紙魚の夢

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キスをすると、口元の髭から微かにウナギのタレの香りがして、思わず「ふふっ」と声が漏れた。 「なに?」 気怠い低い声で松雪さんが訊ねる。 「可愛いなって思って」 「可愛くはないよ」 いつも被せる勢いで直ぐに否定する。 松雪さんは可愛い。格好良い、素敵、頼れる、優しい、あたたかい、懐が深い、包容力がある。─そして、間違いや、わたしが悪いときは、ちゃんと叱ってくれる。 わたしより7つも歳上だけど、そんな松雪さんの、ふとした子どもみたいなところが可愛くて好きだ。 車の外は紺色と紫とが混じりあった空に、小さな金色の粒が光っている。昼間に比べてだいぶ気温が下がっているのだろうか、しばらく停めていた車の窓がすっかり白く曇ってしまっていた。 シートを倒して横になっていた身体を起こそうとしたら、ぐっと肩を引き寄せられて、唇を噛まれて深いキスをされた。 「─ッ、くる、し」 「ククッ」 満足そうに笑いながら、暗闇のなかで衣類を整えて行く松雪さんを見て、また笑えて来る。「なに、また」松雪さんも笑う。わたしも下着を探しながら、本当に幸せだなぁ、と感じていた。 車のなかは、ふたりだけの世界。ふたりだけの会話、ふたりだけの触れ合い、ふたりだけの秘密で溢れている。 出会った頃は、ホテルに行くデートが定番で、それ以外はその付け足しのようなものだった。 昔の歌謡曲みたいに、ホテルで会って…みたいなことはさすがになかったけれど、目的は「それ」で、それだけだとちょっとね、の食事やお茶だったように思う。 ホテルに行って、目的を果たしたら、疲れて眠ってしまう松雪さんを見ているのが辛くなって来たのはいつ頃からだっただろう? 俗に言う「賢者タイム」はないひとだけれど、それでも眠っている間の時間に、わたしは必要なのだろうか?と思いながら、昼間に眠れないタイプのわたしは、暇を持て余し、映画ばかり観ていた。 いつのまにか、本当にいつの頃からか、出かけるデートがメインになって、会えるめいっぱいの時間を食事や観光、お茶や買い物に費やし、ホテルに行く時間を作らず、車で及ぶことが増えた。 それも一時期は、手っ取り早く済ませたいだけだろうとか、軽く扱われてるとか、ネガティヴに感じたりしたこともあって、今から思うと女っていうのは、本当に面倒臭い生きものだと思う。 松雪さんは、自分に正直なひとだ。自分の欲望に忠実。周りに適当に嘘はつくし、わたしにはつかない代わりに、黙っていることは多い。 でもそれはわたしも同じで、恋人だから、夫婦だから、パートナーだからと、全てを晒す必要もないし、全てを理解して解り合えるわけでもなく、どんな関係性であっても、距離感というものへのお互いの価値観が同じであることや、言葉や行動から、いかに信頼関係を築いているか、が大きいように思う。 車ばかりだからとか、キスは行為のあとだったり、しないときもあったり、愛の言葉は囁かない松雪さんだけど、彼なりの愛情表現や強い信頼や厚い情を、この6年わたしに注いでくれている。 そう思えるようになってからは、お互いに帰る場所があるこの関係も、神さまからのギフトだと感謝できるようになった。 「万葉はなにか欲しいものないの?」 帰り道に差し掛かりながら、松雪さんが聞いた。 「欲しいもの…」 「もうすぐ、クリスマスだからね」 まかろん→ノッキへGO☆
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