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「ただいまぁ~」
玄関の扉が開く音と、次いで聞こえた椎菜の声は、なんだかいつもより間延びしていて。
「おか……えっ」
おかえり、と日向が言い切る前に、その異様な姿が目に飛び込んできた。
何をどうしたらそんなに濡れるのだ、というほど、全身ずぶ濡れ状態の椎菜が。にも関わらず、本人はなんだかへらへらしている様子が。
何事だ、これは。
考えるより先に、日向の身体は動いていた。
【ゲリラ豪雨に遭遇した椎菜くんの話】
「日向聞いてくれよお、おれすぐそこのコンビニにマヨネーズ買いに行ったじゃん? そしたら行きは全然だったのにコンビニ出る時に急に雨が降ってきてさあ」
ビーズソファから起き上がった日向は、無言のまま脱衣所へ向かってバスタオルを取り出した。これは自分のか椎菜のか? どっちか忘れたが、そんなことはどうでもいい。そのまま椎菜の頭に被せて髪を拭き始める。やや、乱雑に。
「あ、ありがとう日向。いやー、ちょっとくらいなら大丈夫かなって思って帰ったけど、もうほんと台風級の雨で! 完璧タイミング間違ったなーって。あはは」
拭けども拭けどもきりがない。椎菜の濡れ具合はそんな状態だった。もう一枚タオルがいるな、と日向は棚を開ける。
「あ、というかあとはおれが自分で」
タオルを受け取ろうとする椎菜を、日向は「いや」と制する。「脱げ」
「えっ?」
「だから、とっとと脱げ」
「えっ、な、なにごと」
「ちげーよバカ! そんなびしょ濡れじゃ風邪引くだろうが、さっさと着替えろってことだよ!」
「あ、は、はい」
大量の水を吸って脱ぎにくくなっている服と椎菜が奮闘を始める傍らで、日向は水が滴っている廊下を拭きにかかる。余計なおしゃべりはいいからさっさと脱げよという思いから別のことを始めたのに、脱衣所からは相も変わらず間の抜けた声がした。
「なあ日向ぁー、見て見てパンツまでびしょびしょなんだけど! あははは」
「………」
「は……あ、えっ、と」
日向が露骨に眉間に皺を寄せれば、鈍感な椎菜もさすがに黙った。今度はきちんと着替えを再開したので、日向もロフトにある棚から適当な服と下着を取り出して渡す。
「ちゃんと拭いてから着ろよ」
窓から外を覗くと、今はもう小雨ではあるが確かに雨が降っていた。道路の方に目を向けると結構な大きさの水溜まりも見える。どれほどの雨だったんだよ、と日向は十数分ほど前の世界に思いを馳せた。
その事実に全く気付かなかった自分への、歯がゆさと共に。
「………日向」
おずおずと、後ろから椎菜が呼びかける。振り向けば、部屋着に身を包んだ椎菜が申し訳なさそうに縮こまっていた。
「ご、ごめん日向。その……そんなに、心配すると思ってなくて」
「………」
「……秋だし、濡れたところで平気だと思ってて……でも、実際これだけ濡れると結構寒くなるんだなって、今初めて知って……その、ごめん」
それには応えないまま、日向は椎菜の髪に触れる。まだ濡れていたそれを、椎菜が肩にかけていたタオルで拭き始めた。今度は、穏やかに。
「………拭きが甘ぇよ、バカ」
遠慮がちではあるものの、椎菜がくすぐったそうな顔を見せる。
息を一つ吐いたあと、おもむろに日向は椎菜の身体を抱き寄せた。
「え、わっ」
「………身体、冷えてんじゃねえか。ほんとおまえは……バカなんだからよ」
自分の熱で少しでも身体を温めようと、腕に、首筋にと触れて、撫でる。椎菜自身も、もっと触れたいとばかりに日向にすり寄り、首元に顔を埋めた。
よかった、温かい。確かな熱を噛み締めながら、ようやく日向は自分の思いを口にし始める。
「俺を呼ぶっていう選択はなかったのかよ」
「え?」
「スマホで連絡して俺を呼べばよかっただろって話。コンビニまで傘持ってくのなんてすぐじゃんか。おまえん家にいたんだからよ、俺が」
「……あ、そうか。その発想はなかったなあ」
「……………。今度から選択肢に入れとけ」
本当にこいつは、自分から誰かを頼ることはなくて、自身への頓着もない。
これが行き過ぎた感情なことは日向もわかっていた。頼って欲しいと願うのも、結局はエゴに過ぎないことも。
それでも、どうしようもなくそう思ってしまうのだから、それもまた仕様がないことだ、とも。
「…………ん?」
今更だよな、と思ったところで日向は違和感に気付いた。自分ではなく椎菜の、下半身の膨らみ。
「え、なにおっ勃ててんの、おまえ」
「だ、だって!」と、椎菜は紅潮した顔を日向の胸元に押し付けるようにしながら訴える。「日向とくっついたら、なんかもう、自然と」
「………そういうとこだよな、おまえって。ほんと」
「え、なにんんっ、ふ、あ」
くい、と顎を持ち上げて唇を重ねる。口内に舌を侵入させると共に、背中から服の中へと滑り込ませた右手で肌に直接触れていく。
ようやく唇を解放すれば、既に瞳を蕩けさせている椎菜と目が合う。
「温まるんなら風呂かなと思ってたけど、こっちでもいいか。ついでに気持ちよくなれるしな、俺もおまえも」
「こっち……? って」
「みなまで言わせる気かよ? えっちですなあー椎菜くんは」
にやにやと軽口を叩く日向が下半身に触れれば、椎菜がびくんと身体を震わせる。
「ひあ、ちょ……! おれ、着替えたばっかり……!」
「洗濯物がまた増えちまうな」
悪びれた様子もなく、いつものビーズソファへと椎菜を押し倒す。「ちゃんと温めてやるからよ、俺が」
強気な言葉とは裏腹に、日向の手付きは細やかだった。
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