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ざあっ、と波のような音がする。
風がススキの穂を揺らす音だとわかったのは、スグリの周囲に、ススキの原が広がっているからだ。
スグリの胸ほどの高さがある、ふわふわとした狐の尾のような幾千もの白い穂が、夜の闇を渡る波のように揺れている。
見上げた黒い夜空にぽっかりと浮かぶのは、白銀の満月だ。
いつの間に夜になったのか。その前に、ここはどこなのか。
ぽかんと口を開いて月を見上げていれば、ふくらはぎが何だかくすぐったい。揺れたススキの穂が当たっているのかと思いきや、足元にいたのは大小の狐だった。大きい方はしなやかな体つきの若い狐で、小さい方はまだ幼い子狐だ。
くすくす。きゃっきゃっ。
笑いながら、スグリの足元をその豊かなしっぽでくすぐって、ススキの原の中へと逃げて行く。
風で揺れるススキの中、不自然に揺れる白い穂を目印に後を追いかければ、小さく開けた場所に出た。八畳ほどの広さの野原に、なぜか四畳半分の畳が敷かれており、茶席の用意がされている。
『おう、先にやってるぜ』
「ようこそ、おいでませ」
見慣れた黒猫が、黒い茶器に前足をかけて抹茶を啜っていた。葡萄色の着物を着た婦人は、三つ指をついてスグリを迎える。
お茶を点てるのは、渋い木賊色の着流しに紺色の羽織を羽織った男性だ。後ろで結わえた長い銀髪が、月に照らされて輝く。
男性はスグリに一礼して、白い茶器を差し出した。
「お客人。一服どうぞ」
低く朗々と響く声に、スグリは誘われるまま、黒猫の隣に正座する。
正面の婦人の膝に子狐が飛び乗り、若い狐は茶席の周囲を飛び回る。婦人は膝の上の子狐を撫で、男性は飛び跳ねる若い狐に「大人しくしなさい」と嗜める。
白い茶器の隣には、お茶菓子として洋風饅頭が添えられている。饅頭の柔らかなカスタードの甘さと抹茶の渋さとほろ苦さは絶妙に合っていた。
お月様の味だね、と誰かが幼い声で言う。
手に取った小さな黄色の満月はやがてスグリの口の中に消えていったが、夜空の銀色の月は煌々といつまでも輝いていたのだった。
*****
『――おい、スグリ。起きろ』
頬に何か、ぺちぺちと柔らかいものが当たる。
やわらかい、気持ちいい――。
再び心地よい眠りに誘われるスグリだったが、小さな溜息が聞こえて、今度は頭の上で何かさくりと音がした。
「いっ!?」
丁度つむじの部分に、まるで針で刺されたような痛みが走って、スグリは跳ね起きる。眠気が吹き飛んでしまった。
つむじを押さえて涙目になるスグリを呆れた目で見てくるのは、たった今、頭皮に爪を立てた使い魔のミントだ。
『ったく、店番中に居眠りしやがって。人の事言えねぇじゃねぇかよ』
「え? あれ……ススキの原は?」
『はぁ?』
「ほら、ミントもいたじゃない。着物の綺麗な男の人がお茶点ててくれて、奥さんと子狐と若い狐が……」
『……お前それ、全部狐に化かされたんじゃねぇのか?』
ミントはひひっと白い牙をむき出して笑った。スグリは面食らう。
狐? 夢?
あれが全部、幻だったのか?
「いや、でも、本当に……!」
『ま、居眠りも狐もほどほどにってこったな』
そう言って、ミントは黒い尾を振ってカウンターから飛び降りる。その尾の一部が、なぜか白かった。不思議に思ってよくよく見れば、ススキの穂の端が、黒い尾についていた。
「あ……」
そうして見下ろしたスグリの手元には、あのススキの原で食べた六人分の洋風饅頭の代金と。
ススキの穂が一本、お土産のように添えてあった。
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