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呪縛
穏やかな日々はゆっくりとめぐって行く。三年の月日が流れ、麗子は十七歳の麗しい乙女に成長した。だが、身長がそれほど伸びなかったこともあり、なにかと子ども扱いされがちなことを気にしている。
追手の情報がちらほらと入ってくることもあって、麗子はレナートの屋敷でひっそりと暮らしていた。史書を書き、剣術の稽古で汗を流す。平穏で変わらない日々だ。
サラは十九歳になり、恋をしている。結婚も間近なのだろうと彼女の輝くような笑顔を見て感じる。彼女と一緒にいる時間が減ったことを寂しく思いつつも幸せを祈りたいと麗子は思っている。
天耀に麗子も恋をしないのかと問われることがある。レナートたちのおかげでどうにか穏やかな日々を取り戻しはしたが、自身の力のせいで何もかも失った麗子には特別な存在を持てるとはどうしても思えなかった。
近衛少尉になったラファエーレに時折口説くようなことを言われることもあるが、自分より弱いものを認める気にはなれなかった。ラファエーレは天耀相手であればかなりの割合で勝てるようになったが、麗子にはからきしだ。
だが、時折、ふいと胸がときめくのはなぜだろう。甘い疼きに心が揺れる。それを押し込めるとき、天耀が残念そうにする理由を麗子は知りたくなかった。
「レイ、そろそろ夕食よ」
サラの声に麗子は書き物の手を止めて顔を上げる。天耀がいつの間にか灯してくれたランプの外はほんのり暗い。サラは一日外出していた。その笑顔が華やいで見えるのは気のせいだろうか。
「いつの間にか暗くなっていましたね。今日は何か特別いいことがあったんですか?」
「やだ、顔に出てる?」
「ええ、いいことがあったって顔に書いてあります」
サラは恥ずかしそうに笑って麗子を抱きしめる。
「プロポーズされたの」
麗子はふと笑ってサラを抱き返す。
「おめでとうございます。これほどいい知らせはありませんね」
「私、ずっと胸がどきどきしてて本当だったかわからないの。でも見て、ここに指輪があるの」
そう言って見せられた左手の薬指には指輪が光っている。
「ねぇ、レイ、私幸せで飛んでいきそう」
麗子はサラの手をぎゅっと握る。姉のようにずっと寄り添ってくれたサラの幸せを心から祝いたいのに、寂しいと思ってしまうのはわがままだとわかっている。
「あなたはきっと誰よりも幸せな花嫁になります。私が保証します」
麗子は天耀と手を重ねる。
「私からとこしえの祝福と加護をあなたに」
できる限りの思いを込めて祝詞を捧げ、サラに祝福と加護を与える。力を減らしていても再び強くなった力がサラをゆっくりと包み込む。
「ありがとう、レイ。ずっとずっと大好きよ」
「はい。私も大好きです」
やさしく抱きしめられて寂しい気持ちとうれしい思いが混じり合い、胸がきゅっとした。
「そういえば、レイ。お兄様がフラれ続けてそろそろかわいそうなんだけど?」
サラにまで言われて麗子はため息を吐く。レナートは触れてこないが、天耀やアマリアにはたまに触れられる。ラファエーレのことは曖昧にしているわけではなく、はっきりと考えられないと伝えている。だが、彼はめげずにアピールしてくるのだった。
「私より弱い方は嫌です」
「性格が嫌とは言わないからお兄様が諦めないのは気付いていて?」
その言葉に麗子は思わず顔を赤くする。
「だって、ラファエーレが嫌いなわけではないです……親切ですし、弱いけど礼儀正しいですし……でも、私はだめなんです」
サラはやさしく頭を撫でてくれた。
「レイに必要なのはきっと踏み出す勇気なのよね。本当はお兄様が好きなのでしょ?」
麗子は頷きそうになって頭を振る。国が滅ぶ原因になった自分が人並みに愛され、幸せになる道を選んでいいとは思えなかった。それにもしも災いが降りかかったらと思うと怖くてたまらない。
「私は、ダメ、なんです……」
涙がぽろぽろと床に落ちる。
「私はこれ以上、幸せになっちゃいけない……」
「レイ……」
サラは抱きしめて背中を撫でてくれた。それでも涙は後から後から零れ落ち、なかなか止まらない。
その夜、天耀がレナートの元を訪れた。麗子が穏やかに過ごせるようになって相談することも減り、たまに酒を飲みに来るだけだった。
「久しぶりですね」
「娘を嫁に出す父の心境を思うてな」
その言葉にレナートはくすりと笑う。
「別に幸せになってくれればそれでいいですよ。サラの相手は家柄も人柄も申し分ない。きっと幸せになれる」
「左様か」
天耀はふうとため息を吐き、レナートが出したワインを飲み干す。
「吾が姫は己が幸せになってはならぬと思うておる」
「え」
思わず言葉を失った。
「吾が姫はラファエーレを憎からず思うておるに、いくら手を回し、口を出しても向き合おうとせぬ。これまで判然とせなんだが、サラに問われてはっきり言うた。これ以上、幸せになってはならぬと」
「そう、でしたか。そんな気はしてたんですけど、やっぱり」
レナートは深いため息を吐く。麗子が幸せになるのを避けているのは薄々気付いていた。ラファエーレに好意を寄せられて麗子はどこか嬉しそうだった。言葉では拒否していても完全な拒絶を示さないのも本当は好意を寄せているからだというのはわかっていた。麗子は高貴な姫だ。好まない相手をはっきりと拒絶できないはずがない。本来はそうして生きてきたのだから。
ラファエーレと話していると突然一方的に会話を終わらせることがある。楽しいと思うその心を自ら拒絶するかのように。そのことに気付いているラファエーレはあえて引かずにいるのだということもレナートは知っていた。
二人は同じ感情を互いに寄せているのに、麗子は苦しみ、拒絶しようとする。ラファエーレの父として、麗子の後見人としてどうしてやったらいいのかわからないままそっとしていた。それをはっきりと突き付けられてため息しか出ない。
「なにもかもあの子のせいではないのに……」
「それでも、王族であるがゆえに、そう思わずにはおれぬのだ。龍生の王族は民の幸福を全霊でもって守るものぞ」
「そうですか」
失われた民の幸福を守ることはできない。それでも安寧を祈って麗子は毎年供養のために舞を捧げる。それはいつも夜通し行われ、終わるころには麗子の小さな足が血まみれになる。鬼気迫るそれをレナートはいつも見守ることしかできない。
「あの子の幸福はどこにあるんでしょう」
「吾にも皆目見当がつかぬ」
麗子の幸せを願うものはここにいるのに届かない。
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