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吟味と選択
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?
「はい」
私のすぐ後から声が聞こえた。
なるほど。私の後ろにもう一人客がいたのか。だから私が二人かもと勘違いした……と納得しながらも私の後ろにいた人物がどんなものかとチラリと見てみる。
年の頃なら二十代前半、もしくは中頃といった感じか。中々整った顔立ちの青年だがいかんせん、覇気というものが今ひとつ感じられない。チノパンにパーカーと行ったいでたちと、全く気分が乗っていない感じの陰鬱な表情。最近若者の間で言われる陰キャってやつだろうか?
彼は私と同じようにカウンター席に案内され、そして中央より少し奥に座った。
まさか?
いや、まさか。そんな偶然そうそうあるものではない。彼があの席を選んだのはたまたまだ。そうに違いない。
私はカウンターに置かれたコップとおしぼりをまずは見た。
ガラスのコップに無造作に入れられた氷。中の水も多分そんなにこだわりのあるものではないだろう。それがいい。その飾り気の無さがいいのだ。
そしておしぼりは今時珍しい布のおしぼりだ。
最近は使い捨てのおしぼりが出されることが多い中、こうしたちょっとした気遣いは嬉しい。
なるほど。店主はしっかりと客をもてなす心構えができているらしい。
まずは水を一口。そしておしぼりのビニールを破り手を拭く。
うむ、温かい。しっかりとウォーマーに入れて温めておいたらしい。
そのままおしぼりを目の上に軽く押し当てる。
おしぼりで顔を拭くとおっさん臭いなどと言われるが構うものか。この後のさっぱりした感覚と気持ちを得られるならその程度の後ろ指なんということはない。
改めて、ここでメニューを見てみよう。ここで店の方針というものが分かろうというもの。
まずは定食か。
定番のロースカツ定食。
ロースカツダブル定食。うむ、流石にこれは私には厳しいだろう。体育会系の部活に入っている若者には受けが良さそうだ。
そして当然ヒレカツ定食。
ほう、ミルフィーユカツ定食もあるのか。それも、ミルフィーユカツと三色ミルフィーユカツの二種類。興味はそそられるな。
その後にはミックスフライ定食が三種類。
選択肢が多いのは実にいい。
次は丼ものだな。
カツ丼。コレは一般的な卵とじのカツ丼だろう。
その次はソースカツ丼だが……会津風、駒ヶ根風、福井風と三種類ある。
うーむ。これはいただけない。
確かに各地に特色があるのは理解しているが、出すならこんな「どこのでも出しますよ」というスタイルよりは「自信を持ってこのスタイルで出していきます」という気概が欲しい。ここは少し残念なところだな。
最後にカレー。
普通のカレーとカツカレーはロースとヒレの二種類がある。まあ、このくらいの選択肢はあってもいいか。
その後ろには一品料理がいくつかとドリンク。
ドリンクはビール、オレンジジュース、コーラと極々定番というか当たり障りが無いものが並んでいる。
まあ、トンカツ屋でドリンクに力を入れているところもそうあるまい。
私が注文するのは最初から決まっている。
じゃあ、なぜメニューを一通り見たのかといえば、やはりコレもどんなものを出す店なのかを知るための情報を得るためだ。
「すいません。ロースカツ定食をお願いします」
私が注文した直後、同じようにカウンターに座っていた青年もまた同じようにロースカツ定食を注文していた。
ここでカウンター上をじっくり観察する。
置かれている調味料は醤油、ソース、塩、七味唐辛子、ドレッシング。極めてオーソドックスだ。
特にソースはメーカーのトンカツソースを使っている。
実はこれが意外と得点の高いポイントだ。
下手なトンカツ屋に行くとソースだけオリジナルという店がよくある。アレは一種の賭けになるのだ。店側としては自信満々に「うちの特製ソースでお召し上がりください」って言いたいのだろうが、トンカツの主役はあくまでトンカツであって、ソースではない。
ソースの主張が強いと全てが台無しになってしまう。
若い頃はそんな店に入ってよくがっかりして出てきたものだ。
その点、食品メーカーが出すトンカツソースは全国に流通させるだけあって大当たりではないが、絶対にハズレは無い。返して言えばそれだけトンカツそのものに自信があるということだ。
いい。じつにいい。私の中の期待が高まる。
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