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78.悪役令嬢は悪役令嬢と出会う
なんだかとても眠たい。
このまま、ずっとこの場所に居たい。
目を閉じてずっと。
苦しいことも、痛いこともない。誰かを疑ったり、自分の身を案じることにも疲れた。ハッピーエンドへの最短ルートなんて私には分かりっこないのだから。
もう好きにして。私はこの場所に居るから。
あとはもう残った人で勝手に続けてくれたら良い。
「起きなさいよ」
不機嫌な声の主はそう言って私の頬を叩いた。
驚いて私は飛び起きる。
背景を塗り忘れたように真っ白な世界にポツンと私は取り残されていた。皆はいったいどこに行ったのだろう。そして何よりも、私の前で仁王立ちするこの少女は誰?
腰まで伸びたふわふわした長いピンク色の髪。はちみつ色の両目で怒ったように私を睨み付けて、唇を尖らせている少女に、私は思い当たる節があった。
「………アリシア?」
鏡でいつも見ていたアリシアの姿よりもだいぶ若い。おおよそ十歳前後の幼いアリシアはまだ丸みの残る頬を膨らませてプリプリと怒っている。
なんと言えば良いのだろう、と悩みながら頭の隅では目覚める前の最後の記憶を残酷なほど鮮明に思い出していた。私は刺されたのだ。リナリーの魅了に当てられた兵士に。
あの場はその後どうなったの?
私がこんな場所に居るということは、もしかしてあの一撃で死んでしまったのだろうか。ゲームであれば残機で戦うことができるかもしれないけれど、この世界においてアリシアの死は巻き戻りの合図。私はまた誕生まで遡る?それともゲームオーバーで追い出されてしまって役者交代?
上体を起こしたままで考え込む私の前に小さなアリシアは膝を突いた。相変わらずムスッとした顔で遠慮なく私をジロジロと眺め回している。
「この髪、ちゃんと今朝はブラッシングした?」
「え?」
「アホ毛がひどいわ。エリオット様と会うときは頭の先から爪先まで綺麗にしておかなきゃダメじゃない」
「……あ、えっと、ごめんなさい」
収容されていた部屋には洗面台はあったけれどブラシやメイク道具など用意されてなかったので、顔を洗うぐらいしか出来ていない。絞首台に立つのに小綺麗にする必要ある?
アリシアの圧に押されながら私は渋々謝って、こっそりと彼女の様子を盗み見た。
大人よりも小さな手に、まだ女性に成り切っていない痩せっぽちな身体。しかし、その佇まいや表情にはエスティ王妃を彷彿とさせる凛とした強さと高貴さがあった。それはとてもじゃないけど十歳そこそこの若い娘が身に付ける雰囲気とは思えないほどの。
「ねえ、ずっと見てたけど…貴女よくもわたしのエリオット様に暴言吐いたりビンタしたりしたわね」
「んんっ!見てたの?違うのよ、あれには事情が……」
「わたしなんて十年も付き合ってお顔に触れたことは一度も無いわ。頭もポンポンされてたし何なのよ……」
「いや、魔法の解除!それはニコライが赤毛に変えた髪色を戻すための流れで!」
「それに貴女危うすぎ。リナリーの魅了に掛かったら終わりよ。私が警告しなかったら呑まれるところだった」
「警告ってもしかして、あの心臓が縮まるような痛み…?」
「他に何があるのよ」
ガルルルルッと聞こえてきそうなほどに不機嫌を露わにしているアリシアを見て、私は思わず笑ってしまった。こういう素の表情を見ると年相応に見える。リナリーに見つめられた時に感じたあの胸の痛みはアリシアなりの警告だったとは、素直に驚きだった。
作中でも書かれていたように五つ年上のエリオットはアリシアによっては憧れの人。自分よりも年も離れていて爵位も上、ましてや王太子である彼の感情を汲み取ることはアリシアにとってかなり困難だったに違いない。
エリオットの語った彼の本心からすると、どうやら相思相愛だった時期もあったのではないかと思うけれど……とニヤニヤしながら目の前のアリシアを見ていたら「なによ?」と再びムスッとした顔で詰められた。
「アリシア……ずっと貴女と話したかった」
聞きたいこと、知りたい気持ちが溢れるほどあった。何故空っぽの身体を私に明け渡したのか。悪魔が憑いた状態でどうやって生き続けてきたのか。
はちみつ色の柔らかな瞳が私を見つめる。手を伸ばせば触れられる距離に居るのに、このまま触れてしまえば彼女は霞のように消え失せて何処かに行ってしまう気がした。
「どうして、私をこの世界に呼んだの?貴女は今まで何処にいたの…?」
アリシアは強い眼差しを少しだけ伏せた。
表情に翳りが見えて、細い肩が震え始める。
悪役令嬢は泣いていた。
誰にも見られないように小さな身体を抱き締めて。
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