田中のお宅訪問

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田中のお宅訪問

 最後に世羅の時代劇台詞が飛び出した、色んな意味で思い出深い僕の夏コミは――こうして幕を閉じた。  そしてそこから、僕の人生は180度変わったんだ。  いや、体重は順調にリバウンドしてる途中なんだけれども……。  まず、アスワド改め、マシュマロさん……もとい、世羅とは正式に付き合うことになった。  大学生活は……僕の方は、そろそろ卒論の準備が厳しくなってきたところだ。  就職は結局考えてない。  世羅は来年から就職するのかと思いきや、法科大学院に行くらしい。  生涯に渡って僕を守る為に、弁護士を目指すんだそうで……法律は、現在の剣と盾なんだと言い張ってる。 「トレース冤罪とか、誹謗中傷とか、絵の世界はどんな落とし穴があるか分かんねぇだろ」とか何とか。  世羅の人生、それでいいの? と思わなくもないけど、頼もしいし、嬉しい。  ともあれ今はモラトリアム生活の僕たちは、前世で1日しかできなかった「ラブラブ交際」を楽しんでいた。  まだ、その……キス以上のことは、したことないけど。  今日は、デートってほどじゃあないけど、僕のマンションの近くのジョナタンで待ち合わせていた。  世羅は実は意外と近くに住んでたらしくて、……っていうか、僕の町の隣の丁のマンションに住んでいたのだ。  実は会いたいと思えば、いつでも会えるぐらいの距離だ。  僕がダイエットした意味って一体……。  ドリンクバーだけ頼んで待ちながら、僕は玉置さんとlimeしつつ、iPadでネームを描いていた。  今描いてるのは、玉置さんにあげる予定の、『子連れ忍者』の同人アンソロジー※寄稿原稿だ。 『原稿やってるようですね。前世のことが片付いて、私も一安心ですよ。心の乱れは原稿の乱れ。これからも応援してますよ。それにしても、築山さんの『子連れ忍者』の寄稿4ページ! もう今から楽しみで楽しみで、夜も寝られませンよ。うひひ』 『もちろんです。いっぱい助けてもらった分、恩返しできるように頑張ります!』  玉置さんは相変わらず精力的だ。  今度主催するアンソロジーも、幅広い人脈に呼びかけ、100ページ越えになるらしい。  僕も頑張って描かなくちゃ……。  ガリガリ下書きしてたら、いつの間にかすぐそばに世羅が立っていて、僕の手元をじっと見つめていた。 「女忍者……?」 「わっ! 来てるなら、声、かけてよ」  手元を覗かれる恥ずかしさも相まって、かなり動揺してしまう。 「いや、だって……集中して描いてるから……」  世羅は相変わらず、口下手な感じだ。  遠くから見てた時は単なる嫌な奴だと思ってたけど、こんな不器用な性格なのに、よくテニサーに入ったりミスターコンテストに出てたりしてたなぁと思う。  しかもそれが、僕を遠ざけるためだったって後から知って、何だかもうビックリだ。  世羅は僕の向かい側の席の椅子を引いて座り、ぎこちなくこっちを見た。 「よ、よお……。漫画、描いてんのな、ちゃんと……」  いまだに僕に対してどう接していいのか分からないみたいで、何だか笑ってしまう。  相変わらず、全身真っ黒のTシャツにブルゾン、ワークパンツって感じのファッションだけど、紫がかった瞳の放つ視線は今までよりも柔らかい。 「うん。これはアンソロ原稿」 「お前の本は? もう、作らないのか」 「うーん。実はね、夏コミで救護室の前までわざわざ来てくれたあのイケメンの人、いただろ」 「ああ、あの胡散臭い奴……」 「胡散臭いはないだろ、一応、僕らの子供だって言い張ってるんだし……」 「ストーカーの手口だろ、どう考えても……」 「自分のことを棚に上げて……。あのね、実はあの人、BL漫画雑誌の編集の人だったんだ。