80.悪役令嬢は悪役令嬢を知る

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80.悪役令嬢は悪役令嬢を知る

「……貴女を呼んだのは、もう打つ手がなかったから」  ようやく開かれた淡い瞳が私を見据える。  幼い少女にただ見られているだけなのに、その凛とした佇まい故か、私はピリッとした緊張を感じた。 「賭けみたいなものだった。消費されるだけの身体、まるで自分のものではないような心。いつもと同じようにわたしに葡萄酒を勧めるサラから、デズモンドへ幽閉するという勅令をエリオット様が持って来たと聞いた時…わたしは自分がまた失敗したことを知った」 「違うわ!あれはサラが工作していたのよ、」 「そうだとしても。あの時のわたしにそれを暴いて白日の下に晒すだけの力はもう残っていなかった」 「………、」 「幸いダナの血である葡萄酒を飲んでいる間は体調も安定していたし、悪魔も大人しかったから…決行することにしたのよ」 「……なにを?」  私はゴクリと唾を飲んで続く言葉を待つ。  アリシアは私の反応を確かめるように黙っていた。  ダナの血は邪悪なものを退ける、それは聖職者であるニコライも言っていたこと。私は嫌な予感が当たらないことを祈りながらアリシアの唇を見つめる。その幼い顔立ちには不似合いな覚悟が、ハッキリと浮かんでいた。 「わたしは、自分の魂と引き換えに悪魔を封印したの」 「そんな…なんてこと……!」 「もちろん死にたくなんてなかった。だから、同じ瞬間に彷徨っていた貴女の魂を代わりに肉体に送り込んだわ」 「………っ!」 「急いではいたけれど、適当に選んだわけじゃない。貴女ならわたしを救ってくれると思った。変えられなかった運命を、切り拓いてくれると信じたから」  結構見る目はあったでしょう?、と静かに微笑むアリシアに私はなんと返せば良いか分からない。たった一人で戦って、たった一人で決断を下した。自分の存在を犠牲にして呪いの根源を取り払うことが、どんなに苦渋の決断だったか。  アリシアはぼんやりと下を向いていたかと思うと、サッとその表情を一変させて穏やかな笑みを浮かべた。 「貴女は多くの人の心を動かしたわ。殿下…エリオット様をはじめ、クロノスも随分と協力的だった。サラを最後に味方に付けたのも貴女の功績よ」 「でも彼女は亡くなったわ……!」 「立場上、貴女より多くのことを知れるから分かることだけれど……貴女を逃した後で、サラは貴女の身の安全を常に確認していた。マリソルで貴方を襲った男たちはサラの魔力を追って貴女に辿り着いただけで、彼女がバラしたわけではないの」 「でも死んでしまった、私のせいで………」  地面に平伏したサラの姿を思い出して私はボロボロと涙を溢す。自分よりも若いアリシアの前でこのような失態を見せて情けないけれど、どうにも褒められる状況にあるとは思えなかった。  現に今、私はこうして白い世界に居る。  アリシアは少し私を見遣ると、その小さな手で頭を撫でた。 「それぞれのハッピーエンドが存在するように、すべての人を救うことは出来ない」 「………だけど…!」 「貴女のやるべきことは何?」 「私の…やるべきこと?」 「エリオット様が貴女の目覚めを待ってる。こんな場所でわたしと話してる場合じゃないってことよ」 「違うわ、アリシア!それは貴女の役目よ、ずっと願っていた貴女の夢が叶うの。ようやく最愛の人と結ばれることが出来るのよ!」  必死になって掻き抱いた細い身体は、驚くほど冷たかった。ハッとして見上げる私の前でアリシアは悲しそうに目を細める。 「わたしは…もう遠くへ来すぎてしまったみたい」 「アリシア!ダメよ、そんなこと言わないで…!」 「みんなに伝えてくれない?貴女の口から」  徐々に薄れていくアリシアの手を握り締める。  幻想のようにその姿は消え掛かっていた。 「お父様とお母様のこと…大好きだった。色々と心配を掛けて申し訳なかったけれど、はじめて愛を与えてくれた。無償の愛の素晴らしさを教えてくれたの」 「………お願い…行かないで、」 「クロノスにはわたしが元気でやってるって言っておいてね。あと、あのシルクハットは似合ってなかったわよね?」  クスクスと口元に手を当てて、アリシアは笑う。  悪役令嬢と呼ぶには、あまりに純粋。目の前に存在するアリシア・ネイブリーはただの無邪気な少女に見えた。恋をして、冗談を言って、花のように笑う。 「エリオット様のこと、よろしくね」 「アリシア……!」 「不器用な優しさが大好きだった。魔法を使うのも上手で、お勉強の成績も優秀。でも…誰よりも努力をしていたわ」 「お願い、待って!行かないで、アリシア!」 「わたしだけが独り占めしたかったけれど、特別に貴女に譲ってあげる。でも絶対に大切にしてね。この気持ちも、彼の存在も……何より大切なわたしの宝物だから」  強い光がアリシアを包んで、私は思わず目を閉じた。  白んだ世界の中で手を伸ばしても、もうあの冷たい小さな手のひらを見つけることは出来なかった。
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