紙魚の夢

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「今日は面白い本があった?」  助手席にはブランケットが折りたたまれていて、わたしはそれを膝にかけながら、そうだね、と答えた。 「美味しそうな本だった」 「本がおいしそうだったの?」 「そうじゃなくて。食事のね、描写が美味しそうでおなかすいたなって」  折り紙に綴られた小さな言葉の応酬は、なんとなく自分だけの秘密にしておきたくて口にしなかった。  別に全く後ろめたいことはないのだけど。  彼はくすくすと笑いながらわたしの頭にポンと手を置いた。 「それじゃあまずは万葉(かずは)のお腹を満たさないとね」  ふにゃっと目尻を垂らして優しい顔を見せた彼はわたしより7歳も年上なのに少しも老けて見えない。  くしゃくしゃのパーマや丸いメガネがよけい若そうに見せるのかもしれない。   「そういう松雪(まつゆき)さんは?」 「ぼくだってお腹ペコペコだよ、早く美味しいものを食べに行こう」 「行こう行こう!」  松雪さんはストレスを全く感じさせない運転をする。  スタートもブレーキもわからないくらいそっと静かだし、無駄な急発進や急停車をしない。  多分たくさんの女の人を乗せてきた人のする運転だ。  乗り物酔いをしがちなわたしは車が苦手だったけど、松雪さんの車に乗るようになってから平気になった。  車はゆっくりと坂道を登り始めた。眼下に光を瞬かせた夜景が広がっていく。 「綺麗」  小さな呟きも松雪さんは聞き逃さない。 「お店の席からも見えるって」 「そうなの、楽しみだね」  いくつかのカーブを曲がり切った先にそのお店はあった。  古民家のような落ち着いたたたずまい。知る人ぞ知る隠れ家の様で心が浮き立った。 「万葉が好きそうだなって思ってさ。なかなか予約が取れなかったけど、タイミングが良かった」 「好き。ありがとう」 「入る前から気に入ってくれたの?」 「こういうお店は絶対に美味しいもの」  車から降りると並んでお店の入口へと向かった。  女性の平均身長より少しちいさなわたしと、男性のそれをかなり上回る松雪さんが並ぶと、大人と子供みたいに見える。  だから精一杯背を伸ばして、彼の隣にふさわしい顔を作ってしまう。  松雪さんもそれには気がついていて、わたしを見下ろすと、ちょんっと頬を指でつついた。 「そのままの万葉でいいんだよ」  それだけでわたしの気持ちは溢れそうになって、胸がぎゅっとしてしまう。  好き。  松雪さんが、好き。  多分好きを測ることが出来たら松雪さんより重たいはずだ。  お店の中は想像した通り落ち着いた雰囲気がした。  広めにとられたテーブル同士の間が空間に余白を持たせ、案内された窓際の席からは夜景が広がって見えた。  テーブルの上でチラチラと光を飛ばすランタンがさらにムードを作っている。  向かい合って座るとさっそくメニューを開いた。 「何にしようか」  わたしが見やすいようにこちら側に字の向きを見せる。  パラパラとめくると創作和風が多いらしく、玄米や雑穀米なども選べるそうだ。  わたしはいろんなお惣菜が入った定食を、松雪さんはウナギを選んだ。 「好きだね、ウナギ」 「なんか元気が出るじゃない?」  意味深に笑いながら松雪さんはテーブルの上でわたしの手の上に手を重ねた。 「明日は休みだよね」 「そう。松雪さんも、だよね」 「万葉とゆっくりしたいからね」  そのまま指を動かし手の甲の骨の間をゆっくりとなぞった。  松雪さんに触れられた場所からポっと音をたてて熱がこもっていくようだ。 「外だよ」 「うん、わかってる」 「松雪さん」  困った顔をして見せても、松雪さんはニコリと笑って見せるだけだ。 「万葉が恥ずかしそうにしている顔が好きなんだよね。頬が赤く染まっていくのも、少しだけ体温が上がるのも。そしてそれを平気なフリをして誤魔化そうとしてるのも」  その通りだ。  わたしはいつもで松雪さんの思う通りの反応をしてしまう。初心な子供でもないくせに彼の前ではいつも少女のようになってしまう。 「お待たせいたしました」  タイミングがいいのか悪いのか料理が運ばれてくるとパっと手は離れていった。 「うわ、美味しそうだな」  そして何事もなかったかのような平気な顔をして見せた。 「ほら。万葉も美味しいうちに食べなよ」 「う、うん」  まだ心臓がドキドキしている。  松雪さんの体温が恋しくて仕方ない。  わたしは俯いたまま「いただきます」と両手を合わせた。  今彼の顔を見てしまったらコントロールができなくなりそうで。それをわかっているのにいたずらをする松雪さんは意地悪だ。 ノッキ→まかろんへGO☆        
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