追憶

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追憶

 四谷署管内で、暴力団が絡んだ殺人事件が発生した。特捜本部が置かれ、組織犯罪対策課の課長である霧生(きりゅう)久紀(ひさき)は、指揮官として捜査に加わっていた。  その久紀からの依頼で、警視庁刑事総務課法令指導2係の係長、深海(ふかみ)逸彦(いつひこ)は、十年前の抗争事件の資料をどっさりと抱え、丸ノ内線の四谷駅に降り立った。    久紀とは長い。  互いに33歳となり、警部となり、部下を持つ立場となった。  こちらは所帯持ちとなり、あちらにも最愛の存在がいて、あちらはマル暴でこちらは元捜査一課。更に言えば、あちらは警視庁管区抱かれたい男第一位で、こちらは第二位……だったが結婚した途端、圏外に暴落した。  いいのだ、妻・多岐絵(たきえ)にとっての第一位でさえあれば。  その多岐絵よりも、久紀との付き合いは長いのだ。  そう、正に、ド腐れ縁。  四谷署に着いたものの、特捜本部は出払っていて、逸彦は重たい資料を本部が設置された会議室のスチール机に下ろした。 「重た……」  肩をグリグリ回していると、ドスの効いた女の怒鳴り声が響いてきた。  慌てて廊下へ出ると、長椅子に並んで座る制服姿の少年二人が、ここの生活安全課の課長で新宿二丁目の守護神と言われている、とにかくナイスバディな自称美魔女に頭から怒鳴りつけられていた。  顔は()り傷だらけで、手も肘も、泥で汚れている。制服は……逸彦と久紀が卒業した都立高校の制服だ。 「いくら友達のためでも、ドスを持ったチンピラに素手で飛びかかるなんて、無茶も大概にしな!! 」  ブラウスが千切れそうに膨らんだ自慢のバストを揺らし、尾道(おのみち)陽子(ようこ)課長は声を荒げた。 「尾道姐さん」  逸彦は、かつて何度も世話になったことのある大先輩を、遠慮がちにそう呼びかけてみた。  逸彦を振り仰いだ美魔女は、一気に顔を綻ばせた。 「やっだぁ! 逸彦じゃなぁーい! なに、久紀に用事? 今特捜(とくそう)出払ってるわよ。ローラーかけて聞き込みだって」 「え、そうなの? 何だ……」 「ああん、だったらお茶付き合ってよぉ………あんた達、もう行きなさい」  突然声音を変えた美魔女の様子に、高校生二人は目を剥いた。 「捕まったのが私でラッキーよ。補導なんてことになったら、学校で面倒になるでしょ」 「いいんですか……」 「そのかわり、二度と無茶はしない。約束しなさい」  二人は立ち上がるなり、深々と尾道課長に礼をした。 「あ、斎藤ちゃん、この子たちの怪我見てやって」  通りすがりの制服警官を呼び止め、尾道陽子は二人の身柄を預けた。  遠ざかっていく高校生たちの背中を見送りながら、逸彦は陽子の隣に立った。 「喧嘩? 」 「小さい方がヤクザに絡まれてね。大きい方が何とか謝って収めようとしたんだけど、若いから結局手を出しちゃってさ。で、相手がドスを抜いたから小さい方が飛びかかって……」 「へぇ……ヤクザは捕まえたの? 」 「勿論、死なない程度にヤキ入れたわよ」 「さっすがぁ」  すると、陽子がニヤリと笑いながら逸彦の肘を軽く叩いた。 「あの頃のあんた達に似てるよね」 「似てませんよ」 「そっくりじゃーん……早いわねぇ、あれから何年かしら。ヤダヤダ、あたし昨日まで二十歳だったのにぃ」 「はいはい」  逸彦は笑いながら陽子を肘で突いた。      都立戸山高校。  都内でも有数の進学校。  二年に進級するときに、理系か文系かでクラスが分かれる。  逸彦は何となく文系を志望した。  二年生になって初登校の日の朝、両親の仏壇に手を合わせ、逸彦はいつもの通り淡々と朝食を済ませ、家を出た。  両親は、中学三年の時に母が、高校一年になってすぐ父が亡くなった。  仲の良い両親であり、真面目で堅実で、逸彦を全身全霊で愛してくれた。それなのに、病気には勝てなかったのだ。  父は司法書士であり、この目白のマンションも、学費も、滞りのないように準備をしてから亡くなった。母は幼稚園教諭で、一人息子に家事一切を仕込んでおいてくれた。  部屋中に、まだ両親の残像が見える。見守ってくれているのだと感じる。  だが、一人で暮らすには、やはり広すぎる。 「進級おめでとう」  父の無二の親友で、亡くなってからも何くれとなく面倒を見てくれている人物から、そんな短い電話が入った。  父も母も東京の人だが驚くほど親戚がいない。祖父母もとうに他界していた。だから、この父の親友が、成人するまでの後見人である。  所詮は他人だ。たまに思い出した時にしか、関心は寄せてこない。  世間も学校も、そんなものだ。  別に、寂しくはない。  一人は嫌いじゃない。  友と呼べる存在がなくても、困ったことなどない……。
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