔した。
三人の子供達を夢中にさせた異国の童話は、特にアリスを魅了した。童話を真似て開催したクリスマスパーティーも、とても楽しかったようで、ますますアリスはサリースに興味を持った。絵本の送り主について何度も尋ね、毎日いつくるかとワクワクしている。
プレゼントをもらったのでいい子にするのは、来年のクリスマス直前にすることにしたらしいエルナンとロシュとは違い、アリスは一生懸命いい子にしている。そうすればサリースが早く来てくれると思って。
アーシェにとってのすぐは、幼いアリスにはきっとずっと先に思えるのだろう。アーシェはそっと、アリスの頬に手を伸ばす。
「ママも早く会いたいわ。もうすぐ会いに来てくれるからね」
うるうると大きな瞳を潤ませるアリスを、アーシェは優しく抱きしめた。
子供の頃からの大切な親友のサリース。アーシェがサリースを好きなように、アリスもサリースを気に入ってくれているのが嬉しい。親友に自分が手に入れた幸せと、増えた家族を紹介する日が待ち遠しい。
「ちゃんと会いに来てくれるから、その時はたくさん遊んでもらいましょうね」
こくりと頷いたアリスを、アーシェは優しく撫でた。やっと機嫌を直したアリスから、アーシェは顔を上げる。まだ絶望したままの夫達に小さくため息をついた。再起動が必要そうだ。
「アリス、パパと父様に大好きよって言ってあげて……」
そうしないといつまでも絶望してるから。
頷いたアリスがトテトテと二人に近寄り、キスをするとようやく二人の夫達の石化が解ける。あっという間に機嫌を直して、アリスの抱っこの権利を取り合い罵り合い始めた。アーシェは呆れてため息をつくと、時計を見上げる。
「ロイ、エイデン。もう出仕の時間よ」
というかとっくに過ぎてる。夫達は聞こえないふりをした。
「ロイ! エイデン!」
アーシェはこれ以上の駄々に付き合わないように、椅子から立ち上がる。
「アーシェ、僕……」
「ロイ、ダメよ。お腹も痛くないわ」
「アーシェ、私は……」
「エイデン、魔道具は貴方の代わりになりません」
アーシェは先んじて次のセリフを制し、二人の夫ににっこりと笑みを向けた。キラキラしい夫達が、しょんぼりと項垂れる。
「殿下からお手紙が来ています。二人ともアリスと過ごす時間は足りていても、お仕事をする時間は足りていません」
堂々と遅刻し、終業時間前に帰ってくる。カイザーからのやるせなさが伝わる手紙に、アーシェは申し訳なくなったものだ。若き王太子がハゲたら、夫達のせいだと思う。まだ結婚もしてないのに。
「さぁ、みんなでパパと父様をお見送りしましょうね」
ズル休みを認めてくれそうにないアーシェに、二人の夫はすごすごと玄関に向かった。ぐずぐずと馬車に乗り込みたがらない夫達。カイザーの毛髪のためにも、アーシェはキッパリと夫達を送り出した。
どう見ても職場に行くというより、ドナドナされていく子牛。とても悲しそうだ。苦笑しながらもアーシェは、ズル休みは認めなかった。二人の夫は正直、子供たちより手がかかる。預け先がなくなるのは困る。アーシェは子供たちと一緒に、笑顔で手を振り二人を見送った。
デルバイスの双璧は本日も大幅に遅刻して、渋々王宮へと出仕していったのだった。
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