ひとりぼっちだった魔法使いのお噺

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ひとりぼっちだった魔法使いのお噺

 聞き違いかと思った。  或いは、都合のいい妄想から来る幻聴。  だから最初にその『音』を聞いた時、私は反応出来ずにいた。  コンコンコン。  しかし再びその音が聞こえると、空耳では無かったことに驚き、慌てて返事をした。 「開いている」  自分の喉から出て来た声は、記憶していたよりも随分と歳を取っているように感じられた。それに、少し掠れている。それでも、自分がまだ声の出し方を忘れていなかったことに安堵した。 「こんにちはぁ~」  キィ、と音を立てて古びた木造の扉が動いたかと思うと、外からひょこりと顔を覗かせたのは、存外にも小さい娘だった。その歳は十……大きく見積もっても十二と言ったところか。まだ本当に、ほんの子供であった。 「あなたが、魔法使いのおじいちゃん?」  舌足らずとは言わないが、幼い喋り方だった。  おじいちゃん、と言われて、私は少し眉毛を下げた。 「……まぁ、君のような子供からしたら、私はもうすっかりじいさんになったんだろうな……」 「二百年も生きているって、本当?」 「さて、どうかな?」  手前の椅子を引いて手招きすると、少女は何の警戒心もなく、すんなりとその椅子へ座った。 「ホットミルクと、ハーブティーがあるが。お嬢さんはホットミルクかな?」 「はーぶてぃって、何?」 「庭のハーブを摘んでいれるのさ。それにお湯をいれて蒸らすだけで出来る。でも、お嬢さんの口には合わないかもしれないね」 「どうして?」 「そうだなぁ……きっと、慣れない味がするだろう」 「じゃあ、そのはーぶてぃにする!」  本当に? と訊こうとしたが、ニコニコと笑う少女に、何と無く否定的な言葉を使うのは躊躇われた。結局、今朝摘んだハーブを使って、この小さな客人をもてなすことにした。  それにしても、客用のティーカップなんて物はもう何十年と使っていない。キッチンにあるあっちこっちの戸棚を開けたり閉めたりを繰り返して、やっと床下の収納から古びた箱を見付けた。中身は意外にも、少しも色褪せてはいなかった。  さっと二つのティーカップを洗うと、ハーブティーを注ぎ淹れ、その一つを少女の前に置いた。私は少女の正面の椅子を引いて腰掛ける。  ハーブの柔らかい香りが、湯気と共に室内に揺らめく。一口味わい、ふぅと息を吐いてから、訊く。 「それで、お嬢さんは何故ここに?」  少女はティーカップを持ち上げ、フーフーと小さな息を吹きかけている。どうやら猫舌のようだ。 「るいとが、『魔法使いなんていない』なんて言うから、会いに来たの」 「うん?」  私は首を傾げたが、少女は話の趣旨がまるで伝わっていないなんて思いもしないような目で、真っ直ぐに私を見ていた。  なので私も暫し、少女の目をよく見つめ返してしまった。  くりくりの丸い瞳は、全く純真無垢な光を携えている。子供というものは、こうも雑じり気のない目をしていたのかと驚いた。それは、感動に近い。  ひょっとすると少女は、想像したよりももう少し若いのかもしれない。 「大人はみんな、この森に入ったらダメだって言うから。直ぐにわかったの。やっぱり、この森に魔法使いはいた。わたしの思った通りだった!」  少女は勝ち誇ったように満面の笑みを携えたが、一口ティーカップに口を付けたかと思うと、途端に渋い顔をした。ぶっ、と吹き出しそうになってしまったではないか。 「ほうら。合わなかったろ?」  口角が上がってしまっているのを自覚しながら指摘すると、少女はつまらなそうに口をすぼめた。 「初めてのものを知った時は、誰だって驚くものよ。どうして決めつけるの?」  先程までとは印象を変える口ぶりに、「おや?」と思った。 「それは失礼したね。よく味わって。でも、無理はしなくていいよ。さて、話を戻そうか。……つまりお嬢さんは、『魔法使いはいるということ』を証明する為に、一人でこんな森の奥まで?」 「あかり」 「うん?」 「わたし。マエハラアカリ。だから、『あかりちゃん』って呼んで」  私は少し困って、もう一口、ハーブティーを飲んだ。コクリ、と自分の喉が鳴る音を聞いてから、ゆっくりと口を開く。 「……あかりちゃん。一人でこんな森の奥に来るなんてのは、とても勇敢だ。だけど、危ないよ」 「どうして? 魔物が住んでるの?」 「まさか!……もし、迷子にでもなったらどうする?」 「迷子にはならないわ。真っ直ぐ歩いて来たし、三十歩歩くごとに木の幹に赤いリボンを結んで来たから。だから、ちゃぁんと一人で帰れるよ」  ほう、と声が零れた。魔物が住んでいるのかなんて聞いた後に、随分と賢いことを言う。 「お嬢さんは勇敢な上に賢い。それでも、そろそろ帰らないといけない。ここら辺は、暗くなるのが早いからね」 「『あかりちゃん』」 「……あかりちゃん、の、両親もきっと心配するだろう」 「問題ないわ。だって、パパもママもお仕事でまだ帰って来ないから」 「それでも、」言いかけて、ハーブティーをもう一口飲む。「暗くなると、危ない」  言うと、少女は柔らかそうな頬をぷぅと大きく膨らませた。 「じゃあ、魔法で送ってよ。家の前まで。