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三_昭和20年(1945年)
こうして清一とヤタの生活が始まった。
栄子からしたら、商家の長男として育てられた清一が、得体のしれない女の介護をすることで惨めさを覚え、すぐに泣きつくだろうと考えたのだが、清一は粛々とヤタの世話を焼き、近くの川から水を汲んで湯を沸かし、裏の畑で野良仕事をするようになった。
清一は慣れない手つきながらヤタを看病した。
そして意外なことに、ヤタの主張を尊重した。
食べ物は要らない。水だけで良い。お湯で体を拭かないでくれ。医者も必要ない。自分はどこも異常はない。布団は洗っていいが、お堂の方が地脈の流れがいいから、寝床を動かさないでくれ。そうすれば、一年で全快する――と。
「なぜ、アナタはわたしの言うことを、訊いてくレルノ?」
流石のヤタも、自分の言うことを一から百まで聞く清一に不信感を覚えた。多くの人間は彼女の言葉に耳を貸さず、気が触れた、正常な判断が出来ていないと口々に責め立てて、最期には被害者面をして去って行ったからだ。
ヤタの黒髪を梳かしていた清一は、一瞬手を止めて、そして言う。
「貴女は本当にイヤだったのだろう」
「…………」
清一の言葉にヤタは首を縦に振る。
「俺も勝手に助けられたのがイヤだった」
気がついたら伯母の家だった時の絶望感を思い出して、胃のあたりから重いものがこみあげてくる。
このまま、自分の生まれ育った町で死にたかった。
あそこは、家族も友達も自分の取り巻くすべてがあった場所だった。
何度も帰ろうとして連れ戻された。
伯母たちは空襲を経験していない、運が良かった人間特有の無自覚な傲慢さで、清一の行動を、考えを、体験を、すべて否定し「かわいそう」の一言で蹂躙するのだ。
そして恩着せがましく、清一に自分たちの「当たり前」を押し付けて正当性を主張し、家族を亡くした清一の心を殺しにかかる。
「この村まで避難してきたヤツ等は、最初から生きたい気持ちがあった。俺とは全然違うんだ。俺は自分の生まれた町に帰りたい」
今の和歌山市は、焦土と化している上に治安が悪化している。
帰ることは自殺行為だと、みなが清一に訴えるが、なにも知らない伯母たちに囲まれるよりは、はるかにマシだと思うのだ。少なくとも、自分の悲しさを、無遠慮に踏みにじられることはないのだから。
「俺はラジオで、日本が戦争に負けたと聴いた。この村が空襲に遭わずに、平和が破られなかったのは、良いことなのだろう……」
清一はヤタの髪から手を離して、内にこもるように視線を下げる。
「和歌山市は軍事施設も工場もなかった。なのにヤツ等は、焼夷弾を学校にも避難所にも防空壕にもわざわざ落としてきたんだ。まさに打倒すべき鬼畜米英の所業なのに、負けた途端に、アメリカ様だと媚びを売る。おかしいだろ! そんなヤツ等が、またなんかの拍子に戦争をしかけてくる可能性を、みんな考えようともしない。戦争はまだ終わってなんていないんだぁっ!」
ずっと抑え込んできた激情が決壊し、清一はこの場で泣きじゃくった。矜持も意地もなにもかもが溶けだして、涙と鼻水とともに押し流されて、胸のわだかまりがほどけていく感覚に酔うも……。
「…………」
自分は、なにも知らない女性に対して、身勝手な独白をしたのだ。
――俺は最低だ。
自覚して凄まじい嫌悪感に駆られるものの、ヤタはそんな清一を黙って受け入れて、愛しむように優しく背中を撫でた。
「分かりマス。わたしもあの空襲で、家も家族も友達も失イマシタ。生き残った同胞は、主様のいる伊勢に向かいましたが、わたしはここを離れたくナカッタ。伊勢に行ってシマッタラ、わたしの中の思い出が消えてしまいソウで怖かった」
「………あぁ」
知らないうちにお互いの手が重なった。
「怖いよな。それが一番怖い」
ヤタの手は氷のように冷たいが、彼女の冷たさは清一の中の痛みを和らげていくような心地よさがあり、しばらくの間、清一は彼女の存在に身をゆだねた。
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