ヒーロー

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ヒーロー

 逸彦は若松高校の2人に、戸山公園の近くにある廃工場跡に連れ込まれた。そこにはさらに、濁った目をした2人が待ち受けていた。 「おせーぞ……へぇ、近くで見るとマジやべぇ」 「だろ、早くヤッちまおうぜ」 「動画撮れよ」  何となく、何が待ち受けているのか想像がついた逸彦は、手を振りほどいて逃げようと試みるが、大柄一人に腕を掴まれて引き倒されてしまった。 「どこ行くのぉ、お姫様」  地面に倒され、逸彦はシャツを引き千切られた。 「よせ……これ高かったんだぞ!! 」  そこか? と一瞬大男の手が止まった拍子に、逸彦は大男の股間を蹴り上げて跳ね起き、這って逃げようとしたが、今度は足を掴まれて引きずり倒され、背中に乗られてしまった。  バタバタと暴れる逸彦の制服のスラックスを、相手は二人掛かりで脱がしてしまった。一人は(うつぶ)せになっている逸彦の両手をしっかりと押さえていた。 「チョー可愛いケツ」 「離せ、この変態野郎!! 」  逸彦は泣きながら叫び、叫びながら必死に暴れた。だが、びくとも動かぬ体には、生暖かい手が伸びてきて、いやらしく撫で回し始めた。  チビな自分が惨めだった。  これがあの久紀なら、華麗に長い脚を旋回させて蹴りを浴びせ、簡単に制圧してしまうだろう。  こんなチンケな体が、非力で戦えない体が、恨めしい……。 「何やってんだ、オラぁ!! 」  まさかな……と思いながら僅かに顔を上げると、廃工場の入り口にあの色男が立っていた。  ヒーローだ……余りの格好良さに見惚れる逸彦に、久紀が怒りに燃えた目を向けた。 「だから変なことされたら言えって言っただろうーがよ」 「い、言う(ひま)ねーよっ」  ズカズカと無遠慮に間合いに入るなり、久紀は逸彦を覆っていた3人を華麗に蹴り飛ばした。  自由になった逸彦は急いで立ち上がり、スラックスを履いた。 「なぁんだ、戸山の色男、霧生久紀が彼氏か、ウケる」  撮影用にスマホを向けていたリーダー格が、鉄パイプを拾い上げた。  久紀の背中からそれを見た逸彦が、必死に武器になりそうなものを探すが、とても自分が使えそうなものが見当たらない。 「逸彦、離れるなよ」  逸彦、と久紀は名前で呼び、制服のブレザーを脱ぎ捨てた。 「ああ、久紀」  精一杯虚勢を張って、逸彦もそう名前で呼んだ。  久紀は瞬殺で四人を倒した。  誰一人、まともに拳を合わせるまでもなく蹴られて殴られていった。 「すっげぇ……」  強いって凄い、戦えるって凄い……逸彦は羨望の眼差しで長身の久紀を見上げた。 「帰ろ、逸彦」 「あ、うん……ありがとう」  赤面を隠すように俯くと、久紀は逸彦のカバンを拾って埃を払ってくれた。と、その時、久紀の背後で、起き上がった一人がポケットからナイフを取り出していた。 「久紀! 」  逸彦は咄嗟に足元に転がっていた鉄パイプを拾って思い切り振り回した。  側頭部にクリーンヒットし、敵は悶絶して崩れ落ちていった。 「へぇ、やるじゃん」 「え、あ……うわっっ」  手にしていた鉄パイプの端に血がついているのを見て、思わず逸彦は悲鳴を上げて放り出してしまった。 「やばいよっ、どうしようっ」 「落ち着け、奴の頭は何ともない。お前の血だよ、ほら、手が切れてる」  そう言って、久紀は自分のハンカチを血まみれの逸彦の手に巻いてくれた。 「痛むか?」 「……久紀、さっきは……ごめん」 「あ? バーカ、泣くなよ」  ああ、これだからモテるのだろうなぁと、逸彦は泣きながらその整った優しい笑顔を見上げていた。 「バッカもーんっっ!! 」  四谷署に連れて行かれ、少年係主任の尾道陽子に油を絞られ、やっと解放されて廊下のベンチで久紀とだらしなく転がっていたら、迎えにきた久紀の兄が二人の前に仁王立ちになるなり、大きな雷を落としたのだった。  途端に久紀は直立不動になった。  ああ、久紀はこの兄貴のこと、尊敬しているのだなぁと逸彦が思っていると、逸彦の頭の上に当の兄貴殿のゲンコツが降ってきたのであった。 「いってぇぇぇ」  悶絶してしゃがみこむと、目線を合わせるように、その兄も腰を落とした。 「一歩間違えば、君は人の命を奪うところだったのだぞ……だが、久紀を助けてくれたこと、兄として、心から礼を言うよ」  久紀の兄はそう優しく笑った。  どこか久紀とも似てはいるが、もっと大きい。身長も大きいが、人としての器が大きいのだろう。まだ大学三年生だと久紀からは聞いていたが、学生どころか、一家の『家長』たる風格があった。 「行くぞ、おまえは後でお仕置きだ」  哀れ久紀は、兄に耳を摘まれて引きずられていった。  ちらりと振り向いた顔に手を振ってやると、久紀はニヤリと笑って答えた。  逸彦はあの日の事を思い返しては切歯(せっし)扼腕(やくわん)し、一念発起して合気道を始めた。  小柄な逸彦には、体格差があっても戦える合気道の方が良いだろうと始めたのだが、存外に面白く、やがて空手、少林寺拳法と、どんどん武道にハマっていくこととなる。  久紀はその後、両親の事故死、祖父の死と、相次いで別れを経験した。  家の事情が影響したのか、年上の女との艶聞もピタリと止み、弟二人を一身に世話する生活に激変をしたのだ。  三年になっても学校での二人の仲は相変わらずだったが、久紀はプライベートは全て弟達に捧げるか、バイトに明け暮れるか……いづれにしても、学年トップの座からは陥落し、大学の推薦枠もどんどん他の奴に取られていった。  だが、久紀に焦燥感はなかった。その訳を逸彦は知っていた。  久紀が、父親の再婚相手が遺した血の繋がらない弟を一生かけて守り続けると誓うに至った壮絶な出来事を、真っ正直に打ち明けてくれたからだ。  人生何が起こるかわからない……だが、一生かけて弟を愛すると心に決めた久紀は世界一男前だと、逸彦は信頼を厚くする思いであった。  だが、そんな生活が影響したのか、逸彦は都外の国立大学に進んだが、久紀は、希望していた国立大学には進めなかった。特待生を狙えるランクの大学でさえ、次々と落ちてしまったのだ。  最後の賭けで受けた最難関の私大には受かったものの、学費を気にして躊躇っていた久紀を、あの兄が全て手続きをして背中を押したのだという。  そうして、二人は別々の大学に進んだ。  ふと思い出し、気にかかった時があったものの、大学時代の四年間、結局ただの一度も、お互いに連絡を取り合うことはなかったのだった。  
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