また巡り合う、独りでに。

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「久しぶり」  と、独り言のように囁きながら、目を細めてやんわりと笑う君は、オレが記憶している風貌より随分と草臥れた姿をしていた。  冷たさを感じるほど青白い肌、上辺だけ着飾られた身なり。  そして、最期に会ったときと同じ服装。  それはまるで、もう死んだ筈なのにも関わらず、この世を彷徨い続けている、謂わば、幽霊のような存在だった。  後ろを向くと、朽ちかけた造花と砂埃を飾った墓。薄汚れたコンクリートの地面には、先刻まで降っていた雨が滲んでいる。  そんな中、俺たちは一年と四ヶ月の時を経て、再会したのだ。 「久しぶり……? って、え? しーちゃん? 何でここにいるの?」  オレは驚きで顔を歪ませてから、あんぐりと口を開けて問う。 「今日、お盆だからさ」  顔色一つ変えず、あたかもこの墓にいるのが当たり前かのように答えた。墓石の表面を撫でながら、寂しそうな声色を魅せた君に、オレは何を言っていいのか分からずに俯いてしまう。 「いや嘘つくなよ。気温十度とかだし、まだまだ外さみーよ」  とりあえず、お盆の季節に咲くことはあり得ないであろう、側に咲き誇る桜を指差した。  更に、君が居なくなる前には毎日していた会話と同じように、平然とツッコんでみる。 「……」  余程、自分が居なくなったことに罪悪感を抱いているのだろう。その的を得たツッコミに対しては、どうやら無視を決め込むようだ。  微塵も優しくない桜まじが二人の間に吹き込み、気まずさをより一層際立たせている。  同時にひらりと舞い落ちる花びらは、これ以上ない程にドラマティックで、マイナスな雰囲気とプラスな雰囲気にどうにか釣り合いが取れていると思えた。 「てか、そういう意味じゃねーし。なんでそもそもお前が来れるのって話。だって、しーちゃんは──」 「ずっとさ!」  本来、しーちゃんはここに居るはずのない人間だったから。  問い詰めようと強い口調で再び話しかけたが、唐突な横槍を入れられたことで遮られてしまう。  オレは当人が言葉の続きを話し始めるまで、口を噤む。 「また会いたいなって思ってたんだよね」  はあ。そんなことか。  何か文句でも言われるのかと思ったものの、実際に、しーちゃんが話したのは然程どうでもいいことだった。  久しぶりなんだから、もっと言うことがある筈だろう。時間は有限で無限ではない。  だって、君がオレに会いたかったという気持ちは、言わなくても分かっているから。なぜなら、オレだって約一年半の間、君が恋しくて堪らなかったのだ。 「ん、そう」  この瞬間までオレと会ってくれなかったことに納得がいかず、意地悪がしたくなって、酷くぶっきらぼうな返事をした。  何だか、それにより自分が良くない顔をしている気がして、おもむろにそっぽを向く。 「ゆーゆさ、私がいないから寂しかったんじゃない?」  しかし、しーちゃんはオレの悪態を責めず、気にも止めない。  目を細めて咲って、自身の髪を耳にかける仕草をしている。  そんな他愛のない仕草も何処か愛おしくて、懐かしくて、涙が出そうになるのをぎゅっと歯を食いしばることで堪えた。大の男が親友の前でわんわん泣くなんて、恥ずかしいと思う。  なお、『ゆーゆ』というのは紛れもないオレのあだ名で、『しーちゃん』というのも同じくあだ名である。  本名で呼ばないのは、オレたちは自分の名前を世間体が良くない等の各々の理由から気に入っておらず、本名で呼ばれることが苦手だったからだ。  それでもお互いに自分の名前は気に入っていてるし、一度も君のことを名前で呼んだことがないから、今となっては少し後悔している。 「寂しくない。毎日空眺めたり、野良猫と遊んだりさ、意外と退屈しないんだよな〜それが」  答えが見つからなくて暫く間を開けてしまった。  加えて、不謹慎にも墓石の前の小さな段差に腰をかけ、くつろぐように足を組み、しーちゃんを嗤う。 