第四話 ドラゴンと花蜜コットンキャンディー

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 ドラゴンは『キフル』と名乗った。  本名はもっと長いらしいが、人間に名乗るときは大抵この名前を使うのだそうだ。 「あれは、三日前の事であった」  キフルはヨーロッパ中央部に連なる山脈の奥地、人々から忘れ去られた古城の跡に棲むドラゴンだ。  いつも通りに、城のある山を含む縄張りを飛び回っていたときだ。縄張りに、空飛ぶ侵入者を発見した。  ドラゴンの飛ぶ高い空域を、箒に横座りした魔女は軽やかに飛んでいた。緩やかな癖のある長い赤髪が風になびき、雪をかぶった山脈では一際目立った。  縄張りへの侵入者を排除するため、キフルは羽を大きく振って魔女の元へと向かった。  もちろん、すぐに攻撃はしない。ドラゴンは言葉を解する知性と理性がある動物であり、ただの獣とは違うのだ。  魔女の前に立ち塞がるように宙で羽ばたき、いつも通りの警告を発した。 『赤き髪の魔女よ、ここは我の領域ぞ。用無くば、今すぐ立ち去れ』  魔力を込めた低く重々しい声は、山々に響き渡る。大抵の者であれば、恐ろしさに身を竦ませてすぐに退散するが、魔女は停止したものの引き返す様子はない。  箒から降りて宙に浮いたまま、魔女は恭しくかしずいた。 『お初にお目にかかります、(いにしえ)の赤き賢者殿。私の名は赤橙ざくろ。東の果て、五色(ごしき)の端くれの魔女でございます。この度の貴殿の領域への侵入、大変申し訳ございません』  謝罪を述べた魔女は、顔を上げてまっすぐにキフルを見つめた。  緑色の目は、キフルを敬いながらも、恐れてはいなかった。そして同時に、かなり力の強い魔女であると見抜けた。  別にたった一人の魔女に負けるとは思えないが、キフルは少し警戒する。 『東の魔女が、我に何の用だ』 『実は、この山地にとても良い香りのする花があると伺いまして、ぜひともその御花を見たく……ああ、駄目だわ、慣れないしゃべり方すると肩凝っちゃう』  急に口調を崩した魔女は、ふうっと息を吐いて苦笑した。あっさりとした変わりように、強張っていたキフルの肩からも力が抜けた。 『ごめんなさい、ドラゴンさん。普通に話していいかしら?』 『……別に構わんが』 『ありがとう! 助かるわ』  赤髪の魔女は、ぱっと大輪の花が咲いたような、明るい笑みを浮かべた。不思議と、仰々しい態度や口上よりも、こちらの方が彼女にしっくりくるとキフルは思った。  そんな風変わりな魔女は今、良い香りのする花を探して世界中を飛び回っていると言った。てっきり植物学者か調香師の類かと思いきや、お菓子作りのためだという。 『素敵な香りの花の蜜を使って、美味しいお菓子を作りたいの』 『菓子……』 『ええ、甘くてふわっととろけて、それでいて花の香りに包まれて』 『甘くて、とろける……』 『懐かしい思い出や、甘酸っぱくて切ない気持ち、素敵な思いになれるような……って、どうしたのドラゴンさん』  キフルがぼんやりとしているのに気付いた魔女が首を傾げる。考え事を魔女に気取られぬよう、キフルは話題を変えた。 『其方(そなた)、この山に咲く花のことを知りたいのであったな』 『ええ。この辺りの高地に自生する花が、とても良い香りと甘い蜜を持つって麓の村のおばあさんから聞いたの。でも、かなり大昔の話だから今は残っていないかもって……』 『その花のことなら、知っている』 『まあ、本当!? 良かったら、教えて下さる? 少しだけでもサンプルが欲しいの』 『……教えてやってもいいが、条件がある』 『あ、もちろん乱獲はしないわよ。種があればぜひとも庭で育てたいところだけど……。それで、条件は何?』 『うむ。条件は――』
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