114人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
若葉の後ろ姿が見えなくなると、秀華は店から離れ、肩にかけていたリュックの中から携帯を取り出し、画面を確認した。
長尾から何度もメールや着信が入っている。
携帯を眺めながら、秀華は罪悪感に苛まれた。
長尾に内緒で若葉に会いに来たことはもちろん、致し方ないこととはいえ、携帯は持っていないと、大切な若葉に嘘をついてしまったからだ。
秀華はすぐに長尾の着信履歴に発信した。
「秀華!」
待ち構えていたかのようなスピードで電話に出る長尾。
「お前、何故そこにいる!」
GPSで秀華の居場所は特定済みだ。
いつも温和な長尾とは違い、焦りと怒りが入り混じったような声だった。
こんなに感情を露わにする長尾は初めてだ。
黙って行動してしまったことに相当怒っているのかもしれない。
「ごめんなさい。どうしても会いたくて」
「会いたい?」
「うん、若葉に」
「もしかして、若葉さんはそこの料亭で働いているのか?」
「うん」
「そうか…… 会えたのか? 若葉さんには」
「うん、会えた」
「元気だったか?」
「うん、凄く充実してるって」
「そうか……」
気がつけば穏やかなボイストーン。いつもの長尾に戻っている。
「師匠、怒ってないの? 私、気持ち抑えられなくて勝手に会いに来た」
「怒って欲しいのか?」
「ううん、嫌だ。あのね…… 」
「ん?」
「これから、若葉の家に行っていい? 若葉、一人暮らし始めたんだって……ダメ?」
「いいよ、行ってこい。ずっと我慢させてきたもんな。だが、お前の大切な若葉さんでも、わかってるよな?」
「うん、わかってる。私たちの事は話さない。ただ、東京にはいないってことは言っちゃった」
「話してんじゃねぇか!」
「ごめんなさい。でも、アメリカとは言ってない」
「九州にいるって言っとけ」
「九州のどこ?」
「熊本だ。熊本は俺の生まれ故郷だから。真実味を出すために、東区に美味い海鮮丼屋がある。魚を売ってる場所で食べさせてくれる。何か訊かれたらそう言っとけ」
「うん、わかった。でも……」
「どうした?」
「ずるい」
「何が?」
「私も食べたい。海鮮丼」
「わかった、いつか連れてってやる」
「ホント⁉︎ 」
「あぁ」
「やったぁ!」
「秀華、若葉さんとこ、泊まらせてもらうか? 最後の夜は大好きな姉ちゃんと過ごしたいだろ?」
「えっ! いいの?」
「若葉さんが泊まってけって言ったらな」
「うわぁ! ありがとう、師匠!」
「飛行機には間に合うよう10時までには帰って来いよ」
「うん!」
電話を切ると、秀華はスキップをするような足取りで、駅前のレトロカフェに向かった。
最初のコメントを投稿しよう!