宝石瞳の人魚

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宝石瞳の人魚

 その人魚の瞳は、美しい宝石で出来ていた。  太陽の光に応えるように煌めくその瞳は、角度によってその色を変える。時には紅玉よりも赤い情熱的な光を宿し、時には深海よりも蒼く、深い冷ややかな宝石を宿した。暖かい海に暮らす艶やかな魚のヒレよりも美しく、氷海の最深にある宝よりも希少なそれは、どんな宝をも手に入れてきた海賊たちの心を奪うほどだった。  そんな高価な宝を、人魚という珍しい生き物が携えていては、狙う人間も後を絶たない。そんな伝説が今も生ける伝説たり得る理由は、ある白銀の鱗を持つ人魚が常に、彼女の傍らで守り続けているからだという。 「この世のどんな絶景も霞む優美な二人の愛は、神話よりも尊いものだと思わないかね」  そんな話を、酒場で声高に語る女海賊がいた。詳しく聞きたいと訊ねれば、10の銀貨を代償に続きを聞くことができた。ホラ話に騙されるものかと嗤うやつには、鋼のように硬い白銀鱗のペンダントを見せ、話を続けた。  白銀の人魚にはその宝石瞳の人魚ほどの美しさはないが、その鱗は傷一つなく、ウツボのように長い体躯をしておりさながら、鋼鉄の龍を思わせた。そして何があろうと、その龍鱗の人魚は宝石瞳の人魚を守ることをやめないのだという。巨躯に似合わぬスピードで遊泳し、海賊の持つ大小様々な凶器をすり抜け船を海に沈めたり、銃弾すら傷を負わせられないその鱗がびっしりと生えたヒレで、船をたたき壊したりするのだとか。そうして、人魚を求め海に沈められた人間も数知れない。 「私だって、命からがら逃げ出した祖母から聞いて、その島へ向かおうとしたさ。けれど祖母は、せめてこのペンダントに、欠片でも傷を負わせることができてからにしろと笑って言ったのさ」  彼女はピンとペンダントを上へ弾くと、小型の銃を抜いて何度かその鱗を撃って見せた。響いた弾丸は鱗を貫かんとするも、軌道を逸らされ、笑った海賊の飲んでいた酒瓶を撃ち抜くばかりだ。直撃したはずの鱗は、欠片ほどのヒビも入ってはいない。 「勿論、硬い岩の上から撃ち抜こうとも、象に踏み抜かせようとも意味はない。試したければ銀貨3でどうだ?」  なるほど、そんな鋼のような鱗に守られた人魚に敵う者は、もうずっと現れはしなかったようだ。瓶の破片を見つめていた海賊たちが、ニヤリと笑って彼女に詰め寄る。  目の色を変えた海賊たちは、さらに5の金貨を支払ってその人魚の住処を聞き出し、意気揚々と海へと乗り出した。雄叫びを上げる海賊たちを尻目に、私はどうしてもそこに、童話のような美しい物語があるのではないかと感じ、その真実を知りたくて堪らなくなっていた。それは物書きの性、とでも言おうか。道楽的に旅をしては見聞きした物語を綴ることを生業とする私には、甘美な響きだった。  姫と騎士、父と娘、はたまた人の理解を越えた愛がそこにあるのではないかと、期待に胸を高鳴らせていた。船を持たない私は海賊に頼み込み、3の金貨で船に乗せてもらうことになった。まあ結果は、他の海賊と同じ末路だったが。  群れを成して現れた海賊船たちに、一直線に向かってきた白銀の大砲を思わせるそれは、流星のような一撃を放った。1つの瞬きで船が裂け、2つの瞬きの内に地上の空気は遙か遠くなっていた。何の術も持たない私は、あっという間に海の底へ放り出され、意識を失っていった。  だが運だけは良く、気がつけば私は、人魚の住処と聞くその島に一人流れ着いていた。フラフラと食料や人影を探し求めていた私は、命からがら、二人の人魚に遭うことが出来たのだ。白銀の人魚は私を睨んだが、丸腰で、ふやけた紙とペンしか持たない私に危害を加える術はないと必死に伝え、命乞いをした。なんとか見逃してもらった私は、私と同じように流れ着いた、海水に浸かる食料を拾い集めながら、こっそりと影から二人を見守ることにした。  ところで、人魚というのは人か魚かと聞かれれば、それを知らぬ人は人間に近いだろうと推測するかもしれない。しかし私はあえて、知能を得た魚に近いと言いたい。知能を持った時点で人寄りかもしれないが、その挙動は、魚の本能から来ているように思うのだ。  例えば、白銀の彼は彼女の上半身の容姿より優美な尾ひれに惚れ込んでいるような仕草を良く見せる。追いかけっこのようなことをしたかと思えば、海上の彼女の半身より、海中のヒレを捕まえて遊ぶといった様子をよく目にした。  細々した話は、実際に何度もその仕草を見ないことには如何様にも説明しがたいが、人と呼ぶには幼すぎるのだ。あの大きな図体で船を沈める知略を持ちながら、無垢でしかない、としか言いようがない。半ば落胆した心地でこう思ってしまうのは、彼と話をして知ったことによる。  私は時間をかけて、龍鱗の人魚の信頼を得ようと試みた。元より、帰りの手段も持ち合わせない私は、せめて本懐だけでも遂げようと文字通り、命を棄てる覚悟で彼に声をかけた。  あるときは迫り来る海賊船を知らせ、あるときは島で見つけた食べ物を分け与えて、じっくりと信頼を得ようと努めた。