「……寂しかったならさ、私がいてほしいならさ、正直に言ってほしかった」  冷淡な怒っていると感じ取れるトーンの低い声。  依然としてごめん、とは言えない。寧ろ「寂しい」と親友に直接伝える方が小恥ずかしいだろう。  何言ってるんだよ、と舌打ちし、勢い良く立ち上がる。  それから、オレが反論しようと胸ぐらをつかむ前に、しーちゃんは喉をひゅっと鳴らして、口を開く、 「会いたいよ、ゆーゆ」   と。そのまま、しーちゃんは膝から崩れ落ちた。 「何言ってるの? オレ、目の前にいるじゃん?」  焦って地面に膝をつき、心配から顔を覗き込む。ついさっきまでは自分に冷たい態度を取っていた癖に、両手で目から零れ落ちる涙を必死に拭い、鼻水を啜っていた。  状況が何一つ理解できない、いや、理解したくなかったのだ。 「なんで、私に何も言わずに自分で死んじゃったの?」  しーちゃんがそう呟くのと併せて、オレもしーちゃんの涙を拭ってあげよう、と思い、伸ばした手がスッと身体をすり抜けた。  ふと、先程から、桜の花びらがオレの身体を通り抜けて、地面へ舞っていることに気づく。 「ゆーゆの頼みなら、直ぐにでも駆けつけたのに」  悔しそうに拳に力を込めながら言う、しーちゃん。もう、現実逃避する理由もなく、一旦心を落ち着かせる為に深呼吸をする。  そう、確かにオレは、一年と四ヶ月前、自らの手で命を絶ってしまっていた。  これだけが一概に二人を歪めた原因とは言えないが、元々、オレたちは第三者から見て、幸せとは言い辛い家庭である。  例えば、しーちゃんの家は転勤が多く、母親はしーちゃんに過剰な愛を抱いていて何でも縛り上げる過干渉な性格、逆に父親は子供のことについて無関心で半ネグレクト状態。  対して、オレの両親は揃って日常的に暴力や暴言を吐いていて、その被害者である自分は、いわゆる、虐待児という者。  そんな人たちに育てられたおかげか、オレたちはかなり性格が捻くれていて、学校でも浮いた存在だった。  しかし、皮肉にも家庭環境が悪いという共通点のお陰で、二人は直ぐに一番の親友と呼べるほどに仲良くなっていったのだ。  今思えば、お互いが自分たちにとっての一番のよき理解者だったと思う。 「いつか、直接会って久しぶりって笑って話す日が来るって思ってたのに……」  何度も「泣かないでよ」と言っても、その場に嗚咽が響き渡るばかり。どれだけ手を差し伸べてあげたくても、差し伸べることのできない現実に、胸がモヤモヤとした。  重ねて、走馬灯のようにまだ生きていた頃を思い出す。  オレたちは仲が良かったものの、しーちゃんは父親の転勤により、転校してしまうことになった。  唯一心の寄り添いどころがなくなったオレは、日に日に悪化する暴力と同時に精神的に衰弱し、これが続くくらいならと、とうとう自死を選んでしまったわけだ。  そんなに恋しいなら自分たちの足で会いに行けばいいのに、と思うかもしれない。が、転校先は遠い東京の学校で、親からバイトの金もせびられ食うこともままならないオレと、お金や関わる環境全てを母親に縛られているしーちゃんでは、簡単に会える距離ではなかった。  故に、再会して直ぐは、どうして君がここに来れているのか、という疑問が最初に浮かんできたのだ。  現在、冷静になって考えれば、今日は"特別な日"だからという答えが浮かんで来る。 「わざわざオレのためにこっちの学校の制服、着てくれたんだね」  気持ちが落ち着いた為、オレはしーちゃんの服を見ながら、そっと呟く。  学校のときは毎日着ていた見慣れた漆黒の制服だ。前より、背が伸びたからか、丈が合わなくなっているような気がする。  また、未だに身についている"学ラン"の第二ボタンを見て、折角ならオレが欲しかったなとヘラヘラしてしまう。  彼は学ランを着ている通り、根っからの男性だが、女の子が欲しかった母親により、普段から女の子らしい振る舞いや服装をするように求められていた。  つまり、学校の制服は唯一、彼が自分らしく入れる証だったのだ。  だからこそ、オレは生前に「オマエが母親に無理矢理繕われた服装でいるより、自分らしくいれてる制服の姿が好き」と言ったことがある。  