第二話 幼なじみと四葉のフォーチュンクッキー

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 できるだけナツメを見ないように、スグリがカウンターに視線を落としていれば足音が近づいてくる。顔を俯けていれば、背の高い彼の顔は見なくてすむ。 「お決まりになりましたか?」 「そうだね……じゃあ、栗と薩摩芋のモンブランを一つ。ここで食べて行こうかな」 「……かしこまりました」 「いつも通り、紅茶をお願いするよ」  ナツメの注文に重い気持ちになりながら、ショーケースからモンブランを取り出す。  栗の渋皮煮の薄茶色のクリームと、薩摩芋の明るい黄色のクリームの二色からなるモンブランは秋季限定で、秋の実りをより味わえる気分になる。常連の老婦人は、子供の頃にやった芋掘りや栗拾いを思い出すと言っていた。  添える紅茶は、癖のないセイロンの茶葉だ。ポムグラニットでは基本的にスイーツの邪魔をしない、癖がそれほど強くないセイロンやアッサムを用いる。シンプルな焼き菓子の際には、お客様の希望があれば香りのあるアールグレイや爽やかなダージリン、その他のフレーバーティーを出している。チョコレートだったら濃いアッサムや深煎りの珈琲だ。  モンブランをお盆に乗せて、入口近くのテーブルの一つに置いた。「紅茶をお持ちしますので、しばらくお待ちください」とお決まりの台詞を言って、キッチンの方へと向かおうとした。  だが、ふいにナツメに腕を掴まれた。驚いて顔を上げると、青い目に間近で見下ろされていて、緊張する。 「やっとこっち見た」 「な、なに……」 「スグリも一緒に食べない? どうせ暇でしょ。奢るよ」  微笑むナツメの顔は、昔に比べてずいぶん大人びたものになっていた。  少年から青年に移り変わる顔の輪郭はシャープになり、可愛さよりも精悍さが増したように思える。背もぐんと伸びて、スグリより頭一つ分は優に高く、細身ながらもしっかりとした身体つきになっていた。  会う度に男の人らしくなるナツメは、時折こうやってスグリを誘ってくる。しかし、裏で何を考えているかわからないと警戒するスグリは、一度も誘いを受けたことはなかった。どうせ、柔らかい言葉で意地悪なことを言ってくるのは目に見えている。 「いえ、結構です」  即座に断って、スグリはカウンターへと早足で戻り、キッチンの扉の向こうに急いで姿を隠した。  はあ、と大きく溜息をついてから、紅茶を準備する。湯を沸かし、ポットを温め、紅茶の茶葉を入れながらも、スグリは縋るようにミントの姿を探したが見つからない。ミントが来てくれれば、少しは心強いのに。  沸いたお湯をポットに注ぐ頃になってもミントは姿を見せなかった。店の中にナツメと二人っきりという嫌な状況に戻らねばならないことに、スグリはもう一度大きく息をついて店内へと戻った。  モンブランを食べるナツメは、意外にもそれ以上スグリに意地悪なことは言わなかった。 「さすがザクロさんだね。相変わらず美味しいや」  ナツメはいつも美味しそうに食べるので、そこだけはスグリも少し嬉しくなる。伯母の作るお菓子が褒められるのは、姪としても店員としても誇らしいことだ。 「ありがとうございます」  食べ終わったナツメに一礼して、紅茶と皿を片付けようとした時だった。 「……スグリは、いつまでここにいるの?」 「え?」  椅子に足を組んで座るナツメが、珍しく笑顔を消して、スグリを見上げていた。 「いい加減、街に戻ってきたら? 街にも普通の高校はたくさんあるんだから、こんな田舎町に住まなくていいんじゃないの? おばさん達寂しがってたし、カエデちゃんも会いたがってたよ」 「……」  突然の言葉に、スグリは硬直した。  身体だけでなく、心もまた強張って、軋む。 「今戻ってきて、転校しても時期的にまだ間に合うでしょ。僕もここに来るの、少し疲れるし……」  ふつりとスグリの中で何かが切れた。  それは怒りの糸だったのか、悲しみの糸だったのか。自分でもよくわからぬまま、口が開く。 「じゃあ、来なくていいよ」 「っ……」 「もう来ないで。私、ここにいたいもの。……戻りたく、ないの」  スグリの言葉に、ナツメは青い目を見開いた。彼の薄く開いた唇が何かを言おうとして開くが、迷うように閉じられる。  何か言われるのは嫌で、何か言うのも嫌で、スグリは一度頭を下げてからお盆を持ち、逃げるようにキッチンの扉に向かった。  キッチンの扉を閉めるまで、ナツメの声は掛けられることはなかった。
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