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『やーい、ふられてやんのー。ざまぁ』
外に出れば、鼻で笑う青年の低い声が上から降ってきた。ナツメが見上げると、屋根の上に寝転がった青緑色の目の黒猫が、悠然としっぽを揺らしている。
『せっかく気を利かせて二人にしてやったのに、台無しだなぁ。嫌われたな、こりゃ絶対スグリに嫌われたなぁ』
シシシ、と髭を揺らして笑う様は、まるで不思議の国のチェシャ猫のようだ。
そんなふざけた態度の黒猫――スグリの使い魔であるミントを睨み上げたナツメは、しかし何も言わずに目を逸らした。
嫌われた、と実際に言葉にして突き付けられると、さすがにきつい。
ナツメは立てかけていた箒を手に取って、軽くミントに頭を下げた。
「失礼します、ミントさん」
『毎回毎回大変だねぇ。箒乗って高速で飛んできて、魔力も体力も結構使うだろうに。ま、さすがあの『青樹』の次男坊ってわけか』
嫌味な言い方に、さすがにナツメも言い返す。
「……そちらこそ、あの『赤橙ざくろ』の元使い魔のくせに、よくスグリに従っていますね」
『あぁ?別にあいつに従った覚えはねぇよ。お守りをしているだけだ』
「その割には放置しているみたいですが?」
『なぁに、好きな子いじめしかできねぇ坊やに傷つけられたスグリは、ちゃーんと俺が慰めてやるからよ。いやはや、俺の株だだ上がりだぜ。お前はだだ下がりだけどな』
「……」
本当に嫌味な使い魔だとナツメは思う。
わざわざ小さな黒猫の姿でいるところも、ミントという可愛らしい名前に変えているところも。
そして、スグリを傷つけた仕返しをするように、ナツメが傷つくようなことを言うところも。
自業自得だと、ナツメもわかっている。
四歳のときにスグリに出会ってから、ナツメは彼女にちょっかいを出してきた。
少し傷つくようなことを言って、彼女が悔しそうにしたり、泣きそうになったりするところを見るのが好きだった。
そしてそれ以上に好きだったのが、彼女がいつも『魔法』に憧れていたところだ。
魔法で氷の花を作れば、頬を真っ赤にして、「きれい! ナツメくんすごいね!」と大はしゃぎで褒めてくる。箒の後ろに乗せてやれば、「たかーい! はやーい!」ときらきらした目で抱き着いてきた。
あれだけいじめても、魔法の前ではスグリは純粋にナツメを褒めて、喜んだ。その顔を見ることが一番好きだった。
ナツメは『五色』の一つ、『青樹』の本家に生まれた。次男坊ではあるが、家からも周囲からも大きな期待を受けている。
魔法なんてできて当たり前。空を飛べないなんておかしい。
頑張って勉強して、たくさん練習して。新しい魔法を覚えても、空を自由に飛べるようになっても。「さすが青樹の子」「兄弟揃って優秀ね」と自分自身が褒められることはほとんど無かった。
そんな周囲の圧力を受ける中、スグリを見つけた。
『青樹』と同じく、五色の『赤橙』の血を継ぎながらも、魔力をほとんど持たない子。
周囲から期待されず、呆れられ、諦められた少女。
それでも彼女は、魔法に憧れていた。勉強も練習もして、諦めなかった。
ナツメからいじめられても、怒って、泣いて。
魔法を見ては、笑って、喜んで。
くるくると表情を変えながら、魔法を好きでいた。
だから、彼女が魔法学校に入れずに、諦めて街から出て行ったことに愕然とした。自分に何も言わずにいなくなったことに、無性に腹が立った。
その気持ちは今も消えずに、彼女を前にすると昔のように意地の悪いことを言ってしまう。本当に言いたいことを、素直に言えない。
『また一緒に魔法の練習をしよう』
『空が飛びたいのなら、僕の箒の後ろに乗ればいいよ』
『街に戻ってきてよ、スグリ――』
ナツメは俯き、唇を強く引き結んだ。空気が動く気配がして、黒猫が屋根から軽やかに降り立つ様が視界の端に映る。
『お前の都合ばっか押し付けんなよ、坊や。あいつはお前とは違うんだ』
「……」
『あいつは、あいつ自身が望んでいた魔女には絶対になれねぇ。それがわかったから、あいつは街を出たんだろうが。それを無理やり戻すってのも酷だぜ?』
「……わかっています」
わかっているけれど、戻ってきてほしいと思ってしまう。
一緒にいてくれればと願うのだ。
拳を強く握るナツメを、ミントはそれ以上責める気は無いようだった。
『若いねぇ、青春だねぇ』と揶揄う声音で、黒猫はしっぽを揺らしながら玄関の方へと歩いていった。玄関の前で一度立ち止まった彼は、ちらりと首だけ振り返って言う。
『まあ、まずは坊やがちゃんと告白できるようになってから出直すこったな。……何だったら、ハートチョコレート奢ってやろうか?』
「……いいえ、結構です」
大事なことをいつも魔法の力に頼っている自分だ。これくらい自力で叶えなければ、それこそ目も当てられない。
ナツメはミントにもう一度深く礼をして、ローブを翻しながら煉瓦の道を歩き出した。
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