何色を得るべきか。だが、現実は俺を色から遠ざける

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   ※  結局退院の日まで脱走できなかった。失望させたのか、その後リンカも現れてくれなかった。彼女に見せる顔がないと俺自身思っていて、幻視しないようにしていたかもしれない。  出入口まで担当の看護師の男も見送ってくれ、固く握手を交わして別れた。 自動ドアを潜り病院の敷地外に出ると、二足歩行の昆虫のような姿が近寄って来た。父親だ。  音が聞こえるくらい荒い鼻息を吐きながら、汗だくになっている。 「とっとと帰るぞ」  父親は問答無用と全身の雰囲気で示して俺を引っ張った。何度か振り払ったが、汗にまみれ、脂ぎっしゅな肉厚な手のひらは気色悪い上に執拗極まりなかった。  結局掴まって無理矢理引っ張られた。ここまで強引な態度を取れる自信は何が原材料になっているのか。  自信を得られるような結果など何も残していないはずなのに、不思議で仕方がない。看護師の言葉を使うなら、これが父親の得た色だろうか。汚らしい名称のない色だろう。 「どこに帰るんだよ。ウチなんてもうないだろ」 「爺さんが所有していた、作業部屋兼住居みたいな部屋があるんだよ。爺さん死んで婆さんが持っているみたいだ。そこに住む」  結局、爺ちゃんと婆ちゃん頼りだ。こんな父親に抵抗するのもバカバカしくなり、力が抜ける。  どうして俺も父親も爺ちゃんみたいに才能豊かではないのか。  爺ちゃんは木彫り職人として数人の弟子も抱えるほど有名な人だ。代表作として、阿修羅現代人シリーズがある。欲望にまみれた現代人が四方八方に心から肉体を突き破って様々な事物を求めて手を伸ばしている様子を模った作品群だ。  最も有名なのは、爺ちゃん自身を模って、権力を象徴する牛や、創造を象徴したカエル、地位の鷲、王者の鷹、金の豚など沢山の動物たちに手を伸ばして指で絞め殺している像だ。  爺ちゃんの欲深さを自虐的な美で表現した作品は職人としての集大成とまで言われている。  父親の作品はお母さんの批判通りで何の特徴もない。爺ちゃんと父親では月とスッポンを越えて、太陽とイシガメくらい違う。  俺自身も何も残せていないし、二度も人を目の前で人を見殺しにした。きっと今のままでは父親側で終わる。
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