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『大翔っ、今すぐ家に来て!』
誰だって幼馴染からそんな電話がかかってくれば、すぐにでも飛んで駆けつけるだろう。
切羽詰まった声調で、しかも半泣きの様子なら尚更だ。
だから塾の宿題も放りだしてチャリをかっ飛ばして来たっていうのに。
「お前なあ……」
「なによ」
呆れた表情をしてみせると、そいつは案の定頬をぷくりと膨らませる。
清井 美夜。俺の幼馴染だ。
俺は手にしていたティッシュをごみ箱に捨て、振り返った。
小さいクモが出たくらいで呼び出すとかあり得ないだろ。割と近い方だとはいえ、チャリで来る程度には離れてるんだぞ、家。
俺の幼馴染は、どうも人使いが荒いらしい。
「そんなんでお前、将来ひとり暮らしする時どうすんだよ」
「ふふん。そん時はそん時。早く良いカレシ見つけて結婚するから平気だもんねっ」
美夜の言葉に、俺は思わず吹き出しそうになったのをすんでのところでこらえた。
何を言い出すかと思えば、結婚って。
俺の心情なんてつゆ知らず、美夜はその気になってきたのかいつも以上に楽しそうだ。
「あー、それいいな。うんそうしよ。そしたら大翔呼ばなくて済むし」
「…………え」
それは困る。
口に出しかけた本音を急いで呑みこむ。
わざわざ休日の真っ昼間なんかにここに来ることもなくなる。
勉強も遊びも、今より気兼ねなくできる。
だけど違う。そんなんじゃ全然、嬉しくない。
俺が本当に欲しい答えは――。
「あ、そこにクモいるぞ」
「へっ ? ! ど、どどどこっ?」
俺がベッドの下を指差すと、ほとんど条件反射のように美夜は飛び跳ねる。
いもしない虫に怯えながら必死になって逃げ惑う姿に、俺は苦笑いを浮かべて。
それから、小刻みに震えるその手を優しく掴んだ。
「また俺のこと、呼べよ」
「え……」
「迷惑じゃないから」
困惑したように俺を見上げる美夜の、細いまつ毛がきらめいて見える。
駄目だとわかっているのに落ちていく。
次の瞬間にはもう釘付けだ。
俺がお前の彼氏になって、結婚して、夫になって。
二人が続く限り、側でお前を守ってやる。虫からも、どんなことからも。
――なんて大口、さすがに俺には叩けなくて。
「迷惑じゃないから、もっと俺のこと、頼れよ」
だから、遠回しの愛を今日も重ねる。
これじゃいつまで経っても、本編にさえたどり着けない。知っている。
だけどそれでいい。
俺は、お前とのサイドストーリーだって丁寧に紡いでいきたいから。
掴んでいた美夜の手を離す。
美夜は何か言いたげに顔を上げる。
俺は太陽の空気で満ちた部屋で、その先の光景を想像するのだった。
笑う俺ら二人の左手に、お揃いの宝物が輝いているといいな、なんてらしくないことを願いながら。
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