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林の中へと伸びる赤煉瓦で舗装された小道を、焦げ茶色のローファーで踏みしめて進んでいけば、やがて開けた場所に出た。
「わぁ……」
明るい陽射しが降り注ぐ広い緑の芝生に、庭木と草花が植えられている。無造作に植えられた季節の花々が咲き誇る様子は、テレビで見た英国のお洒落な庭のようだ。そしてその庭の奥、赤煉瓦の小道が続く先に店はあった。
くすんだ赤橙色の屋根瓦に、古ぼけた白い漆喰の壁。茶色の木の扉と窓枠がしっくりと合っている。
玄関の上の赤いビニール生地の庇には「pomegranate」と白い文字が書かれていた。ポムグラニット――英語で果物の「ざくろ」を意味する言葉だ。
まるでおとぎ話にでてくるような、可愛い小さな家である。もう少し、神秘的な魔女らしい雰囲気を想像していた蓉子は肩透かしを食らったような気分になる。
運転手には平気だと言っていたが、やはり無意識に気負っていたものがあるのだろう。脱力した息をついた後、蓉子は店に向かった。
木の扉に手をかけて引き、蓉子は中に足を踏み入れる。
外観と同じく白い壁に囲まれたそこは、六畳ほどの広さがあった。部屋の三分の一を占める古びた木のカウンターとショーケース、その後ろの棚にはガラス戸が嵌め込まれて、中には色とりどりのケーキや、鮮やかなゼリーや、きつね色の焼き菓子がたくさん並んでいる。入口の左右にはイートインコーナーであろうか、二人掛けのテーブル席が三つと、三人掛けのベンチが置いてあった。
「……こんにちは」
カウンターには人の姿が無い。近づくと、カウンターの上の黒いものが動いた。
びっくりしたが、何のことはない。黒いものの正体は猫だった。
艶やかな黒い毛並みの猫は寝ていたようで、耳をぴくりと振るわせた後、頭をもたげて蓉子を見やる。鮮やかな青緑色の目に見つめられて、蓉子はどきりとした。
もしかして、この猫、魔女の使い魔なのかしら――。
しかし黒猫は、ふいっと蓉子から目を逸らすと「にゃあ」とのんきに鳴いた。何だ、普通の猫かと思っていれば、足音が聞こえてきてカウンターの奥の扉が開く。
「どうしたの、ミント?」
扉から出てきたのは、赤いエプロンをつけ、白い生地に赤の水玉模様の三角巾を頭に巻いた少女だった。中学生くらいだろうか。緩やかな癖のある黒髪を二つのお下げにした少女は、どんぐりのような茶色の目を丸くして、蓉子を驚いたように見つめた。
「あっ、いらっしゃいませ!」
慌てたように挨拶する彼女は、どうやらこの店の店員のようだ。テレビや広告で見る、赤髪に緑の目を持つグラマラスな美女のマダム・ザクロではない。
「……あの、マダム・ザクロはいらっしゃる?」
訊ねてみると、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すみません、おばさ……オーナーは不在でして……」
「そう……」
本人に会えるかと期待していたので、蓉子は残念な気持ちになる。まあ、マダム・ザクロは多忙で世界中を飛び回っていると聞くから、店にいなくても仕方の無いことだ。
蓉子は気を取り直して、カウンターに近づいた。
「ここは、マダム・ザクロのお菓子を扱っているのよね?」
「はい」
「マダム・ザクロが実際に作ったものが置いてあると聞いたのだけど」
「はい、ありますよ」
そうして店員の少女がショーケースを示す。しかし、そこに並んでいるのは、街の中心部でも見られる魔法菓子と同じものばかりだ。
「……もう少し、特別なものはないの?」
「特別……ですか?」
「ええ。もっと、特別な魔法がかかっているとか、食べると魔法が使えるとか、空が飛べるとか……」
言ってしまった後で、蓉子ははたと我に返る。小さな子供のような発想に、自分で恥ずかしくなった。
そう、実は蓉子は、魔女にすごく憧れていた。
魔女のように魔法を使ったり、空を飛んだりしてみたい――。送り迎えの車の窓から空を見上げては、何度もそう思ったものだ。
魔法菓子も大好きで、普通のお菓子よりも高いそれらを、お小遣いをはたいて買った。
しかし、魔法のような素敵な時間はほんの少しだけ。
