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さて、その数日後のことである。
「ごめんくださいませ」
妙齢の婦人の声に、スグリはぱっと顔を上げた。
いつの間に入ってきたのだろうか。カウンターの前に二十代後半くらいの美しい婦人がいる。綺麗な黒髪を夜会巻きにして銀の簪を挿し、品の良い葡萄色の着物に象牙色の帯を締めた夫人は、どこか愁いを帯びた顔でこちらを見ていた
「いらっしゃいませ。ご入り用のものは何でしょうか」
「あの……お嬢さん。私、本日は謝罪に参りましたの」
「え?」
突然の申し出にスグリは驚く。まじまじと婦人を見やれば、その切れ長の目の涼しげな美貌に、どこか見覚えがあった。
婦人は深々と頭を下げる。
「先日は、愚息がこちらのお店で大変失礼なことを致しまして、誠に申し訳ございません。代金の方を支払いに参りました」
「……あっ!」
スグリは気づく。あの狐の少年と婦人の顔は、とてもよく似ていたのだ。この和風美人もまた、化け狐だったようだ。完璧に人間に化けていたので、スグリは気づけなかった。
婦人は下げていたススキ模様の黒い巾着から、千円札を取り出して差し出す。
「本物でございます。お確かめ下さいませ」
「は、はい……」
確かめると言っても、どうすればいいのだろうか。眉に唾を付けるとか…?と、困るスグリに代わり、いつの間にかキッチンから出てきたミントが対応する。
カウンターに飛び乗ったミントは、化け狐の婦人に向かって軽く片前足を上げてみせた。
『よお。薄野の奥方が出てくるなんて、珍しいこともあるもんだな』
「あら、まあまあ、黒の御方様ではございませんか。お久しぶりでございます」
『その呼び方やめろって。……いやー、しかし、あんたの息子はなかなかいい具合に育ってるじゃねぇか。見事にこいつ、騙されたからな』
「よして下さいましよ、御方様。こちら様にご迷惑をお掛けして、本当に恥ずかしいったらありゃしません。まさか赤橙の魔女様の御身内をだまくらかしたなんて、親族一同、肝が冷えたどころではございませんでしたよ」
『いやいや、それでこそ化け狐じゃねぇか』
和やかに会話するミントと婦人を、スグリは呆気に取られて見やる。
すると、ミントが『安心しろよ、それはさすがに本物だ』とスグリの手の中の千円札を示して言った。
ミントが言うなら大丈夫なのだろうと、スグリは「確かに受け取りました。ええと、ご足労頂いて、ありがとうございます」と婦人に向かって頭を下げた。婦人は白いほっそりとした手を口に当て、ほほ、と上品に笑う。
「まあまあ、ご丁寧に。元はといえば、こちらの粗相でございます。お詫びと言ってはなんですが……よろしければ、お嬢さんを私共の茶会にお招きしたく存じまして」
「え……茶会ですか?」
「ええ」
婦人は持っていた黒い巾着をスグリの前に掲げ、大きくその黒い口を開いて見せて――
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