田中の奮闘

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田中の奮闘

 ――その後あっという間に気温が上がり、ダラダラしてたら知らない間に時間が経過した、八月。  マシュマロさんにあんな啖呵を切ったにも関わらず、前世ショックに失恋をプラスした僕のスランプは、悲しいことに未だに継続中だった……。  締切一週間ちょい前なのに、本当に原稿がほとんど真っ白。  ちゃんとプロット――話の粗筋は出来てるし、何もしてなかった訳じゃないんだ。  でも、作業してるとつい、アスワドのことを思い出してしまって。  何度も、あれは妄想だったんだと片付けようとしても、ふとした瞬間に前世の記憶に邪魔されて、そこで何もかも立ち止まってしまう。  世羅に、もう一度会いたいな……、なんて思ってしまって、慌てて否定して……その繰り返しだ。 世羅とは、あれから全然会えてない。  多分、limeはブロックされてるし、学校にも全然来てないみたいだった。  就職活動してるせいだとは思うけど。  下書きすら遅々として進まないのなら、もう、諦めた方がいいのかも。  Zをやめちゃったから、欠席をお知らせする方法も、ペクシブぐらいしかないし、そこでごめんなさいすれば、マシュマロさんにも伝わるだろうか……。  泣きそうになりながら考えてると、limeが入った。  誰だろう……僕、リアルの友達ぜんぜん居ないのにな……。  通知を見ると、それは玉置さんからだった。  僕、あんな失礼な感じでlimeを終わらせて、あれ以来やり取りしてなかったのに。  恐々メッセージを開く。 『そろそろ冷静になったでしょう。原稿する気になってきましたか?』  二ヶ月ぶりなのにあまりにもブレてなさすぎて、有難いやら申し訳ないやらを通り越して、声に出して笑ってしまった。  あなた、僕の編集担当でも何でもないのに、なんでそんなに僕の原稿を気にしてくれるンです!? 「玉置さんたら……」  既読が付いたからだろうか、すぐにlime電話がかかってくる。  瞬時に通話ボタンを押すと、いつもの、ちょっとエキセントリックな感じのイントネーションで、玉置さんが畳み掛けた。 「築山さん、夏コミの原稿、どうするンです」  久々に友達の声を聞いたら、何故だか涙が出てきた。  胸に溜めていた色々が、心からどっと溢れ出す。 「ぐすっ、うぅ、全然、ダメです……。書いたことないジャンルだし、作画コスト高いし、全然進まなくて。64ページ本なのに、夏コミまであと一週間なのに、全く手をつけてないページが25ページもあって。ヒック、絶対出ずっで、人ど約束じだのに」 「それだけ手をつけてあれば充分じゃあありませンか。私は自分の原稿は超スーパー特別割引入稿の締切日に入稿済みですから、アシストしますよ」 「た、玉置さあん……あなたが神かぁ……」  電話の向こうに後光が見えたような気がして、泣きながら拝んでしまった。 「神じゃあありませンよ。その代わり、築山さんには次の冬コミで出す私が出す『子連れ忍者』アンソロジーに寄稿してもらうンですからね。さあ、泣いてる暇があったら下書き! ペン入れ!!」 「はっ、はいぃ……っ」  僕が描き続けてられたのは、マシュマロさんのおかげもあるけど、メンタル豆腐同人作家の僕をことあるたんびに大人の余裕で助けてくれる同人仲間、玉置さんのお陰でもあったのだ……。  本当に、泣いてる場合じゃない。  この本が僕の作る、最後の本になるのかもしれないけど。  絶対に間に合わす!!  それで、玉置さんと、マシュマロさんにこの本を渡すんだ。  今までで一番孤独で、寂しくて、ひとりぼっちの原稿だと思ってたけど……実力行使してくる原稿しろbot※エレクチオン玉置が監視して……いや手伝ってくれるなら、きっと本はできる……!!  僕は見えない青い炎を身にまとい、パソコンに接続したタブレットの上で、ぐりぐりと下書きの線を引き始めた。  僕の原稿は、玉置さんの助けのお陰で何とか間に合った。  僕のせいで、大分、ページの白さが際立ってるけど……。  至らないクオリティだったとしても、うっかりミスのページがあったとしても……僕さえ諦めてしまえば本が出るのは、素人同人誌のいいところだ……。  ちなみに僕は、いつも出ていた「トリ娘これくしょん」ジャンルで申し込みはしていなかった。  申込時期の半年前の時点で僕はもう、「トリ娘」が描けなくなっていたから……。  今、僕がいるスペースのジャンルは、「創作(JUNE/BL)」。ボーイズラブだ。  完全な新規参入だし、持ち込み部数も極小なので、今回は壁サークルじゃなく、島中と呼ばれる、小規模サークルの配置される場所だ。  もちろん、全く人は来ない。  ペクシブでスペース番号と表紙絵、新刊のジャンルが創作BLオメガバースファンタジーだってことだけは告知したけど……そもそも僕のファンだった人達は、有名なゲームの可愛い女の子のエロい絵が見たい人たちだから、ブックマークも閲覧もほとんど付かなかった。  ペクシブで十万単位でフォロワーがいても、僕がトリ娘のエロを描いてなければ、みんな興味なんかある訳ないのだ。  僕がBL描いてもついてくるファンの人なんて、マシュマロさんぐらいしかいなかったってこと……もちろん、分かってたことだ。  たくさん売れる訳じゃないなら、売り子さんも必要ないから、マキちゃんとミキちゃんには売り子は頼まなかった。  サークル参加証だけは渡したから、今日はコスプレしに来てるみたいだけど……。  玉置さんも、参加日が違うので今日は来ない。  玉置さんのジャンル、子連れ忍者は明日の予定だから、明日、僕は自分の新刊と差し入れを持って、彼のスペースを訪ねる予定だった。  それにしても、ボーイズラブのスペースなんて、生まれて初めてで、本当に落ち着かない。  周りを見回すと、作家さんはほぼ女性だらけだけど、男性も意外といる。  スペース前の通路の人通りは……男性向けジャンルのそれに比べたら、「閑散としている」と言っていいぐらいじゃないだろうか。  田舎と都会の人通りぐらいは違ってて、同じイベントとは思えないくらいだ。  まあ何がどうあれ、僕は机の上に新刊だけを置いて、一人で静かに待ち続けるだけだった。
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