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入店
「吉かつ」
それが今、私の前にあるとんかつ屋の名前だ。
今日は仕事で隣町に来たのだが、ちょうど昼になった。今日はこの店で昼食を取ることにしよう。
店構えは悪くない。清潔で、紺地に白抜きの店名が入った暖簾。それに、少し広めな店の大きさ。
いい。実にいい。年季が入っている割には疎かにされていない清潔感、大きめの佇まい。味の方は期待していいだろう。
引き戸のドアを開けると即座に飛んでくる「いらっしゃいませ」の声。笑顔がよく似合う若い娘さんだ。
「お二人様でしょうか?」
娘さんの問いに私は少し面食らった。私は一人でこの戸をくぐったはずだが?
「いや、一人で」
私は穏やかに返す。最近の中年にはこういったことでいきなりキレ出す者もいると聞くが、私はそんなことはしない。こんな些細なことで腹を立てて食事をしてはどんな美味い料理も台無しだ。ここは心静かにこの先の料理に想いを馳せる方がずっと大事なのだ。
「では、カウンターの方へどうぞ」
娘さんに促されて私はカウンターの席へ陣取った。場所は中央より少し入口側。ここがベスト。
ど真ん中に陣取るといかにも「私は常連ですよ」といった印象を与えてしまう。席選び一つ取っても印象は変わるのだ。
端に座るとカウンターの端に衝立があった場合、腕の動きが阻害される可能性がある。かと言って中央の席は自分が店と知った仲ですよという印象を与える。よって、席は混んでいない限り中央を少し外れた所が良い。
入り口寄りを選んだのは私がこの店に来るのが初めてだからだ。
「初めてなので、あまり奥までは立ち入りません。食事が終わったら早々に退店します」という、静かな私の意思表示だ。
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