76.悪役令嬢は断罪を迎える

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76.悪役令嬢は断罪を迎える

 よく晴れた日だった。  後ろ手に手錠を掛けられて、私は兵士たちと庭を横切る。素晴らしい朝の太陽が雲ひとつない空の中に浮かんでいる。秋晴れとはこういう天気を言うのだろう。  悪役令嬢アリシア・ネイブリーが王妃殺害未遂の罪で絞首台に立つ。王太子の婚約者が断罪されるという知らせはどこまで届いたのだろう。マリソルやサバスキアまで、もう広まったのだろうか。  エリオットは嫌がったけれど、私は出来るだけ多くの新聞記者を集めて欲しいと伝えた。きっと彼らは鼻息荒く、稀代の悪女の最期の瞬間を写真に納めに来ているはずだ。  アリシアの両親はどう思ったのだろう。  育てた娘がこんな終わりを迎えるなんて、と母のモーガンあたりは寝込んでいそうだ。父だって後悔したに違いない。養子を迎えたことを悔やんでいるかも。それとも、彼らはアリシアの無実を信じてくれている?  到着した半円の広場には、想像以上の観客が居た。王族の前だと言うのに各々伝えたいことがあるらしく、入り口に立った私を指差して騒ぎ立てている。防衛魔法を張るなんて言っていたけれど、外から爆弾でも投げられたらどうするのだろう。 「罪人アリシア・ネイブリー、前へ出よ」  ざわめく群衆に向かって「静粛に!」と注意を飛ばしながら、白い髭を生やした男は私を呼んだ。履いていた黒い靴を脱いで、私は裸足で広場へと足を踏み入れる。  見上げると、広場を取り囲むように配置された客席が目に入る。二階、三階には溢れ出さんばかりの一般客が、一階には報道陣がカメラを持って待機している。魔法があるこの世界でも、カメラなんてものが使われるのかとぼんやり思った。  そして、一番眺めの良い特等席、つまり絞首台の真ん前には国王と王妃、そしてエリオットと彼に擦り寄るように立つリナリーの姿を確認することが出来た。さすがに刑が執行される瞬間は席を外すと思うけれど、彼らもアリシアの最期の瞬間をその目で見に来たということ。  意図せずエリオットと視線が絡んだ。  周囲に気付かれない程度に私は小さく頷く。  彼が荒ぶって魔法を使わないように、私は何度も説得して釘を刺した。この場で彼がそんなことをしたら、それこそ大事になってしまう。私たちはただ、与えられた役を遂行する駒として動かなければいけない。  三階席に目を向けると、感情を露わにして好き勝手に叫ぶ観客たちの後ろにクロノス・ニケルトンを見つけた。弔うような上下黒のスーツを着ているから、私は少し怒った顔で睨み付けた。それが見えたのか、クロノスは被っていたシルクハットを少し上げてみせる。  その下の階では、ネイブリー伯爵夫妻が支え合うように立っていた。周囲からの視線や野次に耐えながら、祈るように両手を組むモーガンを、父のドイルが支えている。私はすぐに目を逸らした。彼らの胸中を思うと、どんな顔を向ければ良いか分からなかったから。 「……アリシア!!」  聞き覚えのある声に振り返ると、入り口で兵士に両腕を掴まれたニコライが居た。正義感の強い彼のことだから、きっと冤罪を主張して揉めることになったのだろう。こんな場所まで連れて来て、本当に迷惑を掛けたと思う。彼にはいつも世話になってばかりだ。  少しでも安心させられるように、頬に力を入れて精一杯の笑顔を向けた。大丈夫だと、伝わるように。  ついに始まろうとしている。  私がアリシア・ネイブリーとして演じる、最期の大舞台が。 「ネイブリー伯爵家の令嬢アリシア、何故お前がこの場所に立っているか分かるか?」  老いた男の問い掛けに首を横に振る。  誰かが瓶を投げ込んだのか、少し後ろでガラスの割れる音がした。嘘吐き、と罵る声も聞こえる。 「私は無罪です。この場所に居る理由は分かりません」 「……嘆かわしい。実に業が深いことだ。王妃に危害を加えても尚、平然とこの地に立っている。恥を知れ!」 「(いわ)れのない罪で裁かれるのに、何を恥じろと言うのでしょう?」 「もうそれ以上喋るな!国王陛下の前だぞ…!!」  怒り狂った男のこめかみに青筋が浮かぶのを見て、私は口を噤んだ。 「この女には掛ける情けなどない。直ぐに刑を執行しよう。優しい聖女がお前の魂が死後救われるように祈ってくれるそうだ、ありがたく思え」  そう言って振り返った老人の後ろから、リナリーがとことこと歩いて来た。聖女らしく清らかな白い控えめなドレスを着て、頭からは繊細なレースのヴェールを被っている。  場を取り仕切っていた男が一歩下がり、リナリーは私の前に立ちはだかった。その瞳は隠れて見えなくても、口元だけで彼女がたいそうご機嫌であることは分かった。 「それでは……アリシア様の魂の浄化のために」  小さな手を胸の前で組んでリナリーは私の額に口付けた。その行動を褒め称えるように、観衆は拍手を送る。先ほどまでアリシアに向けられていた罵声はもう止んでいた。 「悪いが、少しだけ時間をいただいても?」  静まり返った広場の中で声が聞こえた。祈りを捧げていたリナリーがパッと私から身体を離す。包みを手にこちらへ歩いて来たエリオットは、皆に聞こえるように進行役の男に話し掛けた。 「アリシアは私の婚約者だった。こんなことになってしまって残念だが、最後に私にも祈らせてほしい」 「殿下?そんな話は……」  驚く男の前でエリオットは地面に膝を突いた。  私の手を取り、少しの間目を閉じる。 「で…殿下!罪人にそのように接触なさるのはおやめください!いくら元婚約者と言えど、これから死罪になる者です!」 「……すまない。では、これをアリシアに」 「なんですか…それは?」 「彼女への最期の贈り物だ。それぐらい良いだろう?」  エリオットは抱えていた包みを私に手渡す。薄紙を解いて出てきたものを認識するや否や、リナリーの手がそれを奪い取った。勢い余って宙に浮いた額縁の中に貼り付けられたのは青い大きな蝶。  地面に落ちて、無惨に割れたガラスから美しい羽が姿を覗かせる。誰よりも先に行動を起こしたのはリナリーだった。伸びた右手が蝶の亡骸を握り潰す。 「させるものですか!この羽は私のものよ、アリシアなんかに渡さないわ……!」 悲鳴に近い声が鼓膜を揺らした。 「力を与えて!この忌々しい悪女を今すぐ焼き尽くす強い力を!!」
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