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三番目の話は、私が社会人になってからだ。
高校を卒業後、部屋に引きこもって数年が経過した。
親は腫れもののように私を扱い、私も私で親を拒絶しての悪循環だ。
このままではいけないと分かっていながら、どうすればいいのか分からず、暗い気持ちを持て余した私の元に、成人式のお報せが届いた。
◆
私は成人式で、雅美ちゃんを筆頭に、同級生たちと再会した。
大学に行ったり、会社勤めをしたり、自分の趣味に全力投球したり、ニートをしたり、私と同じで、イジメに遭って引きこもった子もいた。その子も、私と同じ動機で、この成人式に出席したらしい。
私たちは式後の居酒屋で、現在抱えている悩みについて、話して話して話し込んだ。そこで分かったのだ。
楽しいだけじゃない、だけど辛いだけじゃない。
みんな、どうしようもない日常の中で、藻掻いて足掻いてがんばっていた。
彼らと話しているうちに勇気づけられて、凍てついた心を刺激された私は、社会復帰としてアルバイトを初めて、社員登用制度を利用して正社員になることができた。
そこで出会ったのが、今の夫である織田光彦だ。
彼は人が嫌がる業務や、責任の重い仕事を自ら進んで引き受けて、重役の出張や会議の段取りや、宴会の幹事まで引き受ける、縁の下の力持ちで働き者。なのだけど……。
「帰りがけにスマン。今日中に、この書類の内容をまとめて欲しいんだ」
「はい、かしこまりました。形式はWordかExcel、どちらがよろしいですか?」
「Excelで頼む。保存形式は、xlsの方にしてくれ。支店長たちが使っているExcelは、2000年で時が止まっているからな。それじゃあ、頼む!」
「はい、お疲れさまでした!」
お疲れさまでした! じゃないでしょうに。
私はそのやりとりに呆れてしまい、いそいそと、パソコンを立ち上げようとする光彦に頭を悩ませる。
彼の欠点は、許容量を超える仕事量を抱え込んでしまう所――いわゆる社畜だった。
どう見ても危うい仕事ぶりに、ハラハラして目が離せなくなってきた私は、羽織ろうとした上着をイスに掛けて、書類を抱える彼に声をかける。
「すいません、織田さん。私と業務を分担しませんか?」と。
こうして業務を分担するうちに親しくなって、付き合うようになってから翌年に、光彦からプロポーズをされた。
ちょっと高めのレストランに誘われて、ポケットから濃紺のリングケースを取り出して、「結婚を前提に付き合ってください」と頭を下げられた。
私は驚いてしまった。付き合っていたからこそ、私は高校で遭ったイジメの、主に性的の部分を開示して、お互いが傷つかないように距離を取ろうとしたのに、光彦はずんずんと距離とつめてきて、結婚して欲しいと言ってきたのだ。
「どうして?」
「きっかけはやっぱり、君と仕事を分担するようになったことかな。これは全部自分の仕事だって、意地になってやる意味が、自分でもわからなくなってきてさ」
確かに私と仕事を分担するようになってから、彼は許容量を超える仕事量を抱えることがなくなった。むしろ、周囲に割り振るようになり、部内全体の業務が円滑になったように思う。
「実際に分担してもらうと、早く終わる上に業務の情報も、みんなに共有できることに気づいて、それで感謝しているんだ。もしかしたら、貴女は俺にとって命の恩人なのかもしれない」
「えぇ。そんな、大げさだよ! 私はそんな大したことしてないわ」
そんな風には見えなかったし思わなかったのだが、私の行動が彼の中で、大きなの化学反応をもたらしたらしい。
「それこそ大きな誤解さ。君は自分が思う以上に誠実だし、下手にごまかすことも、取り繕うこともしない。そんな君だから、その、一緒の人生を歩いて欲しいと思ったんだ」
一生懸命に語る光彦は、ポケットから取り出したリングケースをテーブルの上にのせて、私に見せるように中身を見せる。
それは紛れもない、一粒のダイヤモンドを頂いた婚約指輪だ。
「指輪のサイズ、だいじょうぶなの?」
「あぁ。もしサイズが合わなかったら、ペンダントにしようかなと考えている。結婚指輪は、俺と君で選んだものを交換したいし」
「もうっ。なんでもかんでも、自分で決めて抱え込まないでよ。さっき自分で言ったこと、忘れたの?」
「ハハハハ。そうだね、ごめん」
私が指輪をはめようとすると、指輪の方が大きくて、すとんと指の根っこまでリングが落ちてしまった。それを見て、思わず笑ってしまい、光彦もつられて笑う。
その後、婚約指輪はペンダントになり、結婚指輪を二人で選んだ。
まさか自分が、こんな幸せな気持ちで結婚できるなんて、ほんとうに思わなかった。
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