呪縛

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 天耀が飛び立つと麗子の身体がぐらりと傾いた。すぐさまラファエーレが抱きとめる。いつの間にか強く結ばれた絆は麗子を支えるほどになった。麗子が連合軍の王や、あの少年を許せたのもラファエーレの存在があったからなのかもしれない。 「大丈夫?」 「大丈夫です。少し気を張りすぎていたみたいです。ありがとうございます、ラファエーレ」  麗子はラファエーレの手を軽く握る。 「もう一か所付き合っていただいてもいいですか?」 「もちろん」 「そのために神器を取り戻したのでしょう?」  レナートの問いに亡国の姫は悲しそうに笑った。 「はい。レナートは気付いていたのですね」 「これでも後見人ですから。瀧へ行くのでしょう?」 「はい」  龍生の人々にとって特別な天龍耀冥(てんりゅうようめい)の瀧。小さな島に不釣り合いなほどの大瀑布は龍生の王族が守護神を授けられ、また還って行く場所であり、龍生の皇王を皇王たらしめる場所だ。麗子はそこで弔いをするつもりなのだろう。そして、レナートの考える通りなら、皇女はそこで亡国の王となる。  滅んだ国の王になる意義は何かと問われても彼女も答えを持たないかもしれない。だが、龍生の皇王は祈るものであり、守るものだ。戦士たる王ではなく、祈りの王。これからも彼女がただ一人の生き残りとして弔いを続けるために必要なのだろう。  ゆっくりと優雅に天耀は龍生があった島に舞い降りた。すべてが無に帰し、再び芽吹いた草木が大地を覆うとも瀧は変わらずそこにあった。大地を揺るがすほどの大滝でありながら音はほとんどしない。それが数多の神を宿す瀧であるからか、本来この瀧の主神である天耀がここにいるからかはわからない。 「こちにおじゃりましたか、とと様、かか様、あに様、あね様」  麗子は太刀を捧げ持ち、祝詞を上げ始めた。それが弔いであることは問わずともわかる。天耀は龍の姿のまま静かに瀧へと沈んで行った。レナートはラファエーレと共に頭を垂れる。失われた数多の命の安寧を願わずにはいられない。  レナート自身も恨みがないと言ったら嘘になる。大恩あり、敬愛した人々はもういない。 「天翔ける龍よ、耀ける御手にて御霊持ち、その御身にて冥界への道を開き給え」  晴れ渡った空に雷鳴が轟き、白龍とともに幾多の龍が空へと舞い上がった。空に穴が開いたかと錯覚するような光の柱が差し込む。麗子が鏡でもってその光を受け、瀧を照らすと王族が姿を現した。誰もが穏やかな顔でほほ笑んでいる。  レナートは思わず駆け寄りそうになって踏みとどまる。どうして麗子を差し置いてそんなことができるだろうか。未だ年若い姫は立派に務めを果たしている。 「安らかに眠り給え……」  光の柱を登るように王族が空へと消えていく。兄姉、父、そして最後に母が消えると麗子は静かに涙を落とした。五年の月日の果てに麗子は家族の弔いを終えたのだろう。毎年、足から血が出るほど舞い続けたのは王族だけが呼び寄せられず、送れなかったからなのかもしれない。  舞い降りた天耀が人の姿に身をやつし、麗子の涙を拭い、口づけを落とす。 「吾が(きみ)」  そう呼びかけられて跪いた麗子の頭に天耀が冠を乗せる。かつて先の皇王が戴いていた王冠は今も変わらず黄金と真珠で輝いている。 「鼓を打ちし者よ、吾が王に玉を」  立ち会うものがたった二人しかいない戴冠式。レナートは天耀に差し出された玉の首飾りを麗子の首にかける。 「民がなくともあなたは王の中の王です。皇王麗子、弔いの務め、よく果たされましたね。あなたの未来に幸があることを祈ります」  跪いた麗子は鏡と太刀を抱き、静かに涙を落とし続ける。楽の音もなく、祝いの膳もない。民の声も聞こえない。ただ滝の音だけが木霊する。 「吾が王よ」  天耀に手を取られ、若き皇王は立ち上がる。そのまま二人は滑るように瀧の中へと入って行った。天耀の持つ鉾に付けられた鈴の音が玉響のように響く。 「父上、私だけでも彼女の民になりたいって言ったら笑いますか?」  レナートは息子の問いにゆっくりと頭を振る。 「笑わないよ。麗子姫……皇王麗子はきっとずっと独りだから、君がそばにいてくれたら後見としてうれしく思うよ。君の幸せもそこにあるなら父としても喜ばしく思う」  彼はゆっくりと頷き、視線を瀧に移した。鈴の音が徐々に大きくなっていっている。五つの神器をもって即位した皇王は守護神と共に奇跡を起こすという。それがどういうものなのかレナートも知らなかった。  その時、突如として瀧が割れ、二人が姿を現した。空に大きな虹がかかり、細い若木でしかなかった木々が大地に根を張り、太く成長していく。五年前、焼き尽くされた森が元の姿を取り戻した。ただ、そこに龍生はない。 「吾が同胞よ、照覧せよ! 龍生最後の皇王麗子即位!」  天耀が矛を掲げて叫ぶと光の柱が降り注いだ。それが神々の祝福なのだろうか。それは神秘的で悲しい光景だった。龍生は彼女の中にしかない。 「彼方(あなた)へ」  麗子は天耀に手を引かれ、水面を滑って戻って来た。これで儀式はすべて終わったのだろう。麗子は優雅に頭を下げた。 「ありがとうございます、レナート、ラファエーレ。これで麗子は……」  それ以上言葉を紡げず麗子は咽ぶ。彼女の戦いはやっと終わりを告げた。天耀が長い袖で彼女を覆い隠す。苦しむ姿を見せたくなかったのだろう。 「これで仕舞い。アウロラの館に帰ろう」  龍の姿になった天耀の背に二人は乗る。麗子は彼の鉤爪の中に隠れてしまった。今は一人の時間が必要なのだろう。  神器を取り戻し、王となった麗子。彼女に守るべきものはもうない。普通の娘になるとは言ったが、背負ったものが重すぎる。だが、ラファエーレなら彼女を普通の娘にできるかもしれない。二人の絆の強さを信じたい。  屋敷に帰りつくと麗子は天耀に抱きかかえられたまま、部屋に閉じこもってしまった。気持ちがふつりと切れてしまったのだろう。しばらくはそっとしておこうと三人で決めた。今の彼女には時間が必要だ。   
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