第三話 白雪姫のアップルパイ・試作

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 直径二十センチほどの円形のパイは香ばしく焼けて、表面は艶出しのナパージュで輝く。盛り上がった切込みの間からは、きつね色より濃い茶色のフィリングが覗いていた。甘く、そして馴染みのあるスパイスと果物の香りだ。 「アップルパイ?」 『そう、新作の“白雪姫のアップルパイ”』  砂糖とシナモンとレーズンを一緒に煮詰めたりんごのフィリングが入れてあるだけでなく、その下にアーモンドクリームをしき詰めたパイだそうだ。 『ただのパイじゃなくて、中にちょっと仕掛けがあるの。とりあえず、切り分けて食べてみて。当たりがでたら面白いことが起こるから』  魔法菓子の第一人者である伯母らしく、やはりこれも魔法がかかっているようだ。  フランスの伝統菓子のガレット・デ・ロワから発想を得たそうで、パイの中のアーモンドクリームの部分に小さな陶器(フェーブ)を一個入れており、それが当たりだと伯母が説明する。  面白いことって何だろう、と少しわくわくしながら、テーブルをもとの状態に戻して、パイを八等分に切り分けた。 「ミントは食べないの? 美味しそうなのに」 『いらねぇ。どうせろくでもねぇことが起こるに違いねぇからな』 『ちょっと、聞こえてるわよミント』  そんなやり取りをしながら、スグリは皿とフォークを用意して適当に一つのピースを選ぶ。 「じゃあ、いただきます」  先端をフォークで切り分け、一口大にして口に入れると、焼けたパイの香ばしさ、シナモンの香りとリンゴの甘酸っぱさが口に広がった。ラム酒に点けてあったのだろうレーズンの風味は、濃厚なアーモンドクリームにアクセントを付けて相性抜群だ。  スグリの頬が自然と緩む。 「おいしい!」 『やー、あんた美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐あるわー』  ホログラムのザクロもご満悦の様子だ。ミントは何が起こるかと訝し気にこちらを見やっている。  食べ進めていくと、三分の二くらいのところで、かちりとフォークに固いものが当たった。皿ではない。 「……これ、もしかして当たり?」  中から出てきたのは、親指の先ほどの大きさの、陶器でできた赤い林檎だった。可愛らしい林檎を掲げて見せると、ザクロは手を打ち鳴らして喜ぶ。 『大当たり! さすがスグリねぇ』 「わぁ、やった! ねえおばさん、面白いことって、何が……」  そこで、スグリの視界が揺れた。 「あ、れ……?」  何だか、猛烈に、眠く、なって――  スグリの意識は、そこで途切れた。   ***** 「おいこら」 『あら、ミント。どうしたの?』  ホログラムに浮かぶザクロのとぼけた様子に、ミントは眉間に皺を寄せる。 「どうしたじゃねぇよ。スグリに何した」  ミントの傍らには、テーブルに突っ伏したスグリがいる。ぺしぺしと肉球で叩いても、爪で軽く刺しても、ぴくりとも反応しない。 『何って、眠りの魔法がかかっているだけよ。白雪姫の童話に出てくる毒林檎の呪いにちなんで、林檎のフェーブが当たった人には眠りの魔法がかかるの。あ、ちなみついでに、意中の相手から目覚めのキスを受けるとすぐ起きるわ。ロマンチックでしょ』 「意中の相手どころか恋もしてねぇガキに何てもん食べさせてやがる」 『あら、相変わらず進展ないのね、スグリとナツメの坊や』  ザクロは残念そうに首を傾げる。 『じゃあ、ミントがしてみる?一応スグリの一番近くにいる男性でしょ』 「アホか。……つーか、こんなもん売ってみろ。下手に悪用されたり、倒れどころが悪くて怪我したりすんだろーが」 『そうよねー、倫悟郎りんごろう君からも言われたのよねー。来年の新作にしようと思ったけど、やっぱり要改良か』 「当たり前だボケ。つーかそんなもん試食させんなこの駄魔女」 『ちょっとー、元主人に対してひどい言い草じゃないのよ』  ぶー、と年甲斐なく頬を膨らませるザクロに、ミントは鼻先に皺を寄せた。  ――こんなお気楽マイペースな魔女が自分の主だった過去が恨めしい。  歴代最高の魔力を持ちながら『赤橙』の当主の座を蹴ってお菓子作りに走り、人間のパティシエの男とパートナーになった魔女。  だからこそ、魔女の血や力の云々関係なしにスグリを引き取って、屈託なく面倒を見てくれたのだろう(今はこき使っているが)。  ミントの物言いたげな視線に、ザクロはふっと苦笑を見せる。暢気な魔女が時折見せる落ち着いた眼差しは、ミントの考えなど全て見通しているのだろう。 『……ま、一時間もすれば目が覚めるわ。魔法の害は直接は残らないけど、身体が冷えちゃうといけないから、ベッドに運んであげて。スグリに、ごめんねって伝えといて』  じゃあねー、と言って再び暢気に笑うホログラムの光が消えて、通信が切れた。  静かになったダイニングキッチンには、爆睡するスグリと、仏頂面のミントが残る。 「運べ……ねぇ」  気軽に言ってくれるぜ、とミントは溜息を吐く。この小さな猫の姿では、スグリを抱えるどころか、腕一本を持ち上げることすらも無理だ。 「仕方しゃーねぇなぁ……」  ミントは一度体を震わせて本来の姿へと戻り、その大きな背にスグリを乗せるとベッドまで運んだのだった。  ――その後、“白雪姫のアップルパイ”は無事に改良されて、新作として各地の店に並ぶことになる。  パイには、白雪姫を模した林檎の陶器と、王子様を模した王冠の陶器の二つが入れられた。それぞれ当たった二人が少しだけ仲良くなる……互いに意中の相手であれば恋人になれるかも……といったおまじないがかけられて、友達や家族でのパーティ用にと売れ行きも好調だ。  ちなみに、『おまえも早く相手見つかるといいな』とミントに生温い目で見られたスグリが憤慨するのは、また後日の話である。
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