ジンジャーマンクッキーは五分で動かなくなるし、キャンディーは溶けてしまえば味も消える。
ハートチョコレートに告白の勇気をもらっても、成功するとは限らない。初恋を思い出すレモンのタルトには、涙がぽろぽろ零れた。
お菓子の魔法は、幸せな気持ちにしてくれるけれど、幸せにしてくれるわけじゃない。
それでも、魔法に憧れて、魔女に憧れて。
マダム・ザクロに会えれば、マダム・ザクロが作った魔法菓子を食べれば、彼女みたいになれるんじゃないかって――
夢のような話だとわかっている。
魔女は、魔女の血を引くものにしかなれないと聞いた。
こんな子供じみた話、笑われるかしら。
恥ずかしさで俯いたまま、そっと視線を上げて様子を見やれば、店員の少女は真剣な顔で拳を口元に当てている。
「食べると飛べるお菓子……そうしたら、私も飛べるようになるかしら……」
ぶつぶつと小さな声で呟く彼女に、カウンターの黒猫が「にぃ」と短く鳴く。不思議と、呆れたような響きを伴っているように聞こえた。
すると、店員の少女は我に返り、黒猫を恨めしそうに見やる。
「もう、ミント、少しくらい夢持ってもいいでしょう? 空が飛べるようになるお菓子ってとても素敵じゃない! そりゃ、私は飛べない魔女だけど……」
「……あなた、魔女なの?」
少女の言葉に、蓉子は思わず問いかけていた。すると、少女はびくっと両肩を跳ね上げた後、しおしおとその肩を落とす。
「……い、一応……」
「すごいのね」
「いえっ、いいえまったく全然ダメダメなんです! 空も飛べないし、魔法もほとんど使えないし、使い魔の声しか聴くことできないし……」
「使い魔って、その黒猫のこと?」
「は、はい」
ミントです、と少女が両手で示せば、黒猫は億劫そうに身体を起こして座り直し、軽く頭を下げる。黒猫の緑の目は、確かにミントの葉のような鮮やかな明るい色をしていた。
「……使い魔って、人の言葉を話せるの?」
「あ、いいえ。話すというより、その、頭の中に声が直接届くというか、響くというか……」
しどろもどろに説明する少女の傍らで、黒猫はにやにやと目と口元を歪ませて、「にゃー」と鳴いてみせる。すると、少女は白い頬を赤く染めて「もうっ!」と黒猫に手を伸ばす。
黒猫は捕まる前に素早くカウンターから降り、入口近くのベンチに飛び乗ると澄まし顔で横たわった。くわぁ、とこれ見よがしに大きく欠伸する様子は、何だか店員の少女をからかっているようでもある。
蓉子が呆気に取られていると、少女は伸ばした手を慌てて引っ込めた。咳払いして姿勢を正した少女は、蓉子を見やる。
「ええと……魔法が使えるようになる魔法菓子はありませんが、店主が直々に作った、美味しいお菓子はあります。それでよろしければ、いかがでしょうか?」
魔女のお菓子。
魔女にはなれないけれど、魔女が本当に作ったお菓子。
蓉子は、それでもいい気がした。
目の前にいる少女も魔女だけれども、空も飛べなくて、魔法も使えない。猫の言葉だけわかるという、少しだけ普通じゃない女の子で、魔女。
空を飛ぶ魔女もいるし、夢のような不思議なお菓子を作る魔女もいるし、蓉子の夢のような話を呆れずに聞いてくれて、空を飛ぶことに一緒に憧れてくれる魔女もいる。
……うん、それでいいじゃない。
それに、マダム・ザクロが実際に作ったお菓子を食べられるのだもの。ここに来た甲斐は、充分あるわ。
肩の力を抜いた蓉子は、店員で魔女の少女を見上げて微笑む。
「……いただくわ。おすすめは何かしら?」
「今の季節でしたら、旬の柘榴のシロップを使ったレアチーズケーキがおすすめです。わくわくして、少し楽しくなる魔法がかかっています。それから、梨のコンポートが乗ったタルトに野葡萄のシャーベットを添えたもの。こちらは、秋のセンチメンタルな気分を味わえます。そうだ、ここで食べていくこともできますよ。無料で紅茶かコーヒーをお出ししています」
「そう、それなら……」
綺麗なケーキやゼリー、素朴な焼き菓子が並ぶショーケースをのぞき込みながら、蓉子は頬が次第に綻んでいくのを感じた。
魔法菓子じゃなくても、お菓子はそれだけで心躍らせる魔法みたいものなのだと、あらためて思いながら。
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