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翌日、麗子の容態は悪化した。胸を押さえて苦しみ呻いているが、意識はない。天耀が調べた限りでは結界に封じられた影響が出ているのだという。あれより長引いていたら命を落とすほどの結界だったらしい。時間が経てば回復の見込みがあるとも天耀は言ったが、言葉を濁した。
「問題があるなら話してください」
天耀は目を伏せて口を開いた。
「あれほどの結界を紡ぐには幾人もの犠牲が出ておるだろう。生贄と言えばよいか? そのことに思い至らぬ吾が姫ではない。押し込め忘れようとしていた憎しみと怒りが湧き上がろうとしておる。どうして吾が姫を静かに生きさせてくれぬ……」
麗子が苦しんでいるのは自身との葛藤でもあるのだろうか。助けるためとはいえ、危険を冒してまで分離した強い力をその身に戻した。それが仇になるかもしれないというのだろうか。
麗子が突如として仰け反り、叫んだ。その声は麗子の声とは思えないほど、低く不気味だった。天耀が麗子をかき抱く。カッと見開かれた麗子の目が赤く染まっている。明らかに普通の状態ではない。麗子が憎しみに染まれば邪神に変わると天耀が言ったのは大げさではなかったようだ。
「吾が姫よ、負けてはならぬ」
麗子が獣のような雄叫びを上げた。部屋がびりびりと震え、部屋が禍々しいもので満たされていく。天耀の髪がじわりと黒く染まった。
「吾が愛……吾が愛し姫……」
祈るような声だった。彼にも抗うことができないらしい。
「吾が姫の望みなら……」
角が、衣が黒く変じていく。もうダメなのか。レナートはぎりと唇を噛む。残酷な目に合わされ、狂ってしまってもおかしくない。ましてすべてを奪われた憎しみと怒りを思い出させられてしまったのだ。生きることさえ許されないと思ってしまうような日々をやっと乗り越えたというのに。
その時、ラファエーレが麗子に駆け寄った。
「レイ! 私だよ、麗子!」
ラファエーレは麗子の手を握って必死に叫ぶ。麗子はなおも気味の悪い叫び声を上げている。だが、天耀の衣が白く戻った。
「麗子! まだ本当の答えを聞いてないよ!」
天耀がはっとした顔をした。
「接吻せよ!」
「は?」
突然のことにラファエーレはきょとんとした顔をする。
「キスしろって」
「いや、わかりましたけど、今?」
「今こそじゃ! 早うせい!」
ラファエーレは天耀に頭を掴まれて強引にキスをさせられた。これが二人のファーストキスと思うと不憫でレナートは見ないふりをする。麗子の絶叫が止まり、バチンという音が響いた。ラファエーレが叩かれたらしい。災難すぎる。
「ぶ、無礼者!」
麗子はどうにか正気を取り戻したようだ。その目が青く戻っている。
「よかった……よかったのぅ、吾が姫よ」
天耀は安心したように頬ずりをして口づけをした。無理矢理キスをさせられた上、頬を赤くなるほど叩かれたラファエーレは苦笑いを浮かべる。
「父上、なんかものすごく複雑です……」
「わかるよ」
レナートは息子の肩を励ますように叩く。
「あ、あの、ラファエーレ、驚いたとはいえ、叩いてしまってごめんなさい。助けてくれたのに……」
麗子に申し訳なさそうに見あげられ、ラファエーレはふと笑う。
「いや、いいよ。君が無事だったから。天耀に押さえつけられたって言っても急にキスしてごめんね」
麗子は顔を真っ赤にして天耀をポカポカ殴る。
「そなたはどうして! もう! 嫌いじゃ!」
「吾は愛しいぞ?」
「うつけ! 愚か者!」
「私ってだいぶどうかしてると思うんですけど、ああしているレイもかわいいです」
仕方なかったとはいえ理不尽に引っ叩かれた直後なのに重症だなとぼんやり思う。
「二人が話してるのが龍生の言葉ですか?」
「ああ、そうだよ。といってもあれは王族だけが話す言葉だけどね。今は天耀が勝手をしたことを怒ってバカとか嫌いとか言ってるだけ。天耀は好きだから許してって言ってる。たぶん、なんでこんな状況になっているかわかってるけど、パニック起こしているんだと思う」
「そうなんですね。本当、変なところで子供っぽくてかわいいんだから」
「レイのこと、本当に好きなんだね」
「ずっと言っているじゃないですか。そうじゃなきゃ、一瞬で屋敷を吹っ飛ばせるようなレイに近づこうとは思いませんよ」
麗子がそれだけ危険な存在であるとラファエーレはちゃんとわかっているようだ。それでも引かれてしまうのだから、恋というものは恐ろしい。
「レイ、そろそろ許してお上げよ。天耀も必死だったんだ」
ラファエーレが取り成すように声をかけた。
「わ、わかっています。ラファエーレ、ありがとうございます。でも、今日の、あれ、は、なかったことに……」
麗子は顔を真っ赤にする。意外と純情らしいと思って笑いそうになった口元を隠す。
「もちろん。気分が悪くないならご飯を食べてほしいんだけど、どう?」
「少しなら食べられそうです」
レナートはすぐに薄めの粥とスープを運ばせる。
「痩せちゃいましたね」
レナートがそっと頬を撫でると麗子は手に手を重ねた。
「それでも、生きて戻れました。あなた方のおかげです」
「本当に無事でよかった。しばらくは安静にしてくださいね」
「はい」
「それと邸内での恋愛は禁じていませんが、進展したら報告はしてもらえると嬉しいです」
麗子はぼっと音がしそうな勢いで顔を赤くした。麗子がかわいらしいというのは否定できない。
「わ、私より弱い方は認めません!」
レナートはくつくつと笑う。もうほとんど認めたようなものなのにまだまだ複雑らしい。
いずれ、麗子が自分を許せれば二人の関係はきっと変わるだろう。
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