呪縛

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 時間はかかったが、麗子は元通りと言えるほど回復した。だが、どことなく元気がないのは自身が簡単に闇に落ちる存在だと知ってしまったことや、また彼女のために犠牲が出たことが原因だろう。誰もがそう思って麗子をそっとしていた。  たまに遊びに来るサラや、アマリアとは色々話しているようだったから、レナートはあえて触れずにいる。  彼女はただただ死んでいった者たちを弔い。静かに暮らしていきたいだけだ。触れずにいてくれさえすれば麗子は穏やかにいられるのに、このままでは済まないことは誰もがわかっている。  あの日、追手は一人として殺していない。皆殺しにすべきではないかと彼は思ったが、麗子の心情をおもんぱかり、気絶させるにとどめた。だから、麗子がここにいることはもう知られているだろう。天耀が屋敷の周囲に毎晩結界を張り直しているのは彼らも危機感を抱いているせいだ。  だが、レナートやラファエーレが出入りするだけで切れてしまうから効果が薄いと愚痴られた。結界を触れるだけで切り、術が効かないというのは稀有なものなのだという。今回、二人の存在を相手側が知らなかったから救助が早かった部分もある。次はその対策もしてくるだろう。そう思うと穏やかでおれないのは誰もが同じだった。  サラが頻繁に帰ってくるのは麗子のことが心配で仕方がないからだろう。レナートも麗子がアマリアと刺繍をしている姿を見るたびほっとするのを否定できない。次奪われたら、取り戻せても麗子は闇に落ちてしまうかもしれない。ラファエーレとの絆がどの程度強固なものなのかもわからない。  ラファエーレと麗子の関係は進展したとも後退したとも言い難い微妙な関係を保っている。ほんの少し近付いたような気もするが、麗子が突然会話をやめるのは相変わらずだ。  そんなある日、レナートが王の呼び出しを受けた。王のお気に入りの廷臣でもあるがゆえに時折あることだ。だが、いつもと違ったのは呼び出された場所が王のプライベートエリアではなく、謁見の間だったことだ。レナートは言い知れない不安を感じた。  予感は的中した。  謁見の間で待っていたのは陽安の使節団だった。引き渡し要請かと思えば国賓としてレナートとラファエーレ、そして養女同然の記憶喪失の少女レイを招きたいという。たった数か月前に誘拐しておいてとんだ面の皮の厚さだ。レナートはぎりぎりと拳を握り締める。王に含めておかなかったのは失敗だった。まさか、こんな形を取られるとは思ってもみなかった。 「レナート、君が養女同然にしている記憶喪失の少女の正体がわかるかもしれないんだ。悪い話ではないのではないか?」  回答できずにいると王に声をかけられた。王は少しばかり鈍感で正直すぎるきらいがある。彼は善意で言っていてレナートが口を開かないのは驚いているだけだと思っているのだろう。レナートはいつもの作り笑いを浮かべる。 「とても内気でなかなか心を許さない子なので本人の意思を確認してからでもいいでしょうか?」  王は頷いてその意思を伝えてくれた。回答の延期はできても断ることはできないだろう。レナートは所詮一介の貴族に過ぎず、王が認めてしまった以上、何かあれば国際問題になりかねない。遠方とはいえ正規の申し入れである以上、下手な真似はできない。それは陽安にとっても同じかといえば、違う。  レナートとラファエーレまで招いたのは理解できないが、麗子があちらで死んでももみ消すことは容易だ。レナートやラファエーレが訴えを起こしても、所詮ただの正体不明の少女。なかったことにするのは難しいことではないだろう。矛を収めるように言われるのはレナート側になる。  まさかこんなことになるとは思わなかった。あちらにも切れ者がいるのだろう。  何度目になるかわからないため息を吐くうち、馬車は屋敷に着いた。麗子に隠し立てができないことはわかっている。レナートは覚悟を決めて馬車を下りる。話すことで何か道が開けるかもしれない。  麗子はアマリアと刺繍をしていた。