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四 浮遊霊が
叫びながら病室を飛び出した私は誰かに受け止められ、受け止められたことでさらに脅えて叫び声をあげた。
「ちょ、ちょっと黙って。女子高生!」
名前を呼ばれるどころか女子高生とひとくくりにされたことで私は落ち着いたのか、若い男性の声にホッとできて大きく息を吐いた。
落ち着かせてくれてありがとうと顔を上げると、それは横顔だけの文学青年だった。
それも、正面顔で、パジャマ姿だ。
「正面だ、正面でこっちを見ているよ」
横顔だけ美形はよくあるが、彼は正面でも最高だった。
二重の彫りの深い目元は優しそうに笑い皺をつくり、唇だって厚すぎず薄すぎず、その形の良い口元が私に微笑んでいるのだ。
「どうしよう。どうしたらいいの」
「大丈夫。彼らは何もしないよ。動けないし、取り込まれているだけだから」
彼は私に起きた第二のパニックを第一のパニックの続きとしか見ていないらしく、第一のパニックの原因について言及してくれたが、そのおかげで私は第三のパニックだ。
「とりこまれる?取り込まれるって何!私も黒子塗れでぶつぶつになるの!いやだぁ!」
「わぁ、大丈夫、大丈夫。まだまだ大丈夫だから。ほら、女子高生、落ち着け、落ち着け!」
私は想い人で初邂逅の男性に、なんと、ぎゅうっと抱きしめられて宥められていた。
あぁ、なんてこと!
もともと好きだったのに、吊り橋効果で、私の中で彼の株がどんどん上がる。
「大丈夫?女子高生」
あ、少し株が下がった。
「いつまでもカテゴリーで呼ばないでください」
「だって、君の名前を知らないもの」
当たり前のように私の想い人は答え、私はそれだけで頭は真っ白だ。
彼に言える?私の名前を伝えられるの?
「み、三好美梨、です」
「うわ、ミリミリちゃんか。可愛い。俺は宇津木です。宇津木亨君。トオル君でいいよ。ってかトオル君って呼んで。」
なんだか彼の株がもう少し下がった気がして、私は意外と冷静に戻っていた。
「じゃあ私は三好で」
「ちょっと待てよ。そこでどうして三好よ。ミリミリだろ」
「だって私は友人には苗字呼びだし、名前は好きじゃないし、ミリミリこそなんだそれ」
最後にとっても低い声が出てしまったが仕方が無いだろう。
なんだミリミリ、どうしてミリミリだ。
ミヨシミリならミヨミリではないのか。
「えー。いいじゃない。ミリミリ。俺さぁ、昨日死んでんの。死んだ人を大事にしようよ。優しくしてね、成仏をさぁ、させてあげようと思わないわけ?」
「死んだって、何それ。ここにいんじゃん」
宇津木は寂しそうにフフッと笑って、浮遊霊だと自分を指さした。
私は反射的に宇津木の脛を蹴っていた。
「いた」
「ほら、幽霊のくせに痛がって。痛いんだから生きているでしょう」
身体を屈めて脛を撫でている自称浮遊霊は、やるせなさそうに聞こえる笑い声を立てた。
「だったらいいね。でもさ、本当に俺は死んだの。死んでさ、告白すれば良かったって、せめてお早うぐらい挨拶すれば良かったってね、思い残したものだから好きな子の傍から離れられない幽霊になっちゃってさ」
「嘘つき」
「本当だよ。俺が今ここで起きていることを知っているのは、その子の傍にいたからね。死んでその子のいつもいる電車に飛んで、いつもの車両でその子を見つめて、そして、車内はパニックでどっかーんとなって、彼女は今ここにいる」
宇津木は私の中で憧れの文学青年のままにしておくべきだった。
私につむじを見せて屈んでいる彼は、私が酷いと大きく溜息を吐きながら廊下の床にぺたんと胡坐をかいたが、彼こそ片思いしている私を完全にぺしゃんこにしたのだ。
喋り方が馬鹿っぽくてがっかりしたのではない。
彼は好きになった子のためにあの時間のあの車両に乗っていたのだと、彼に片思いしていた私はただのモブだったのだと、彼に私は突きつけられたも同然なのである。
私は今までいた病室の扉に振り返り、そこにいるだろう美しい宝生を羨んだ。
死んだという彼がこの病室の前にいたのならば、きっと彼女が想い人なのだろうと。
美男には美女こそふさわしい。
「ねぇ、いいからここから動こう」
胡坐をかいている男が、立っている私を見上げて私が言うべき台詞を言った。
「え、好きな子はどうしたよ」
「動くのが先。早くしないと好きな子を殺した奴に好きな子の全部が取り込まれる」
「どういうこと?」
「君達を襲った化け物が君達と一緒にこの病院に閉じ込められているんだよ。あれは殺した人間の血肉を取り込み、そして、一緒に犠牲者の記憶までも取り込んでしまう。見たでしょう、取り込まれ途中の犠牲者の様子」
私はあの黒子に埋もれた顔を思い出した。
そしてほとんど反射的に首筋を右手で触っていて、だがそこにあったはずの凹凸が消えていたと気が付くことができた。
「ない。できものが消えている」
「君は自分を取り戻したから、かな」
「じゃあ、私はもう大丈夫なの?」
「まだ君の中に沢山いる。ラスボスを倒さなければ終わらない。行く?手助けするよ」
彼は私に手を差し出した。
私には選択肢は無いだろう。
片思いの男性の手を握れるチャンス、そしてあのぶつぶつの悪夢から逃れられるのならば、私は宇津木の手を掴んで自分の方へ引っ張るようにして彼を立たせてやった。
彼は立ち上がったが酔っ払いのように私に寄りかかった。
私が抱きついて来た無頼の脛を蹴ってやったのは言うまでもない。
私がお前を抱き返してしまったらどうするつもりだ。
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