一つ目はそんなことを言ったオレのお墓参りにいくからという理由。  二つ目は転校先では母親の意向により、女子制服を選んだものの、最後の日くらいは……と反抗して、学ランを着ているのだろう。  ちなみに一人称が私なのも、口調がどこか女々しいのも、それが理由である。本人は親の元から離れたら矯正したいと思っているらしい。 「私、ゆーゆのことが、大好きだったんだよ」  きちんと聞くと、僅かに照れくさい想いを打ち明けられ、オレは目を見開いて顔を紅くさせてしまう。  夕日のせいかと思ったが、空はまだ明るく、ほんのりと雨の匂いが残っているようだ。  次いで、彼は誰かから貰った祝いのものだろうと予測できる程に豪華な花束を惜しげもなく分解し、彼の分とオレの分、二等分に分けてから墓に供えた。  オレがここに来た翌日から誰も訪れなかったせいで、造花でさえ汚らしくなっていた寝床が、一気にきらびやかになる。  どの花も可憐で華やかなので、各々目につくが、オレの目に最初に止まったのは淡い色合いをさせた"スイートピー"だった。 「……ゆーゆの苦しみに気づけなくてごめん。勝手に離れたりしてごめん……独りにさせて、ごめん」  目の前に本人が居るというのに墓にしがみつき、肩を震わせて慟哭する。  砂埃を被ったとても綺麗とは言えない墓なのにも関わらず、自分も汚れてしまうということは微塵も頭にないみたいだ。  それ程までにオレを大事に思っていたという事実に、心には死に対する無念と彼を泣かせてしまったという申し訳なさが降り積もっていくばかりだった。 「……一つ、間違えてることがあるよ。オレ、独りじゃなかった。たとえ身体は離れても、この世界のどこかにしーちゃんがいたから、独りじゃなかったんだ。オレが自死を選んだのは、オレが弱かったからだよ、しーちゃんは悪くない」  何も言いたくないのに、次々と口から言葉が溢れていく。  触れられないとは分かっていた。でも、どうしても抱き締めさせて欲しかった。  勢い良く、しーちゃんに飛びつき、決して、触れることを赦されない身体を、半透明なオレの身体で包み込んだ。 「なんで……しーちゃんがいたのに、こんなことしちゃったのかな? 嫌だなあ。死にたくなかったって、死にたくないって、死んだあとに思っちゃうのさ。死ぬことで報われるって思ってたのに、どうして、後悔してるんだろう」  ついにオレの熱かった目頭は、水に溺れていってしまう。  止まれ、と脳で命令しても、本能が泣きたいときは泣いていいと教えてくれた。  二人とも、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、もしお互いが相手のことを見えていたら、変な顔だ、って笑い飛ばして、何もかも無かったことにできるのにと思う。 「やだよ、しーちゃん、消えたくない。消えたくないよ。なんでオレは目の前にいるのに、しーちゃんの視界に映ることができないんだ……」  生きているときも碌な人間ではなかったから、こんなことを祈るのはあまりにも都合が良すぎるかもしれない。  なのに、もう少しだけでいいから、彼と共にいる時間をください、あわよくば死をなかったことにしたい、と強く祈った。  その、彼の人柄を表すような眩い瞳をじっと見つめながら。これ以上叫ばないように、両手で口を押さえる。  しかし残酷にも、泣いている筈なのに、既に涙に触れるという感覚さえも無くなっていることを悟った。  刹那、彼の瞳が燃えるように、逞しく変化したことにも。 「でもね、"幽"」  ──え……?  突如として彼に呼ばれた"オレの名前"に驚愕し、流していた涙が反射的に止まる。  『幽』という名前は教養のない両親が、見た目が格好いいからといった理由で適当につけた名前で、その漢字が『幽霊』を表すものだと知ってからは、かなりのコンプレックスだった。  学校ではオレのことを幽霊だと馬鹿にする人もいたし、名前のせいで苦労をしたのは事実なのだ。  