誘拐事件以降、麗子は剣を握っていない。体調が優れないからかと思えば、他に理由がありそうで問えなかった。天耀も同様でずっと静かに麗子の傍らにいる。ただ、飲酒の量だけが増えていた。神だから身体を壊すこともないだろうが、日に十本から二十本もワインを飲むのは少し怖い。 「あら、おかえりなさい、レナート」  アマリアが顔を上げてほほ笑んだ。 「ああ、ただいま、アマリア」  軽くキスを交わすと、彼女は心配そうに頬に触れた。 「なにか良くないお話でしたの?」  レナートは曖昧に笑う。 「レナート、覚悟ならできています。陽安の使者が来たのでしょう?」  麗子の声にドキリとする。霊力を取り戻した彼女は尋常ではないほど勘がいい。 「そうです。あなたを国賓として招きたいと……」  麗子はゆっくりと息をついた。戸惑いや不安が彼女の心を駆け巡っているのだろう。そう思って声をかけようとしたが、麗子は声を上げて笑い出した。それは普段の控えめな彼女のものではなく、高貴な龍生皇女のものだった。 「笑止、笑止、愚かなり」 「目にもの見せてくれようほどに」  同調するように天耀も笑った。 「レイ?」 「海を越えられるな、天耀?」 「御意のままに」 「麗子姫!」  レナートが大きな声を出すと彼女の意識がやっとこちらを向いた。 「いかがした。わらわが可笑しゅうなったと思うたか?」 「そうとしか思えません。アマリアもいるのに龍生の言葉で話し出すし、敵地に身一つで乗り込もうなんて正気ですか?」  麗子はくと笑った。 「正気じゃ。正気であるがゆえにアマリアに聞かせとうなかった」  彼女なりの気遣いのようだが、突然のことになにもかもがわからない。 「逃げるばかりでは追われ続ける。なれば打って出て挫くのみ。打ち震えるうさぎの役は仕舞いよ。吾らはこれより龍虎……狩るものとなる」 「それは復讐するという意味ですか?」 「違う。わらわは未来が欲しい」  その言葉にレナートはほっと息をつく。彼女がやっと自分の未来を欲してくれた。彼女が未来を手に入れるためには陽安率いる連合国との問題解決は必須だ。麗子の言う通り、逃げる限り追手はかかる。彼女にどんな策があるかわからないが、賭けてみる価値はあるのだろう。 「わかりました。行きましょう。私とラファエーレも一緒に招かれているんです」  麗子はふと微笑んだ。 「心強いな」 「策は?」 「逃げも隠れもせぬ。正面切って堂々と参ろうではないか。どんな策を講じられようとわらわは凌駕して見せる。そのために力を蓄えてきたのだからな」  ここのところ屋敷から出ることもせず籠っていたのは力を蓄えていたということのようだ。天耀の飲酒量が増えていたのも同じ理由だろうか。 「アマリアが手伝ってくれたのでちょうど完成したのです」  メゼの言葉に戻した麗子が広げて見せてくれたのは先ほどまで二人が刺しゅうを施していたものだった。 「唐衣ですか?」 「はい。刺繍にも力を込めました。アマリアやサラの思いも籠っています。私は必ずここに帰ってきます」 「それを聞けて良かったです」  麗子はふと笑ってアマリアに向き直る。二人はいつしか本当の親子のように仲良くなった。 「アマリア、陽安という国へ招かれて行きます。必ず帰ってくるので私の好きなリンゴのパイを用意して待っていてください」  アマリアは複雑そうに笑って麗子を抱きしめる。 「必ず、必ず笑顔で帰って来てちょうだいね。わたくし、待つのは得意だけれど心配するのは得意じゃありませんの」 「わかっています。きっとすぐに帰ってきますから」 「ええ、そうしてちょうだいな」  使節への返答は麗子がしたためた。記憶喪失の少女レイとしてではなく、龍生国皇王月城久弘の第二皇女麗子としての書状だ。船での同行は拒否し、天耀が光の弓を射た。それにも同様の書状が結ばれ、神の引いた剛弓で海を越えるのだという。  なにもかもが規格外の彼女らしいと言えばそうで、翌日、彼らは天耀に乗って旅立ったのだった。
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