87.エピローグ

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87.エピローグ

 眺望の良い窓際に置かれた椅子に、美しい金色の髪を垂らした女が座っています。時折窓の外を気にするような様子を見せる彼女の表情は、どこか寂しげです。囚われの蝶の名前はリナリー・ユーフォニア、彼女はこの物語の主人公です。  コンコンという軽いノックの音がして、白髪の男が姿を現しました。扉の外には衛兵が待機しているはずなのに、何故彼がその目を掻い潜って来れるかですって?それは簡単な質問です。彼こそが時の神なのです。 「あらまぁ……そろそろ来る頃かと思ったわ」  リナリーは欠伸をして両腕を伸ばしました。  こんな閉鎖的な空間に居たら、身体も凝り固まるでしょうからストレッチぐらいは必要ですね。 「これがあの有名なデズモンドの塔なのね。窓から見える景色は案外悪くないわよ。遠くの方に羊を飼ってるみたい」 「今回は君がこの場所に幽閉されるとはな」 「私だって驚きよ。アリシアにしては上出来ね」  そう言って満足そうに頷く美しいリナリーの方を一瞥し、男は窓の向こうに広がる穏やかな風景を眺めました。  誰かはデズモンドのことを荒れ果てた大地だと言っていましたが、実際のところそこには小川があり、緑も豊かです。これから収穫のシーズンに入るのか、何台かのトラクターが黄金色に光る麦の穂の中を走っているのが見えます。 「ねぇ、クロノス。私考えたんだけど毎回一番最初に戻るのは飽きたから、次は終盤にしてくれない?」 「どういうことかな?」 「アリシアが王妃を殺害しようとした罪で監禁されるでしょう?私と彼女が最後に二人で話をした場面に戻りたいの」 「ほう。それはまた、どうして?」 「あの場で塔から落としたらどうかな、と思ってね。自殺みたいに見えるし、私は姉を失った可哀想な妹になれるわ」  クロノスは何も答えませんでした。  この老人はもうかなりの高齢ですから、きっとリナリーの高い声を聞き取ることが難しいのでしょう。心優しいリナリーが身を乗り出して、もう一度同じ話をしようとしたところで、男は片手を上げました。 「君はもう戻ることは出来ない」 「……なんですって?」 「時戻りの条件はアリシア・ネイブリーの死。彼女はまだこの世界で生きている」 「何を言っているの。殺したわ、確かにこの手でね」 「タイミングが悪かったな。アリシアの身体に魔力が戻る方が早かった。彼女は守られたんだ、その力によって」 「……嘘でしょう?嘘よね…?ねぇ!クロノス!!」  リナリーは美しい顔を歪めました。いいえ、失礼しました。彼女の顔は歪んでなど居ません。歪んだのはきっとこの世界のピントです。  だって、彼女は絶対的な存在なのですから。 「リナリー、君が設定した巻き戻りの条件はアリシアの死だ。彼女が生きている世界で時を戻すことは出来ない」 「何を言っているの!早く戻してよ!貴方は私と契約したはずよ。この世界の中心は私、そうでしょう!?」 「君は(やぶ)れたんだ、君がその手で追いやったアリシア・ネイブリーという悪役令嬢に」  リナリーは悲痛な顔でよろよろと椅子に座り込みます。  なにぶんこの部屋には下女などは居ませんから、誰も彼女のために水を運んで来たりはしません。ああ、可哀想なリナリー・ユーフォニア!  意地悪な老人は尚も追い討ちを掛けるように口を開きました。 「そういうわけで、物語はこのまま進んで行く。君が魅了で自死させたサラは毒を盛りに来ないと思うが、実は今日私はある友人に頼まれてここまで一緒に来たんだ」 「………友人ですって?」  クロノスの手が指し示す方へ向き直り、扉の外に立つその男の姿を見たとき、高い悲鳴が塔を揺さぶるように響き渡りました。ここから先の話は、いくら語り手と言えどもお伝えしかねます。あまりにも悲惨、悪魔が来たと思ってください。  ええ、それは神の御加護を受けた悪魔でした。  強く握られた禍々しい聖剣を、男は高く振り上げます。  こうして、私の物語は幕を閉じました。  どうかその名前を忘れないでください。    美しい蝶のようなリナリー・ユーフォニア。  私は、この物語のヒロインなのです。 End.
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