そうしたら、問題ない」  私は口元を歪めて笑った。眉毛が下がる。 「……『魔法使い』ってのは、お嬢さんが思っているよりも有能じゃ無いんだよ」 「知ってるわ。だって、おじいちゃん、全くおじいちゃんじゃないんだもん。パパくらいに見えるけど、きっと二百年は生きてるんでしょ? でも、魔法使いからすると、ジャクハイモノなんでしょ?」 「若輩者……」  私はまたティーカップに口を付けたが、カップの中は既に空だった。やれやれ、と内心で溜息をついた。 「壁にたくさん吊られた、枯れたお花はおまじない?」 「それはね、『ドライフラワー』って言うんだ。枯れてはいない」 「枯れてないの? なんで逆さまなの?」 「枯れてないよ。逆さまにすることによって、花を枯れる前の美しい状態のまま、保存することが出来るんだよ」  ふぅん、と少女は興味無さそうな顔をして言う。もしくは既に関心を移したのか。部屋の中をきょろきょろと見回していた。 「この家には、台所とこの机と椅子と、ドライフラワーしかないのね」 「私は一人暮らしだからね。十分だ」 「一人で暮らしてるの? 家族はいないの? 奥さんは?」 「居ない。ずっと、一人だ」 「どうして? 好きな人が居なかったの?」  私はまたティーカップに口をつけて、すっかりハーブティーを飲み干してしまったことを再び思い出した。苦笑いするしかない。 「……そんな話はどうでもいいだろう。さぁ、そろそろ帰りなさい。私に会えたことで、おじょ……あかりちゃん、の、目的は果たしたはずだ」 「どうでもよくないわ。大切なことよ。だって、魔法使いに好きな人が居たかどうか知れる日なんて、あなたが言ってくれなきゃ、永遠に訪れないのよ?」  少女は例の、純粋な瞳を私に真っ直ぐに向けた。そこには、ハッキリと私の姿が映っていた。  うんん、唸り声が自分の口から漏れる。微笑と共に。 「しょうがないな。おじょ、……あかりちゃん、は、随分と久し振りのお客さんだから、特別に教えてあげよう。でも、聞いたらきっと、帰るんだよ。途中までなら送ってあげるから」 「わかった。約束ね」  目の前に小指を差し出され、私はやっぱり微笑した。なんだか、こそばゆい気持ちになる。  脳裏に浮かぶのは、もう何十年も前の記憶。すっかり色褪せてしまっているだろうと思ったのに、思い出せば鮮明だった。  無邪気に笑う、女の子。―――そうだな、目の前の少女みたいに、『彼女』もまた、純粋な目をいつも輝かせている女の子だった。  指切りをしてから、私は口を開いた。 「……私にも、昔は好きな人がいたさ。明るく笑う女の子だった。長い髪に長いワンピースを翻してね、よくこの森の中を駆け回って、冒険をしたよ。彼女は薬草に詳しくて、私もいつの間にか詳しくなった。だから私は、薬を作って売ったりしてる。けど、最近はとんとお客が来なくて、自給自足の生活をしているってわけさ」  アヤコ。心の中で彼女の名前を呼んだ。 「告白はしなかったの? 振られちゃった?」  子供というのは、無邪気な悪魔のようなのだな。  私は立ち上がり、新しいハーブティーを注いだ。包み込むような柔らかい香りに包まれながら、コクリ、と喉を潤す。 「……彼女はマドンナでね。私は、勇気を持てなかったんだよ」 「『マドンナ』って? 人間でも魔法使いでもなかったの?」  誰にも打ち明けたことのない秘密を見ず知らずの子供に話すのは、案外、心がほぐれるような気持ちになるものだ。私は、ついでとばかりにもう一つ、重大な秘密を打ち明けることにした。 「……夢を壊してしまうかもしれないけれど。お嬢さん達が思う『魔法使い』なんてものは、世界の何処にも居やしないんだ。魔法使いというのはね、少し、薬草に詳しいだけの人間を指す言葉なんだよ」  少女の純粋な夢を壊してしまっただろうか。怒るかもしれない。泣くかもしれない。「嘘だ」と認めないかもしれない。  でも、この地域に残る『魔法使い』の話はろくでもないから、ホッとするかもしれない。  魔法使いは人々の病気を治す薬を処方出来る。だから、人々は大切な誰かが病気になれば、魔法使いを訪れた。  だけど魔法使いは決して人間の味方というわけではない。  神隠しのような魔法で人間を隠し、その晩、黒ミサで、その人間の血を飲むだとか。それで不死を得ているのだとか。―――あんまり、絵本で聞くような『魔法』からは欠け離れている。  少女はまたあの瞳の中へ、私を捉えた。それから、少しも瞳を揺らさずに口を開く。 「『あかりちゃん』」 「うん?」 「いい加減、覚えてよね。るいとでも、こんなに何度も、同じことを言わせないわ」 「…………」 「あ、『るいと』って言うのはクラスメイトでね。先週から隣の席になったの。運動神経はいいんだけど、頭がね。いつまでも、子供なのよ」  ふぅ、と少女は息を吐くと、「さて」と立ち上がった。 「ごちそうさま。じゃ、約束だから、送ってね?」 「……あ、ああ……」  少女の「否」とは言わさない目力に、今日見ていた純真な瞳は私のハカリ違いではないかと思ってしまった。  少女を送った後に下げたティーカップの中も、いつの間にか二つとも空だった。
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