第四話 ドラゴンと花蜜コットンキャンディー

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 一体雲をどうやって作っているのか。  キフルが辺りを見回せば、もう一つのテーブルの上に何やら妙な形の置物がある。銀色の大きな器の中に、娘は細長い棒を入れて、くるくるとかき混ぜた。すると、器の中に白い筋雲が生まれて、棒に絡みついて徐々に綿雲を形成していく。 「……雲を作る魔法か?」 「あ、キフルさん。貴方も作ってみますか?」  振り向いた娘から、半端な綿雲が付いた棒を差し出されるが、キフルは首を横に振る。 「いや……其方も、魔女であったのだな。このような魔法は見たことが無い」 「え? あっ、いえっ、これは魔法じゃないです! 私、魔法使えないですし…」  娘が慌てて手と首を横に振る。娘の足元では、黒猫がぶはっと吹き出した。 『こいつはいい! ワタアメが雲の魔法だってよ! 古の賢者様でも知らないことがあるとは、驚きだなぁ』 「こら! ミント、失礼よ」  娘は黒猫を叱り、「ごめんなさい」と代わりにキフルに謝ってくる。  娘は、この花の蜜の雲が『綿飴(コットンキャンディー)』と呼ぶ菓子の種類であることを説明してくれた。  置物は綿飴を作る機械であり、砂糖を熱して溶かして細い糸状にして絡めて集めることで、このようにふわふわとした綿雲のような菓子になるそうだ。 「魔法がかかっているとしたら……この飴の方だと思います」  娘の手に乗るのは、白い小さな飴だ。この飴を砕いて、機械に入れていたようだ。 「伯母が、貴方の住む山に咲く花の蜜から作った、特別な飴です。あなたが魔法だと思ったのなら、それはきっと、伯母のザクロの魔法です」 「……」  キフルは、手の中の綿飴を一口齧る。  懐かしい花の香りと共に、はるか遠い昔の思い出が鮮やかに蘇る。 『キフィリエシア様! どうぞ!』  白い服を着た小さな娘が、白い小さな花の花束を腕いっぱいに抱えて、差し出す。 『たくさん摘んできました! 今、丘一面が真っ白になっているんですよ。今度遊びに行きましょうね!』  娘が満面の笑顔で差し出した花を、キフィリエシアは大きな口に含んだ。  王国の守護竜であるキフィリエシアが、この花の香りと甘い蜜が好きなことを、国中の者が知っている。だから、この国では白い花を丘一面に植えて大切に育て、敬愛する竜に捧げるのだ。  竜を祀る神殿に仕えるこの娘もまた、その一人だった。  やがて娘は年を取る。皺だらけの顔に昔と変わらぬ笑みを浮かべ、白い花を腕いっぱいに抱えて、同じ色になった髪を風になびかせる。その傍らには、かつての娘と同じ年頃の少女がいて、恐る恐る花を差し出してくる。キフルが花を食べれば、幼い頬を赤らめながら嬉しそうにはにかんだ。 時が流れ、いつしか娘らが世を去り、神殿も国も消え去り、丘一面の花畑が無くなっても。  山の一部にこっそり取っておいた種を撒き、芽吹いて咲き誇る白い花の名前を、己が知らなくても。  長い長い、悠久の時を経ても――  この甘い香りと思い出が、キフルの中から消え去ることは無かった。 「――キフルさん?どうしたんですか?」  声を掛けられて、キフルははっとそちらを見やる。  菓子店の娘は不思議そうにこちらを見つめていたが、腕いっぱいの大きさになった綿雲を、笑顔で差し出してきた。 「どうぞ、キフルさん!」 「……」  鮮やかな思い出も。花の蜜の飴も。  それが赤髪の魔女の魔法だったとしても。  この胸を震わす思いは、きっと目の前の娘がもたらしたものだ。  あのときの娘と同じ、ドラゴンを恐れぬ眼差しを、優しい笑顔を、この娘がくれるからだ。  懐かしい香りと笑顔に、キフルは確かな喜びを抱きながら、“花の蜜の雲”をそっと口に含んだ。   *****  たくさんあった白い飴もなくなり、綿飴も作れなくなったのは、日が傾いた頃だった。ふぅ、と息をついたキフルが、ぽつりと言う。 「……美味であった。満足だ」 『そりゃあ、あんだけ食えばな。甘党蜥蜴』 「ミント!」  ミントの皮肉にスグリは焦ったが、キフルは気にした様子はない。完全に無視していた。  店の外に出たキフルは、一度身体を震わせて、すうっと元の大きさへと戻る。大きくなる方が簡単なのだそうだ。  キフルはスグリに向かって、深く頭を下げる。 「世話になった。礼を言うぞ、娘」 「そんな、とんでもないです!」  大きなドラゴンに謝意を示されて、スグリは焦る。自分は大したことをしていない。ザクロが準備した飴を使って、綿飴を作っただけだ。  だが、キフルは居住まいを正すと、その金環日蝕の目でスグリをまっすぐに見つめてくる。まるで心の中を見透かしてしまうような目を、スグリもまた見つめ返した。  ふと、頭の中に力強い声が響く。 『我が名は、キフィリエシア・グリムガル・シュバルツェスマーケン。小さき魔女の娘よ、この礼は必ず返す。何か困ったことがあったら、心の中で我を呼べ』 「え……」 「また来る。今度は白い花の種を持って来ようぞ」  キフルはそう告げると、羽を大きく羽ばたかせた。強風に目を瞑って耐えていれば、やがて風が止む。  目を開いた時には、すでに赤い巨大なドラゴンの姿は無く、穏やかな夕陽に照らされた庭が広がっているだけだった。  まるですべてが幻だったような気分になるが、気付けばスグリの手の中に、白く光る薄い飴――ではなく、鱗のようなものがあった。  これは、キフルの鱗だろうか。  赤色じゃないんだ、とどこか不思議な思いで見ていると、足元でミントが面白くなさそうに鳴く。 『けっ、勝手に契約しやがって』 「え? 何?」 『何でもねぇよ』  なぜか怒った調子で、ミントはさっさと店の中に戻ってしまう。  それを慌てて追いかけるスグリは、知らなかった。  赤い竜の白い鱗が、数百年もの時間をかけて魔力を込めたものであること。  古の竜でも数枚しか持たない貴重なものであることを。  そしてその鱗を持つ者は、死ぬまでドラゴンの守護を得るということも、スグリは知る由も無かった。
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