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1-1
私は、これまでの過去に大変満足している。
自分の選択に後悔することはあるが、
幸運にも自分の中だけで留まり、
世に暴露されることはなかった。
その安心感に浸り、大きな充実感と肝の冷たさを時々思い出す。
その実が大きく育つほど、冷たさは一層際立ち、穴が開いたように冷えて固まり、
底に落ちついている。
誤魔化しは効くが、忘れることはできない。
「なにか希望はある?」と向かいの席に座る彼女が聞いてきた。
私は、コーヒーカップを持ちながら自分の部屋は欲しいと伝えた。
彼女は、風呂トイレは別がいいとか、
南向きがいいとか、
キッチンは広いところがいいとか。
呟きながら部屋探しサイトのチェックマークを次々に押していく。
家賃の上限は?
いつから探し始める?
お互いの家にあいさつしに行かなくちゃね。
一回不動産屋さんに見に行ってみない?
私は吐く息に音を乗せるように答えていく。
言葉の便利さにありがたみ感じていた。
決して乗り気でないわけではなかった。
しかし、将来の話となると、殊に期待を膨らませた幸福そうな彼女を見ると、
今まで上手く大人を演じていた幼稚な自分が表れてくるのだ。
どちらの自分が本来の自分なのかはもはやわからなくなっていた。
少し影を落とした彼女が目に入り、人間は都合よく鈍感でいてはくれないものだと
鼻から大きく息を吸って、音が聞こえないようゆっくり吐いた。
「そろそろ行こうか。」
「そうだね。」
伝票をもって立ち上がると、
奥に立っていた女性が一歩目だけ跳ねるように動き始め、レジに向かっていった。
彼女に預けていた財布を受け取り、支払いを済ませる。
押戸を開けて外に出ると、冷たい空気が火照った耳に冷たさを与えていた。
「次の休みはどこに行こうか。」
「どうしようね。」
くすんだ声色が滲む。
辺りの影の境界はぼやけていて、とても冷えていた。
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