2.死について

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2.死について

「死。 「身体的な死、社会的な死、精神的な死ーー実際の死とは、どこにあるんだろう  ね? 「この中のどれか?それとも、この中の全てが本当の『死』? 「けどねぇ。 「一体どこまでが死で、生なのかね。 「脳以外のすべての細胞が壊死しても、脳が生きているんだから、それは死じゃない? 「脳死していても、身体の細胞は生きていれば、それは死じゃない? 「脳死と心臓の停止、どちらが本当の死と言えるのか? 「こう言う人もいるよね、『あの人はまだ生きている、私たちの中で』ーー  社会的にも精神的にも身体的にも死んでいなければ、完全な死とはいえない? 「それは悲惨なことで。 「だって、それは実質人は不死身ってことでしょう。 「わたしは不死身いやだよ。 「けど、うん…そうね、みんなの記憶の中に残るから、死なないと言うのは、 「あながち悪くはないのかもしれない。 「けどなあ。 「死について考えるってことは、生についても考えるってことなんだよねえ。 「生。 「例えば、他人の記憶に残っているから不死身という説を仮に採用するとして、 「それはとは言えるの? 「他人と共に何かを享受できるとしても、それは受動的であって。 「能動的ではない。 「ん? 「この理論だと、他人に命令されないと何もできない人は、生きていないってことになるのかな? 「アハハハハハッ、辛辣ぅ。 「…冗談だって、本気になんなって。 「どんなに受動的な人でも、呼吸くらいは、心臓の拍動くらいは自発的にやってるでしょ。 「ああ、でもそっか。 「世の中には、そうじゃない人もいるか。 「ごめん、わたし酷いこと言った。 「自分の価値観を押し付けたーーまだまだ未熟だね、わたしも。 「まだ実をつけてさえいない状態だね。 「ごめん、脱線した。 「けど、そう思うと、能動的に行動することが生きていることって言えるのかも  しれないねえ。 「能動的に。 「衝動的に。 「自己中心的に…ね。 「んー、でもさぁ。 「例えば安楽死や尊厳死も、能動的に選ぶ死だよね。 「生を持って死を選ぶ。 「矛盾してない? 「ところでさあ、尊厳死とかっていいと思う? 「いいっていうか、許されていいと思う? 「ん?あぁ、尊厳死と安楽死の違いについての説明がまだだったね。 「尊厳死は、延命治療をしないこと。 「安楽死は、薬を使って死期を早めること。 「尊厳死が自分に対するネグレクトなのに対し、安楽死はマーダーってとこかな。 「言い方は不謹慎だけどね。 「うん、ある意味自殺だよ。 「そ、絶対許せないか。 「赦せなくて、やるせないか。 「でもさぁ。 「死にたいと思うほどの苦痛を味わっている人が死を望んだとして、 「それを、それすらも許さないのはどれだけ残酷だと思う? 「生きていればいいことがある? 「死ぬ可能性は0じゃない? 「…ふぅん。 「ずいぶんとまぁ、 「知ったようなこと言ってくれるね。 「全身を針で刺されるよりも、 「引きちぎられるよりも、 「裂かれるよりも、 「なお辛い思いをしている人に、 「マッサージチェアに座りながら、 「同じことを吐けるのなら、大したものだね。 「味わったことも、 「ないくせに。」
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