私のポケットに咲く赤い花

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 ポケットとの最初の思い出は、小学三年生の頃に遡る。  公園に行くまでの道を、友達とじゃれながら歩いていると、悲鳴のような子猫の鳴き声が聞こえてきた。  まるで命を振り絞るような鳴き声に、理性よりも好奇心が刺激された子供たちは、鳴き声が聞こえた路地をのぞき込んで後悔する。  そこにいたのは、かわいいだけの迷子の子猫ではなく、へその()をつけた子猫だったからだ。 「気持ち悪い」  誰が言ったのかは覚えていない。  もしかしたら、私だったのかもしれない。  羊水と血にまみれて、母猫に産み捨てられた子猫は、粘液にまみれた爬虫類に通じる気持ち悪さがあり、金切り声のような悲鳴をあげて助けを求める姿は、かわいそうだと思う以上に、恐怖と嫌悪感を湧きあがらせた。 「どうする?」  正直、逃げたい。  しかし、子猫を見捨てて逃げた後のことを考えると、それすらも恐怖だった。 「このままだと死んじゃうよね?」 「うん」  混乱する思考の向こう側で、誰かと誰かが話している。  このままでは子猫の命が危うく、緊急(きんきゅう)(よう)することが、幼いながら理解できた。  パニック寸前になった私たちを救ったのは、同級生の藤原雅美(ふじわらまさみ)ちゃん。彼女は少し迷ったものの、羊水で汚れた子猫をポケットに入れて(きびす)を返す。 「わたし、動物のお医者さん知ってる! 行ってくる!」  駆けだした彼女の背中を見送り、私たちは呆気にとられた。 「よかったね」 「うん」  面倒事から解放されて、内心で胸を撫でおろすものの、苦い気持ちが胸の奥で淀んでいる感覚。罪悪感を刺激するばつの悪さが、幼い私の卑劣な部分を責めている。  その日の私の服装は、水色のワンピースで、ポケットには花柄のピンクのハンカチを入れていた。  私は雅美ちゃんのように、自分のポケットに、死にかけの子猫を入れることなんてできない。  気持ち悪いし、汚いし、変な臭いがつきそうだし、それになにより、お母さんに叱られるかもしれない。 「…………」  私は、そういう人間なんだ。子猫を救うために、自分のポケットへ入れることなんてできない上に、汚れることを嫌い、逃げたいことを真っ先に考える。 「助からなければ……」  言いかけて、思わず口をつぐむ。最低な自分自身に打ちのめされて、子猫が死を願ってしまい、さらに幼い私は、自己嫌悪と後悔を深くした。 ◆  あとで知った話であるが、雅美ちゃんの家はたくさんの猫を飼っており、産み捨てられた子猫に遭遇した数日前に、飼っていた猫が出産したのだそうだ。  彼女にとって、生まれたての猫を見るのは二度目であり、猫の世話をする親の行動を通じて、自分がするべきことを無意識に学んでいた。  私は驚いた。  猫を飼っている。しかも子猫が生まれた。 ――小学生にとってはビックニュースだ。  なんで教えてくれないのかと雅美ちゃんに訊くと、彼女は親から『猫飼っていることを、友達に言うな』と硬く禁じられていたらしい。  大人になって分かるのだ。  子供の無知さと残酷が、生まれたての子猫を危機にさらすことも、遠慮のない好奇心が、猫たちに余計な負担を強いることも。  地元の成人式で彼女と再会した時、あの時、彼女が助けた子猫の写真を見せてもらった。携帯電話の小さい写真の中で、みごとに成長した茶虎の猫が、カメラに向かって手を上げている微笑(ほほえ)ましい写真だった。
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