嫌な思い出でしかなかったが、たった今、そんな感情も覆すくらいに君に名前を呼ばれたことが嬉しかった。何だか、オレの全てを受け止めてもらえた気がして。  偶然にも、今はその名前通りの幽霊になってしまっているのだが。 「私が伝えたいのは、謝罪じゃないっ……」  彼は不器用だから、紡ぐ文言に迷いながらも、秘めていた気持ちをゼロから百まで明かしていく。  オレは彼が言おうとしていることを一文字残さず、受け取ろうと、死に物狂いで耳を傾けた。 「わ、私の……! こころの寄り添いどころになってくれて、ありがとう。好きって感情を経験させてくれて、ありがとう。自分らしさを思い出させてくれて、ほんとうにありがとう……あと、人を失うという痛みを教えてくれてありがとう──そう、今日ここに来たのはね、感謝を伝えたかったんだ」  その言葉で、理解した。  もしかしたら、オレが死んだのは、これからのしーちゃんにオレのぶんの幸せ全部が、巡る為なのかもしれない。  周りに虐げられても、見放されても、理不尽に苦しめられても、どこまでも優しすぎる君。  オレがしーちゃんに出会ったおかげで、たくさんの幸せをもらったから、いつか、しーちゃんも幸せをいっぱい受け取れたらいいなって思ってたんだ。  ここまでは持っている物も、辛いことも、全て二等分してきた。今度は幸せも半分こだ。  あまりにもポジティブ思考かもしれない。けれども、そう思うことで、ちょっぴり生きてた頃への後悔が減った気がした。 「卒業、おめでとう」  これからは前を向いて生きるために。  立ち上がったしーちゃんの胸で確かに揺れる、リボンのついた花のコサージュを見て、オレは微笑む。  確かに、正式に卒業はできなかったけれど、しーちゃんが卒業式でもらった花を供えてくれたおかげで、二人で一緒に卒業できた気分になれたんだ。  オレは彼の顔に穴をあけるくらいにじっと見つめて、声に出す。 「今度は一年四ヶ月より長めの別れになっちゃうけど、次こそはちゃんとお互いに顔を見て、"久しぶり"って言えたらいいな」  他にも、久しぶりに再会した当初は、君の表情は並外れて暗く、心が崩れてしまうほどにどんよりとしていて、オレの死に堪えていることが、伝わってきた。  学ランの袖から見え隠れする無数の腕の傷で、この墓で自殺を考えていることにも。  けど、今は違う。彼は自身の強さで持ち直し、しっかり、前を向いて生きようとしている。  まだ二度目の『久しぶり』を言うには早すぎるから、君が君の人生を楽しんだ後に、また会いたいって思ったんだ。 「またな、紫苑」  眩しい空には知らぬ間に、美しい虹の橋がかかっている。  無慈悲にもこれから続く二人の長い別れを急かされている気がして、不満の溜め息を漏らした。  ──オレも君が好きだったよ。  そう言って透き通る身体で抱き締めようとするが、彼の温もりに触れることはできない。  挙げ句の果てに、彼はそれを振り払うように、帰路へと足を向けた。  段々と遠ざかっていく彼の大きな背中。  雨が止んでいなければ、もう少しだけ側にいられたかもな。  オレの視界は外側から濃く滲み始める。  段々と声も出せなくなり、鼻に漂っていた雨の残り香も途絶え、泣いている筈なのに、しょっぱい涙の味もしなくなった。  とうとう目も見えなくなっていく。  ……あーあ。  最期まで、君のことを見ていたかった……のに。  ………………………。 「──またっ! また逢おうね、幽!」  不意に少し離れたところから、力いっぱい叫ぶ声が聴こえた。  ばか、何でそんなに声、震えてるんだよ。  ……言われてみれば、人間は死ぬとき、聴力が一番最後まで残るんだっけ。そう思いながら、再び意味も無く瞼を開ける。  「─────」  最後の力を振り絞って、声にならない想いを伝えるために、一生懸命、口を動かした。  オレは既に見えていない視界の幕を下ろす。  そして、また、君に逢う日まで眠りについた。   Fin
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