後でペクシブにダイレクトメールがきて、僕が同人誌で描いた、セフィードとアスワドの物語をぜひ、異世界子育てBLとして雑誌に載せたいって言われて。僕、まさかのBL漫画でデビューすることになっちゃったよ」 「なっ……!! それはおめでとうございます!! ついにセフィード様の実力が認められたのですね!?」 「ちょ、世羅、キャラ崩壊しないで普通に接して。あと僕のことは晶って呼んで」 「わ、悪い……つい興奮して……」  バツが悪そうに、世羅が自分の後ろ頭を掻く。 「なので……今度、編集部行って、編集さんと打ち合わせしてくるね」 「あの頭おかしいヤツと!?」 「いや、普通に担当さんだから……!」  何でそんなに警戒心が強いんだー!?  前世が護衛の騎士だから仕方ないのかもしれないけど……。  僕は世羅の方に身を乗り出して、両手を合わせた。 「僕、筆が遅いのに、商業誌に載せるなんて、すっごく不安で……。応援、してくれる?」 「当たり前だろ…!!」  僕の手が、世羅の大きな両手にぎゅっと包み込まれた。  現実のスキンシップにさっぱり慣れてないから、それだけでも顔から火が出そうになる。 「あ、ありがとう……離して……」  湯気を出してる僕を見て、世羅は慌てて手を離した。 「お前……スケベな漫画描いてるくせにすぐ赤くなるな……」  ボソッと言われて、ヒッと息が止まる。 「それはそれ! これはこれ!」  ていうか、その漫画で何千回も抜いてた人はどこのどなただー!? 「さ、さてと……世羅も来たし。行くよ、デート」  お返しを思いついた僕はそう言って、タブレットをカバンにしまい始めた。 「えっ。どこに」 「……世羅の家。行ってみたいんだけど、ダメ?」  わざとらしく聞いたら、それこそ世羅の方が大いに動揺し始めた。 「ま、まさかうちにっ!?」 「まさかって……だって、地元だし、行くところなんて他にある……?」 「いやでも、部屋の掃除がっ」 「じゃあ、外から見るだけでもいいよ。僕の家は世羅に知られてるのに、僕が世羅の知らないの、不公平じゃない?」 「……。ストーカーしてすみませんでした……」  素直に謝られて、吹き出してしまった。  ちょっとやりすぎたかも? 「ごめん、冗談だよ。電車乗って、どこかいく?」  僕が聞くと、世羅は真剣な顔で、首を左右に振った。 「いや……来ていい。来て欲しい」  一瞬絶句した。  どうしよう、僕の方が覚悟が足りないかも。  でも……世羅の……というか、マシュマロさんの家が、見てみたい!! という誘惑に駆られて、僕はつい、頷いていた。  行ってみると、世羅のマンションはなんと、築四年、しかも30階建ての27階。  僕の築四十年の貧乏学生マンションを線路の向こうに見下ろす、とんでもない眺望のマンションだった。 「も……もしかして、ここから僕のこと望遠鏡かなにかで見てた……!?」 「まさか、そこまではしない」  正直ホッとしたけど――。 「いや、信用できないよ……この本棚……」  一人暮らしの世羅の家のリビングに入ったとたん、僕は呻いた。  リビングだけで僕のマンションの部屋くらいある、2LDKのマンション……その、モデルルームみたいなオシャレな空間の壁面棚。  そこに、まるで芸術品か何かのようにディスプレイされた18禁エロ同人誌――もちろん僕の書いたやつだーーを見て、回れ右して帰りそうになった。  非オタってこういうこと堂々とやるから怖いよな!? 「ど、同人誌って普通隠すものだよ……!? しかも18禁……っ!」 「別に、誰も家になんか入れない」  うう、今更だけど世羅が世間ズレしすぎてて心配になってきた。  ちゃんと友達いるのかな。  ごめんね、思い出すのが遅くなって……。  今度エレクチオン玉置さん紹介しよう。  それにしても――。  棚の一番上に鎮座している、ホチキスでとめられた紙束を僕は恐る恐る指差した。 