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かたり、と猫用扉が開く音が聞こえる。
『おーおー、また泣いてんのか』
店内からダイニングキッチンに入ってきたミントに、スグリは「泣いてない」と小さな声で返した。まだ泣いてはいない。我慢している。
ダイニングのテーブルの下に潜り込んで膝を抱えるスグリの耳に、ととっ、と小さな足音が届く。
『相変わらずワンパターンな、お前。叱られたり落ち込んだりしたら、狭いとこ入って小さくなって隠れてんの。猫みてぇ』
「猫はミントの方じゃない」
『さぁ? どうだろうなー』
ミントはいつも通りのふざけた声音だ。
スグリが落ち込んでいる原因はよくわかっているだろうに、ミントは特に気にした様子もない。スグリにとっては、そちらの方がありがたかった。
膝に伏せていた顔を上げれば、傍らにミントが座っている。
『ほらよ』
ミントが、口に銜えていたものをスグリの傍らに落とした。透明のビニールで包装されたそれは、掌サイズの大きなクッキーだ。
四つのハートが集まった、四葉のフォーチュンクッキー。
マダム・ザクロの魔法菓子の中でもトップ3に入る人気のお菓子だ。
美味しそうなきつね色で、それぞれの葉には、水色、黄色、桃色、黄緑色の淡い色のアイシングで細いハートの縁取りが描かれている。
『それ食って元気だしな』
「またお店から勝手に取ったの? 伯母さんに怒られるわよ」
『今回はちゃんと奢ってやるよ。ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさと食えって』
鼻先で押され催促されて、スグリはクッキーの袋を手に取った。包装から取り出した四葉のクッキーの中心部、接着している部分をぱきりと折って、四枚の葉にする。
どれから食べようか。迷いながら手にしたのは、黄色のアイシングの葉だ。
一口齧れば、さくさくとした軽い食感。香ばしさと甘さが口の中に広がる。と、同時に――
「うぅっ……」
スグリの視界は潤んで歪み、頬にぽろぽろと涙が零れる。堪えていた悲しみが、一気に膨らんで胸から溢れ、涙となって出ていく。
クッキーにかかった魔法、『哀しみ』のせいだ。
四葉のクッキーには、それぞれ魔法がかけられている。『喜怒哀楽』の感情を少しだけ高める魔法だ。
四枚の葉に、四つの感情。アイシングの色は関係なしに、クッキー生地にランダムにかけられた魔法なので、どの色がどの感情なのかわからない。まさに運試しの、占いクッキーなのだ。
「……私、つ、ついてないっ……よけい、かなしくなったじゃないっ……。もうっ、なんでさいしょに、これ、えらんじゃうの……ばかぁ……」
『いいじゃねぇか、今のうちに泣いとけ泣いとけ。すっきりするぜ』
「う~……」
『だいたい、最初が一番悪いってことは、後は全部マシってことじゃねぇか。お前、ついてないどころか、ついてんだよ』
「……そう、かな……」
ぼろぼろと泣きながらも、クッキーは美味しいしミントの言葉に励まされるし、気付けば一枚食べ終わっていた。
エプロンで涙を拭って、次のクッキーを選ぶ。水色のアイシングだ。
さくさくと齧っていれば、次第にふつふつと何だか腹が立ってきた。『怒』のクッキーだ。
「……大体、ナツメ君、意地悪なのよ。毎回毎回、わざわざこんな田舎まで来て、嫌味だけ言って帰るなんて! 本当に暇人で悪趣味なんだから! もっと有意義なことをするべきだわ!」
『あー……お前のそのえげつない鈍感さ、ちょぉっとあいつに同情しないでもないが、うん、まあ、俺は好きだぞー』
「何か言った!?」
『いいや何でも。そーだなー、ナツメのやろー、さいてーだぜー』
「そうね、そうよね!」
黒猫がどこか遠くを見ながら棒読みで賛同する傍らで、次は黄緑色のアイシングのクッキーを取る。
「……なんか、すっきりした。たまには悪口も言った方がいいのね。……ふふ、なんだか少し、楽しくなってきちゃった」
喜怒哀楽の『楽』の感情が、スグリの心を浮き立たせる。
『その調子その調子』
「今日の夕飯、張り切っちゃおうかな。ミントの好きなもの作るね。何がいい?」
『茶碗蒸しと揚げ出し豆腐と厚焼き玉子』
「わかったわ。でも猫舌大丈夫?」
『熱いものを熱いうちに食べるのが粋ってもんだぜ』
「それでいつも火傷してるじゃない」
くすくすと笑いながら、最後に残ったのは桃色のアイシングのクッキーを手に取る。スグリはいつも、この桃色を最後に食べるようにしていた。
口に入れれば、これまでで一番の美味しさが広がる。
同時に広がる、『喜び』の感情。顔を綻ばせるスグリに、ミントは澄まして言った。
『ほらな、お前は運がいい。最後に一番いいのが当たるんだからな』
「……うん。ありがとう、ミント」
呟いたお礼の言葉は、彼に届いていたはずだ。しかしミントは何も言わず、『茶碗蒸し~』と変な調子の歌を歌いながら、テーブルの下からさっさと出てしまう。
優しいのか、気まぐれなのか。
いまだに掴みどころのない使い魔に、スグリは苦笑したのだった。
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