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四番目の話は、私が三十になった頃だ。
娘の愛が生まれて三歳になり、育休と時短勤務を利用しながら、光彦と忙しい毎日を送っていた。
「おかあさん、さぷらーいず!」
「……えぇっ」
私も数年前まで子供だったのに、娘の思考も行動も読むことが出来ない。
意味を理解していないが、新しく知った言葉を得意げに使う愛に、私は驚きで頭の中が真っ白になる。
「まぁ……」
目の前の、ポールハンガーに吊るされたコートは、初めてのボーナスで、奮発して買った三万もするコートであり、現在進行形で冬の相棒とも呼べる存在だ。そのコートのポケットに、公園で拾ったドングリが、たくさん詰め込まれていたのだ。詰め込まれたドングリの中には、虫に喰われた物や土で汚れた物もあり、汚点を発見するたびに、見えないバッドで頭部を殴られたような衝撃が走った。
……だが。
「ドングリ、プレゼント!」
私のが喜んでくれると疑わない笑顔で、娘がにっこりと笑うのだ。その顔を見ていると、自分の中に巣食っていた過去が、心の中で複雑に絡み合った黒い糸が、しゅるしゅると音をたてて解けていく。
ポケットからポケットへ。
何気なくそばにありながら、自分の人生に与えてきた影響は、さらなる大きな福音となって私に告げに来た。
――私を、こんなにも愛してくれる無垢な存在が、すぐ傍にいることを。
「ありがとう、愛ちゃん。このドングリで、リースを作りましょうね!」
「わーい」
そもそもリースが、どういうものか分かっていないのに、娘は喜んだ。
愛の輝くような笑顔を見ていると、コートについた土の汚れも、いじめられて穢された過去も、なにかを守ろうとする私のちっぽけな自尊心すら霞んでいき、この幸せがずっと続くようにと、願わずにはいられなくなった。
◆
そしてさらに、五回目のエピソードは数日前。
母の日に、幼稚園で作られた折り紙のカーネーション。私を驚かせようと、ポケットに忍ばされた赤くて小さな花は、私の一生の宝物になった。
【おかあさん だいすき】
カーネーションの、赤い花弁を透かして見えたメッセージ。
惜しいと思いつつも花を解体して、もとの四角い紙に戻した時に、拙い字が裏面に書かれているのを見つけて、愛おしい感情が、大きな光の洪水となって私の中で決壊した。
【おかあさんも まなちゃんがだいすきよ】
愛おしい気持ちのままに、ピンク折り紙にメッセージを書いて、折り紙のハートを折る。それをこそっと娘の制服のポケットに入れた時、ドキドキと胸が高鳴って、全身の血が目まぐるし駆けまわり、自分がだれかのポケットに物を入れたことが、この時、初めてであることに気づいた。
私のポケットに咲いた、決して枯れない赤い花。
折り直されたカーネーションは、私のポケットの中でずっとずっと咲き続ける。
「おかーさん、だーいすきー!」
「私も愛ちゃんが、大好きよー!」
幼稚園へお迎えに来た時、大きな声を上げながら娘が私に飛びついてくる。私も真っ正面から受け止めて、ぎゅうっと抱きしめると、娘も負けじと力いっぱい抱きしめてくる。
通じ合える、伝え合える、喜びを分かち合って、さらにその喜びを倍に出来る幸せに、私は感動で打ち震えた。
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