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何者かになりたい……、でも俺は何もできなくて……
※
何かになりたいと思うきっかけとなった出来事は今でも克明に覚えている。
今から九年ほど前、小学二年生の時に受けた道徳の授業だ。黒板の前に三十代くらいの女性の教師が立っていた記憶だ。
授業の内容は自分の良いところを発表するという、今考えたら小っ恥ずかしいものだった。皆、各々で自分の良い性質を考えていたが、当然最後まで分からないと言った生徒が大勢いた。
当時の担任の先生は救助策として、出席番号順にみんなで一人ずつの良いところを言っていく流れにした。窓際の一番前の生徒から順に、褒め続ける流れになった。俺は確か、教室の真ん中くらいに座っていた。
大体みんな、頭が良い、サッカーが上手い、足が速い、面白い、話しやすいなど、その人が生きていく中で身に着けた要素を褒められていた。だが中盤になり、いざ俺の番が回って来たら、期待を大きく裏切られた。
──では、次。鬼頭さんの良いところって何ですか?
担任の言葉をきっかけに期待する、少年鬼頭純三郎。自身の人生で何を得られたのか確認する気持ちで待っていた。
──笑顔です。
クラスメイトの一人の発言が耳に入る。みんなの完全に同意した声も耳に付く。担任も満足げな顔で頷いて、じゃあ次と進めていた。
胸中が真っ白になった。次の生徒の番になったにもかかわらず、ちょっと待てよと言いたかった。
俺の良いところは笑顔。みんなは人生の中で得た実力的な部分だったが、俺だけ別に手に入れたものではなかった。俺は今までの生涯で何も手に入れていないという事実に気付かされた。
子供ながらプライドは一人前だ。到底受け入れられなかった。悔しくて奥歯を噛み、胸を何度も掻いた。別に自分が特別な人間だとは思っていないが、何かしら持っていると期待していた。
だけど、何も持っていなかった。この時に思い知らされた。
俺の爺ちゃんは木彫りの世界でかなり有名だった。大きな屋敷みたいな家に住んで、数は多くないが選ばれた才能豊かな弟子を抱えている姿は子供ながら憧れと嫉妬の対象だった。
この頃から父親の凡庸さにも何となく気付き始めていた。だから俺は父親側の人間だったと道徳の授業で気付かされた。
何か欲しい。何か手に入れて、何者かになりたい。それまでは死ぬわけにいかない。
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