呪縛

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 初夏、サラは誰よりも幸せな花嫁になった。だが、レナートの背中は寂しそうに小さくなる。愛しい娘が巣立つというのは喜ばしくもあり、寂しくもあるものだ。 「サラが花嫁になって寂しいんですか? 父上」 「そりゃね。君だって寂しいんじゃないの? 花婿のグラスにワインをなみなみと注いできたでしょ」  ラファエーレは苦笑いを浮かべる。花婿は彼の後輩だった男だ。学者肌であまり酒に強くないことを知っていてたっぷりと注いできたのは、妹を取られた腹いせではないと言えない兄だった。 「たった一人きりのかわいい妹ですからね」 「それで、君の方はどうなの?」  ラファエーレは肩をすくめる。 「ご存知の通りですけど?」 「いや、よくめげないなと思って」 「レイが突然話をやめるときにする顔を知ってたら諦められないですよ。抱きしめてキスをして、そんな顔をさせないようにしたいのに、その権利をもらえない」  ラファエーレは思いのほか熱烈な男であるらしい。 「そう。レイは自分が幸せになっちゃいけないって思っているみたい。周囲の幸せはどこまでも祝って守りたいみたいだけどね。天耀が言うには民の幸せこそがレイの幸せだって」 「民……民かぁ」  ラファエーレは深いため息を吐く。 「周囲の幸せの一環で私の幸せはレイの幸せだって思ってもらえないものですかね」 「どうかな……」  レナートはサラのそばでほほ笑んでいる麗子をちらと見る。彼女は周囲の幸せのためなら一生懸命動こうとする。ラファエーレの言うようにそう思わせることも不可能ではないかもしれない。熱烈で一途なラファエーレだからこそ道を開けるのではないだろうかと思わずにはいられない。だが、それが簡単なこととは思えない。 「私は、さ、レイの後見人として、君の父として、二人ともに幸せになってほしい。ただ、君が耐え切れずに離脱するのも当然だと思う。彼女の心を変えるのは簡単なことじゃないから」  ラファエーレはにっと笑った。いつの間に大人の顔で笑うようになったのだろう。いつまでも子供のような気がしていた。 「父上が思っているより諦めが悪いんです。両思いだって知ってて引き下がれると思いますか?」 「思わない、かな」 「父上だって母上を娶るのにおじい様に散々反対されても諦めなかったんでしょう?」 「ん、まぁね。アマリアは最高の女性でしょう?」 「母上が素晴らしい女性なのは認めますよ。諦めが悪いのは父上の血です」  レナートは肩をすくめる。諦めが悪いのは否定できない。ラファエーレの視線が不意と流れた。花嫁の介添えとして華やかなドレスを着た麗子に視線を奪われたらしい。  麗子はますます美しくなった。だが、普段は暗色の質素なドレスをまとい、サラが一緒でなければ明るい色のドレスを着ようとしない。元々は華やかな色が好きだった。麗子が暗色をまとうのは贖罪のためなのかもしれない。  その日の夜、麗子が忽然と姿を消した。  幸福な結婚式の夜は急転直下、緊迫したものに変わる。小柄な彼女を見失うことは少なくないが、いつも付き従っている大柄な天耀を見失うことなどありえない。  式場を出て迷子になったのではないかと方々を探したが、足取りさえつかめない。二人が自ら消したとしか言えない状況に誰もが不安を募らせる。  だが、豪華で華やかな色のドレスを着たまま姿を消すだろうか。サラの結婚を誰よりも喜び、隣でやさしく笑っていた麗子が水を差すようなことをするとも思えない。  先月のこと、龍生を滅ぼした連合軍の議長国である陽安から麗子を捜索するための使節が来訪した。何も知らない王は捜索に協力はしないが、捜索すること自体は許可をした。レナートがひそかに注進して止めることはできたかもしれないが、不自然な行動で尻尾を掴ませたくないと泳がせた。  麗子には外出を控えさせていたが、二週間ほど前、使節が帰って行ったこともあり、予定通り結婚式に参列させたのが間違いだったのかもしれない。 「どうしたらいいんだ……」  裏の情報網まで当たったが、少しも情報が出てこない。麗子は会場からふっと消えた。そうとしか考えられない。 「父上、件の使節ですが出港したと見せかけて隣の港に停泊していたそうです。それが今日になって突然逃げるように出港したと情報が」 「まさか……いや、でも確証がない。外国の船に立ち入るなんて簡単にできることじゃない!」 「わかってます! わかってますよ! でも、他に可能性がない!」  ラファエーレがイライラと叫ぶ。麗子の失踪から一昼夜が過ぎ、不安はピークに達していた。二人とも寝ずに手掛かりを当たっている。だが、得られるものは何もなく、幸福な花嫁だったサラも心配から眠れずにいる。 「生きてるのかさえわからないなんて気が狂いそうです!」  ラファエーレが机をダンと叩く。レナートはハッとして金庫を開ける。二つの玉はつるりと美しいままそこにあった。レナートはほっと息をつく。 「生きているのだけは確かだよ」 「それは?」 「レイと天耀の力の一部。無事な限り、これが砕けたり、欠けたりすることはない」  ラファエーレは玉をそっと撫でる。 「生きているんですね……」 「そうだよ。腐っててもしょうがない。いったん仮眠を取ろう。回らない頭で考え続けても答えは出ないよ」 「そう、ですね」  二人が横になろうとしたとき、突如として天耀が現れた。髪は乱れ、装束も千切れている。 