思っていた以上に時間はかかったが、その甲斐あって危害を加えない私を、半分は味方だと思ってくれたのか。彼は初めの頃のような警戒心もなくなっていった。あわよくば、彼に頼み込んで海を渡る手段でも見つからないかと、わずかに希望の光が見えてきたときだった。 「君と彼女の話を陸で聞いた。よければ、二人の話を聞いてみたい。私はそのためにやってきたのだ」  龍鱗の人魚は目を丸くしたが、あまり気にならない様子で承諾してくれた。岩場で魚と遊ぶ彼女を遠目に見ながら「つまらない話だ」と前置きし、こう切り出した。  彼はかつて、とある海賊船に捕らえられていたのだそうだ。  いずれ大きな都に着けば、見世物屋で売られる予定になっていた彼の乗せられた船は、その航海の途中でこの島に上陸し、あの宝石瞳の人魚を見つけたのだという。彼女に心奪われた海賊どもは、今までの賊と同様、どうにかして捕らえようとしたが、上手くいかなかったのだそうだ。 「君が守っていた頃より前の話だろう?どうして、彼女は捕まらなかったんだい」 「そこの崖の下に、岩に阻まれて船の通れない洞窟があるんだ。そこに彼女は逃げ込んだ」  手の届かない洞窟の奥へと逃げ込まれ、海賊達は手をこまねいてしまった。そして海賊の船長は、鉄柵付きの水槽に入れられていた彼に、ある条件を出したという。 「あの人魚を口説いて仲間にして来い。上手く船まで連れて帰って来たら、お前はこの船から解放してやる」  もちろんその海賊たちが、本当にそんな約束を守るかどうか確証なんてない。けれど彼は、その条件に酷く困ってしまったという。 「他人とは言え、希少な同じ種族に同情してしまったのかい?」 「そうじゃない。そうじゃないんだ」  彼は緩く首を振り、空を見た。そうして、宝物を大事に見つめるような優しい瞳でこう教えてくれた。  か弱い人魚を憐れんだわけでもなければ、己の自由との天秤にかけたわけでもなかった。  彼は、その海賊船にいたある女に恋をしていたのだ。人間の女と結ばれるはずもないと、世界の理を知らぬわけでもあるまいに、それでも船を下りることをひそかに拒んでいたのだ。  彼の葛藤に気づいた海賊船の女は、こっそりと彼に近づきこう言った。宝石瞳の人魚を口説くのに、時間をかけろと。美味い物が欲しいだのと、難しい条件を出していると言って彼らの食料を奪え。美しい物を欲していると言って、彼らの宝を奪えと。あるときは今生との別れなら、最後に満月を見たがっていると話し、とにかく時間を先送りにするよう細かく指示を出した。 「そのうち、食料も尽きた奴らは痺れを切らし、強硬手段に出るだろう。そのときに、あの人魚をしっかりと守るんだよと、彼女は俺に教えてくれた」 「それは、どうして?自分たちの不利になるようなことをなぜ、その女性は助言したんだ?」 「俺たちのためだ。俺たちの、未来のために」  穏やかな微笑みを浮かべながら、彼はうっとりとした口調で続ける。そのときに海賊の女は、彼にこう約束したという。 「船がボロボロになったら、一度私たちは港へ帰ることになる。彼女の見張りのためにお前を置いて。彼女を守ったお前を見て、奴らはお前が彼女に惚れ込んで、逃げられなしないと思っているだろうよ。  そうしたら私は、次は自分の船でここへ来よう。目印にお前の鱗を携えて。次来るときには、お前と彼女を一緒に迎えに来る。そうして彼女を売って、その金で二人で幸せになろう」  今は海賊船の雑用でしかないその女は、いつか自分の船を持つ海賊になり、ここへまた来ると約束した。その約束で、彼をここへ縛り付けたのだ。永遠に来ることのない、そのときまで自分を待っていてほしいと。その言葉を信じて、彼は硬い白銀の鱗を一つ、彼女に渡し、迎えが来るのを待っているのだという。  いつか、その女海賊が迎えに来るまで、宝石瞳の彼女を守り続ける。彼女がどこへも逃げてしまわないよう、その信頼を勝ち得続けるのだと、まるで幼い、純粋悪とでも呼べそうなその恋を、照れくさそうに彼は語った。  私はその話を聞いて、酷くガッカリした。ガッカリして、彼に真実を話す気にもなれなかった。  私が話を聞いた彼女は、『祖母から譲り受けたペンダント』だと言っていた。きっとこの人魚は、人の寿命すら知らないで、人を愛しているのだろう。彼の想い人である、彼女の祖母は健在だろうか?鱗を孫に託したあたり、ここへ来る予定も何もないのだろうけれど。  彼女の家系はずっと、このネタで稼いで回っているのだろう。ずる賢いことだ。美しい人魚とそれを守る人魚の、美しい愛の話と賞して海賊どもを駆り立て、情報料を荒稼ぎする。あの日、人魚のため置いて行った宝も、このための餌に過ぎなかったのかもしれない。ああ、その手口でかれこれ三代目になるらしい。気の遠くなるような人魚の気の長い愛と、その見事な海賊の手腕に俺は、ため息をつくほかなかった。 「彼女が来れば、きっとすぐにわかるだろう。彼女は俺に似て、美しい銀の髪を潮風に靡かせるから」  彼は二度と結ばれることのない人を愛し、情もない人魚の女を守り続けているのだ。なんと、なんとつまらない童話なのだろう。
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