「あれ、まさか僕が初めて出した、30部しか刷ってないコピー本※……?」 「ああ、始発で並んでゲットした一番のお宝だ。素手で触るの禁止だからな」  うう、僕すらも既に持ってない本を持っているとは……愛が重いな!?  よくみると、額縁に入って壁に飾ってあるやつも、小学校から持ち帰ろうと思ってたら行方不明になった僕の絵のような気がするけど、怖いから突っ込まないでおくことにしよう。  青ざめている僕に気づいてしまったのか、世羅はしおしおとリビングの床に座り込んだ。 「申し訳ございません……ストーカーで……」 「いっ、いやっ、そんなこと思ってないし……! それより、なっ、なんか見ない!? トリ娘の映画とか……僕、タブレットにダウンロードしてきたから……!」 「み、見る……! 俺のテレビ、Wi-Fiからキャストできるから、テレビで見よう」  僕は大きく頷いた。  気まずい時間も推しアニメ映画で誤魔化せてしまうのが、オタクのいい所だ。  しかも世羅は今や、僕の好きなジャンル全部履修済みって分かってるから、「親友か?」ってぐらい、いくらでも話は通じる訳で。  早速、僕は手持ちのタブレットを世羅の家のWi-Fiに繋げ、テレビに繋げさせてもらった。  世羅の家のテレビは、これまた豪華ですごいデカい。  一方向の壁、半分がまるまるテレビじゃない? ってな感じだ。  僕の家にあるやつなんて、実家のお下がりのちっちゃいやつなのに……。  同じ地方からの上京組なのに、なんて差だ。  床に座って、木製のローテーブルの上でタブレットを操作してたら、世羅に肩を叩かれた。 「ソファで座って見た方がいいだろ」  指差されたのは、横になれるくらいの広い布張りのソファだったが――。  とある事実に、僕は驚愕した。  こ、このソファ、なんか見覚えがあるぞ……!?  そうだ、僕の描いたエッチな同人誌に出てきたソファだ!  この上でキャラクターにエッチなことをさせたいと思ったんだけど、背景を描くのが面倒臭かった僕は、高級家具のミニチュアオモチャを買い、それを色んな角度から写真に撮って線画抽出したのだった……。  本当に存在したんだ……この高級ソファ。  ミニチュアと違って柔らかくて快適なソファに腰を預けながら、思わず疑いの目で、隣の世羅を見た。  まさか、僕がこのソファを描いたから買ったんじゃ、ないよな……?  世羅は涼しい顔で、トリ娘のオープニングを見ている。 「ほら、白夜雪子が出るぞ。見なくていいのか」 「見る!!」  推しの名前をひきあいに出されて、僕は猛然と映像に集中した。  だけど、オープニングの途中、まさに僕の推しキャラが登場した瞬間に急にテレビがプツンと切れて――隣を見たら、世羅がコントローラーを握っていた。 「……世羅? どしたの」  恐る恐る聞いたら、世羅はじっと僕の方を見て、紅潮した切実な顔で訴えてきた。 「……。田中が、トリ娘にばかり夢中だから、嫉妬した……っ」 ※アンソロジー… 単一ジャンルや単一カップリング(キャラとキャラを勝手に組み合わせて恋仲にしてしまうもの)をテーマに複数の同人作家の原稿を集めて作る本。一作家あたり数ページで構成されることが多い。印刷代を拠出するのは主催であることが一般的。好みの作家を集めた夢の本が作れる一方、各作家とのやり取りが発生するので人間力が必要になってくる。 ジャンル愛、カップリング愛が深く、編集能力があり、多少のトラブルは自分で穴埋めしてなんとか出来るタイプの人が主催になるケースが多い。 ※コピー本…印刷会社を利用せず、コピー機とホチキスだけで手作成した本。締切がなく安く作れるので時間のない時、小部数発行したい時便利。
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