「天耀!」  レナートが慌てて駆けよると天耀は腕をつかんだ。すっかりやつれた様子で目が血走っている。 「吾が姫を助けてくれ!」  すがるような声だった。彼だけが命からがら脱出してきたのだろう。 「落ち着いて説明してください。麗子姫は必ず助けます」 「陽安のものに捕らえられた。吾しか逃れること叶わなんだ。吾が姫は強力な結界に閉じ込められ、船に乗せられている。身動きもできぬまま、責め苦を……」  麗子の強大な力を削ぐために拷問が課されているのかもしれない。ラファエーレの予想通り船に乗せられているなら、一刻の猶予もない。 「場所はわかりますか?」 「吾が連れて行く」  天耀はふらつきながら立ち上がり、机の上に置かれていた玉を飲み込む。彼の髪が銀色に輝き、消えていた角が現れた。 「目にもの見せてくれようほどに」  彼は龍に姿を変え、二人に乗るように促した。 「敵の数と武器はわかりますか?」 「数はわからぬ。武器は剣がせいぜいであろう。一刻を争うのだ。早う!」  レナートはサーベルを二本引っ張り出して一本をラファエーレに投げる。 「レイに鍛えられた君なら銃も余裕でしょ」 「当然!」  二人は天耀に乗り、空へと飛び立った。 「結界と言っていましたが、それはどうやったら切れるんですか?」 「なれは……いやラファエーレもじゃ、触れるだけで結界を切る力がある。疾く吾が姫を取り戻せ」  レナートの体質はラファエーレにも受け継がれたらしい。だから惹かれ合ったのだろうか。 「わかりました。さっさと制圧して麗子姫を取り戻せばいいんですね。ラファエーレ、私は制圧を優先するから君はレイの救助を優先して」 「了解」  短く答えたラファエーレの声が堅い。緊張しているのだろう。平和なメゼでは近衛士官は実地とはほぼ無縁だ。  天耀は瞬く間に空を飛び、あっという間に陽安の国旗を掲げた船の真上に来た。 「参る」 「はい」  二人の声が重なった。びゅうと耳元で風が鳴いたかと思うと船内にいた。龍の巨躯が消え、人の姿をした天耀がそこにいた。顔色が悪いのは気のせいではない。彼も相当のダメージを負っているのだろう。 「吾にはこの扉を抜けられぬ」  扉にも術がかけられているらしい。レナートはラファエーレに視線を送り、ドアを派手に蹴破る。麗子がそこにいた。あの日のドレスで立たされたまま、結界の中で苦しみ呻いている。レナートは頭に血が上るのがわかった。こんなことをした者たちを生かして返すわけにはいかない。麗子はただ静かに生きていただけなのに。 「絶対に許さない」  歯を食いしばったような声は彼ではなく、ラファエーレのものだった。彼はすっと冷静になるのを感じた。冷静さを欠いたらどんなに簡単な仕事も仕損じる。 「ラファエーレ、殺さないように」  背中合わせで声をかけると、ラファエーレも冷静さを取り戻すのがわかった。麗子は慈悲深い。だから、彼女を取り戻すためであれ、彼らが手を汚すことを悲しむだろう。  剣は抜いたが、そこにいたもののほとんどが武術の心得がなかったらしく、やすやすと制圧が終わった。彼らはただただ麗子を術で縛って連れ帰ることしか考えていなかったのだろう。 「レイ! レイ、しっかり!」  ラファエーレが触れただけで麗子は崩れ落ちた。結界が切れたのだろう。 「らふぁ、えーれ?」  麗子の視線はおぼろげではっきりしない。意識がもうろうとしているのだろう。天耀が玉を麗子の胸に無理矢理押し込む。彼女は苦しそうに身をよじったが、わずかに呼吸が自然になった。 「長居は無用」  天耀は龍に姿を変え、彼らを外へと連れだした。麗子はかなり衰弱している。ずっとあの状態だったなら飲まず食わずで眠ることさえできなかったのだろう。 「私が、死んだら……龍生に、帰して……」 「死なない! 死なないよ! レイ、大丈夫だから!」  自分自身にも言い聞かせるような声だった。麗子は明らかに危険な状態でレナートも不安を募らせる。 「かの結界は力を封じるのみならず、抜き続けておったのだ。眠らせず、飲まさず、食わさず……みるみる弱って行くのをただ見ていることしかできなかった。遅うなってすまなんだ、吾が姫よ」  天耀が脱出するためにある程度の条件が必要だったのだろう。麗子は天耀のたてがみをそっと撫でる。 「そなたが無事、なら、わらわも死なぬ……」 「そうじゃ、吾が姫よ。吾は息災ぞ」  天耀の声にも余裕がない。行きよりも心なしか時間がかかったのは天耀も弱っているせいだろうか。胃腸に負担をかけないように水のような粥を食べさせると、麗子は力尽きて眠ってしまった。  医師の診察の限りでは命が危ぶまれるほどではないが、数日は安静にさせた方がいいという。ずっと立たされていたことも彼女の身体に大きな負担になったのだろう。  天耀もいつの間にか麗子の枕辺にもたれて眠っていた。彼も相当のダメージを負っていたのだろう。天耀が眠る姿というのを初めて見た。 「ラファエーレ、気持ちはわかるけど、私たちも休もう」  ラファエーレはなかなか動かなかったが、麗子の頬にそっと触れて部屋を出た。今回は取り戻せたが、次はわからない。それが怖かった。  二人の体調が戻ったらどうやってさらわれたのかも聞かなければならない。今回のことは麗子の心の傷になるだろう。どうしてこれほど彼女の運命は重いのか。レナートはため息を隠しきれなかった。
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