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81.悪役令嬢とその騎士1◆ニコライ視点
「うん、元気にやってるよ。さあ……どうだろうね。僕にも分からないけれど、早く目覚めるように祈るしか…」
電話口の向こうで、祖父は何やら非難の声を上げ続けている。呪詛のようなその言葉たちを聞き流すことにも疲れて、静かに受話器を置いた。
電話を貸してくれたモーガン・ネイブリーに頭を下げて、貸し与えられた部屋へと戻る。
アリシアが、聖女であるリナリーに刺されて意識を手放してからもうすぐ二週間になる。彼女の両親と共に毎日のように王宮へ出向いているけれども、白いベッドの上で人形のように目を閉じたアリシアは、このまま永久に目覚めないのではないかと思えた。シーツの上に広がる柔らかな髪も、窓から差し込む陽の光を受ける肌も、何もかもがまるで作り物のようで。
リナリー・ユーフォニアはその場で取り押さえられた。
誰かが彼女の双眼を覆うように指示を出し、目隠しをされた美しい聖女は狂ったようにずっと笑っていた。罪人が立つはずだった絞首台には寂しい風が吹き荒れ、やがて人々も散り散りに家へと帰って行った。
アリシアの婚約者だったエリオットは、最後の一人が広場を後にしてもまだその場に立っていた。混乱するネイブリー伯爵たちと共に車へ向かいながら、その背中を見つめていたことを覚えている。
彼はいったい何を考えたのだろう。
目の前で、アリシアは刺されたのだ。
手も足も出ず、彼女が血反吐を吐いて倒れる様子を、成すすべなく見守っていたエリオット・アイデン。いつも涼しげな表情を浮かべて自分は何ら関係のないといった態度を取る。そのくせ彼は、ことアリシアが絡むとひどく人間らしい姿を見せることを、ニコライは知っていた。
アリシアの両親によると、魅了の解かれた国王は土下座してネイブリー伯爵夫妻に謝罪をしたらしい。一国の王が伯爵家の当主に頭を下げて謝るなど、本来であれば想像も出来ない異常事態だが、彼が下した判断によって人が一人死にかけているのだ。
そして、それはおそらく息子のエリオットも同罪と言えるだろう。友人という名目でリナリー・ユーフォニアが王宮に入ることを許し、甘いガードで付け入られてアリシアに辛い思いをさせた。
自分だったら、そんなことはしない。
彼女を悲しませたりなどしない。
そう息巻いていた時期もあったが、よくよく考えればニコライ自身もアリシアを苦しめた呪いの片棒を担いでいる。知らなかったと言えど、罪のない令嬢を黒魔法で苦しめた罪は軽くはない。
だから、償いのつもりでそばに居た。
彼女の手足となって、働くために。
気を紛らすために散歩がてらネイブリー家を出て来たのに、気付けばアビゲイル王国の国旗が掲げられた王宮の門前まで来ていた。既に顔を覚えているのか、門番の男はニコライの顔を見て門を開ける。
そのまま庭を横切って玄関まで到着すると、開いた扉の向こうには顔見知りになった執事長が立っていた。「変わりはないようですが…」という言葉に頷きながら、それでも少し様子が見たいと申し出る。何度も繰り返したこのやり取りに彼も慣れたのか、それではどうぞと中へ招き入れてくれた。
案内された部屋の中には、先客が居た。
横たわるアリシアの傍らに椅子を置いて座り込んでいるのは彼女の元婚約者であるエリオットだ。とうに縁の切れた婚約者をこうして王宮で面倒を見る理由がニコライには分からなかったが、おそらく彼なりの罪滅ぼしなのだろう。
「殿下、交代していただけますか?」
声を掛けるとこちらに目を向けて、すぐに立ち上がった。
とくに交わす言葉もないので気不味い沈黙が流れる中、去って行くエリオットの背中を見つめる。
「……いったい、どういうつもりでしょう?」
悶々と考えていたことが、緩んだ口の端から転がり落ちた。
友好的とは言えないグレーの双眼がこちらを向く。
「どう、とは?」
「貴方はもう彼女のそばに居る必要はない筈です。アリシアが処刑されるにあたって婚約を破棄されたと聞きましたが、何故まだ彼女を王宮に置くのですか?」
「それはアリシアと俺が取り交わした約束であって、君に話すことではない」
「………、」
「それに…リナリーはもう王宮に居ない。最先端の医療を提供できることからしても、この場所で彼女を見守ることは最適かと思うが」
本人にその意思がないとしても、エリオットの切れ長な目は必要以上に彼を冷たい男に見せた。
リナリー・ユーフォニアがアビゲイル王国の北部へ収容されたという噂はどうやら本当だったらしい。国王までをも魅了に掛けて、王太子の婚約者を殺人の罪で処刑させる運びとした彼女は「黒い聖女」として人々の間で実しやかに語り継がれた。
その強力な魅了がこれ以上の被害を生まないようにと彼女の指輪は粉砕され、二つの眼球を抉り出されたとか、常に目隠しをされて監視下に置かれていると話す人たちも居るが、真相は誰にも分からない。
北の大地を飛ぶ蝶であれば、本当のことを知っているかもしれないけれど。
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